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風呂は心の選択

風呂は命の洗濯よ

新世紀エヴァンゲリオンの葛城ミサトの台詞である。

「命の洗濯」とは日々の仕事や人間関係の重みや悩みを忘れ、のんびりとリラックスして過ごし滋養することで、古くからある日本の諺のようだ。風呂も命の洗濯の一つであり、風呂に入ることで体の汚れを落とすだけではなく、日々の精神的疲労も癒すことで生きるためのエネルギーを養うということだろう。

たしかに一生懸命運動したり勉強したり仕事した後に入る風呂は格別で、天にも昇る心地がし、疲労が癒やされ全て報われたような心待ちになる。

葛城ミサトの「風呂は命の洗濯よ」というのは大いに共感できる台詞だと思うのだが、その葛城ミサトの台詞の後に実は主人公の碇シンジが「風呂って嫌なこと思い出すほうが多いよな」と呟いている。                   私としてはこの碇シンジの台詞の方が実は深い意味を持っていて、命の洗濯を風呂で行うために必要な鍵なのではないかと思っている。     この碇シンジの台詞に共感を得ることができない、風呂に入ってる時に嫌なことを思い出さないという恵まれた"ひとかど"の人物は命の洗濯を日々行えている人物なので、私からは何も言うことはない。速やかに立ち去っていただきたい。

風呂に入ると嫌なことばかり思い出すという碇シンジ共感タイプの方々は風呂という命の洗濯のチャンスを活用できず、十分な生きる活力を得れないまま日々を過ごしていることになる。これは由々しき事態だ。風呂に入ると楽しいことばかりを思い出し、能天気に鼻歌を口ずさみながら入浴をし、毎日無意識に命を洗濯しているお気楽な奴らとの差は日毎増していくことになる。

風呂は1日の終わりの儀式のようなものだ。それを陰鬱な気持ちで終えるのであれば、快適な睡眠は来ず、悪夢と浅い眠りの果てに絶望の朝を迎えることになる。絶望の朝を迎え、怠惰の昼を過ごし、怨嗟の夜を迎えるのだ。

そんな悲しみを背負って生きている人間が何か成し遂げることなど到底叶わず。寄り添ってくれる人間など現れない。

財務大臣麻生太郎は国会の答弁で、生きていくのに空気の次に大切なことは何かと問われこう答えた。

「朝希望とともに目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝とともに眠ること」

粋な回答だ。日々を生きる人間の理想の姿勢だろう。

このように生きていくためにもやはり欠かせないのが風呂だ。風呂とはそういうものだ。

湯気に想いを馳せ、滴る雫に涙を添えるということ

風呂は明日への分岐点だ。良くも悪くもその日1日の総決算をすべき神聖な場所である。

明日へと繋がる命の洗濯をするためにも風呂でやることは2つしかない。

阿鼻叫喚と有頂天外である。

ここで絶対に間違ってはいけないのが、阿鼻叫喚と有頂天外を行う場所だ。

風呂には湯船の中と外がある。中と外でやるべきことが変わるのだ。

外でやることは頭を洗い、体を洗い、全身の汚れを洗い流すことだ。同時に阿鼻叫喚を忘れてはいけない。頭を洗っている時、体を洗っている時に今日あった嫌なこと、腹立たしかったこと、悲しかったこと、負の思い出を全て曝け出す。叫びたかったら叫べばいいし、泣きたかったら泣けばいい。負の感情が全て出払ったらシャワーで全身の汚れを洗い流し、負の感情も洗い流すのだ。大事なことはイメージだ。流れ出る涙は排水溝に流れなければいけない。

嫌なものを全て洗い流した後はいよいよ湯船の中に入る時だ。

湯船に浸かるときは負の感情は持ち込んではならない。外で全て洗い流したのだから、中ではもう忘れよう。中で考えることは未来のことだけだ。外での反省を、外での涙を、中では明日への誓いに変えよう。湯船に浸かり、心身ともにリラックスした状態で今日を労い、未来に想いを馳せるのだ。妄想でも構わない。輝かしい自分の姿を思い浮かべ、立ち登る湯気に想い乗せて天まで届かせるのだ。

合言葉は外で阿鼻叫喚。中で有頂天外。

風呂から出た時、生まれ変わった自分と出会えるだろう。

そして感謝と共に眠り、目眩く夢を見て、希望と共に目覚めるのだ。

ハダカノココロ

風呂とは自分との向き合い方が大切になってくる場所だが、他人との向き合い方も大いに影響してくる場所でもある。裸の付き合いという言葉があるように家族や友人と温泉や銭湯に行って一緒に風呂に入ることで、心の距離がぐんと縮まる。おそらく裸を曝け出すことに連動して、心も解放されているのだろう。湯船に浸かりながら話す会話は普段できないような親密な会話となる。風呂で一番の効能は濃厚なコミュニケーションを図れることなのではないだろうか。

心の壁を融解することができる風呂は、分かり合えない人と人が分かり合うことができる場にもなるのではないだろうか。

そうなってくると風呂から始まる世界平和があってもいい。

争い合う国同士のトップが裸になり、同じ風呂に入り、湯船の中で会談する。

大浴場で行われるG20首脳会合。

少なくともゴルフよりは親交を深められそうな気がする。

世界平和、浪漫の湯。

良い湯だな

風呂は命の洗濯であると同時に、心の選択でもある。自分や他人とどう向き合いたいか、どう生きていきたいのかを選択する場なのだ。

新世紀エヴァンゲリオンも自分と他人との向き合い方が大きなテーマともなっていた。あの時の碇シンジは風呂での心の正しい選択がまだできていなかったのだろう。

「風呂は心の選択だ」私は彼にこう言ってあげたい。

シン エヴァンゲリオンでとうとう大人になった碇シンジが風