見出し画像

就活ガール#70 カタカナ語に慣れる

これはある日のこと、居酒屋で同級生の美春と二人で食事をしていた時のことだ。大学は冬休みになり、つかの間の休息の時間である。もちろん、本来であればみんなが休んでいる時間こそ就活や勉強に取り組むべきだという意見はあるし、俺だって年末年始の全てをダラダラと遊んですごすつもりは毛頭ない。とはいえ、きょう1日くらいはリラックスしてもよいだろう。そう考えてこの店に入ったのだけれど、就活生が二人そろって話すことといえば、やはり就活の話題なのである。

「ねぇ、おとっぴ。カタカナ語についてどう思う?」
「ビールとかカシスオレンジとか?」
「いやいやいや。」
美春が俺のしょうもないボケに派手なリアクションをしてくれる。
「ごめん、わかってるよ。ビジネス用語のことだろ?」
「ええ、そうよ。会議をミーティングって言ったり、同意をアグリーって言ったりするやつ。」
「日本語で話してほしいよな。」
「そうよね。どうして皆こういうカタカナ語を使いたがるのかなって思って。」
「なんとなくかっこいいからだろ。」
「本当にそれだけかなぁ。」
「と、いうと?」
「だって、ビールとかカシスオレンジとかは私たちでも違和感なく使うでしょう? でも別にカッコつけてるわけじゃない。」
「それはむしろ日本語にするほうがややこしいからだろ。コンピューターを電子計算機って言わないし。」

「じゃあメイクやライトはどう?」
「うーん……そう言われると難しい気がするな。少し前の世代まではほぼ全員が化粧、電気って言ってたと思うし。」
「そうよね。だからビジネスカタカナ語も単なる日本語の移り変わりの過程なんじゃないかとも思うのよ。」
「そうすると、それについていけないとか言ってるのは単なる時代遅れの老害っていうことになるな。」
「私はそこまでは思わないけど、まぁ少なくとも威張れることではない気がするわね。」
関係あるかわからないが、中高年の人が最近の若いアイドルグループを見て『全員同じ顔だ』というシーンはよく見る。言っている本人たちからすると自分たちの時代に比べて劣っているところを指摘しているだけという認識かもしれないが、俺たち大学生くらいの人間から見ると、『自分たちは時代についていけない老人だ』と言っているようにしか見えないのだ。もしかしたらビジネス用語についても似たようなことが言えるのかもしれない。

「別に全員が全員、全ての新しいものについていく必要はないと思うわ。自分にとって必要なものだけ取り入れて、そうじゃなければ無視していればいいだけ。」
「うん。」
「でも、これからビジネスの世界に足を踏み入れようとしている人が、ビジネス用語に文句を言うのってどうなのかなと思って、意見が聞きたかったのよ。」
「なるほどね。そこまで考えたことはなかった。」
正直な今の感想を言う。でも、実際、美春の言うことは大筋で正しい気がする。

「基本的には美春の言う通りな気がするな。文句があるならカタカナ語を使わない企業に行けっていう話だろ。」
「極論、そんな感じ。あとから入ってきた人が既存の文化に文句を言うのっておかしいわよね。」
「たしかに。」
「一方で、これだけ多くの人が抵抗感を持っているのにどうして日々新しいカタカナ語が生まれてくるのかも気になるところだわ。」
「たぶんだけど、あえてわかりにくい言葉を使ってお茶を濁したり、インパクトを与えるってのが必要な場面があるんじゃないか?」
「例えば?」

「そうだなぁ。政治家が急にカタカナ語を使い始めることってあるだろ。オーバーシュートとかクラスターとか。これは国民にインパクトを与えてビビらせる効果があったと思うんだ。」
「たしかに。急に聞きなれないカタカナ語が登場してびっくりした人は多いでしょうね。」
「特に高齢者とかはそうだよな。よく意味は分からないけれどなんとなく印象に残る。恐怖感を植え付けるのには十分だったと思う。とにかくインパクト重視っていうか。」
「逆に、しっかり隅々まで浸透させて継続的に意識を変える必要があることについては、意外とまだ日本語が使われるわよね。例えば三密とか。」
「うん。ソーシャルディスタンスなんて言葉もあったけど、日本では三密のほうがよくつかわれていたと思う。マスク会食とかもダサい言葉だとは思うけど、だからこそ広まったのかなっていう気もするし。あ、マスクはカタカナだけど、ビールとかと同じくらい浸透してるから例外な。」

「それじゃあ、カタカナ語を使うことでお茶を濁すっていうのはどういう場合があるかしら?」
「例えば、『セクシーに解決する』とか。」
「それはお茶を濁したことになるのかしら。失敗してる気がするけど。」
美春が苦笑いをする。俺も自分で言っていてよくわからなくなってきた。酔っているのかもしれないが、ここで引き下がるのもおかしいので頑張って説明を続けてみる。
「こういうよくわからない発言をしても、結局のところ小選挙区では7割とか8割とか得票して圧勝できるだろ。世論調査でもいまだに人気だし。」
「それは高齢者はネットで叩かれていることを知らないだけじゃない? あるいは組織票がガチガチに固まってるとか。」
「そうなんだけど、一方で、セクシーの本来の英語での用法としては別に間違ってないっていう説もあるだろ。」
「そうらしいわね。」
「結局何が正しいかなんてほとんどの人にはわからないんだよ。」
「うーん。難しいわね。」
「その辺も含めて煙に巻かれてるとかお茶を濁されてるって感じがするんだよな。」
「なるほどね。」
そういいつつも、美春の表情はあまり納得していない様子だった。俺自身もよくわかっていないので、そりゃあそうだろう。これ以上この例を続けても収拾がつかなそうだったので、話題を変えることにする。

「話を戻すと、ビジネスカタカナ語ってIT企業とかでは当たり前に使われてるだろ? 実際使ってる人に聞くと、別にカッコつけているわけではなくて、無意識に使ってることが多いんだよな。」
「あ、それは私も思うわ。さっきのメイクやライトの例もそうね。おばあちゃんとかにメイクっていうとどうして化粧って言わないのか聞かれるもの。」
「だよな。カタカナ語に対する批判の声も多いけど、当たり前に使われている会社に入ると、使わないほうが変っていう認識になっていく。具体的に調べたわけではないけど、若者だと化粧っていうよりメイクっていう人のほうが多いと思うんだよ。」
「たしかに。別にカッコつけてミーティングとかアサインとか言ってるわけじゃなくて、彼らにとってはそれが普通のことなのよね。」
「そうそう。」

「それでもやっぱり、なんか踊らされてる感は否めないわ。どうせどこかの怪しいビジネス本あたりが最初に言い始めたんじゃないの? それこそ、政治家と一緒で最初にインパクトづくりのために言い始めて、そのうち『意味がわかないと仕事ができないと思われる』みたいな風潮ができて、互いに疑心暗鬼になってよくわからず使いあってるというか。」
「まぁ、カタカナ語の生い立ちとしてはそんなところだろうな。」
「そう考えるとやっぱり釈然としないというか、腑に落ちない感じはあるのよねぇ。」
「そうだな。他人に伝わらない言葉を使うのって本当に頭がいい人がすることなのかとも思うし。」
本当に頭が良ければ相手のレベルに合わせた話ができると言う言説を聞いたことがあったので言ってみたが、美春がすぐに反論してきた。

「私はその論法は微妙だなって思ってるわ。正論に聞こえなくもないけど、そういうことを言ってる人は生きにくいだろうなって見てる。」
「え、どうしてだ? 生きにくいかはともかく、俺は結構説得力があると思うけど。」
「会社って、表面上は全員で協力することになってるけど、実際はそうじゃないもの。会社っていうか、人間社会全体がそうね。弱者はどんどん切り捨てられていくわ。」
「深い話っぽいな。」
「だってそうじゃない? 相手の説明能力が低いことを証明したところで、自分の理解能力が上がるわけじゃないもの。」
「そりゃそうだ。」
「だったら、次に説明能力の低い人と出会った時でもうまく情報を吸収できるようにするため、自分の理解能力を上げておいたほうが得な気がするわ。」
「それの具体例が、カタカナ語を覚えるってことなんだな。」
「うん。私はそう思うっていうだけだけど。」
「なるほどね。」
「っていうか、それ以前に理解できないことを威張ったり相手のせいにする姿勢はいかがなものかと思うのよ。やっぱり、最初にも言ったけど、これに尽きるのよね。」
「たしかに。それは俺も同意だ。」

いろいろとたわいもない話をしたけれど、結局のところカタカナ語を使う人はこれからも増えるだろうし、新たなカタカナ語は日々生み出されていくだろう。それらを自分が使うかどうかは別として、理解できる能力がなければそれだけ自分が得られる情報が少なくなるということである。俺たちはそういう土俵の上で戦っているのだから、あまり正義や正論に固執せず、粛々と慣れていくしかない。それが大人になるということなのかもしれないと思う。
 アイドルの顔が同じだと愚痴る大人になるか、いつまでも必死で時代の流れを勉強し続けるか。いずれにしても大人は大変だと思いながら、ビールを飲み続けるのであった。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?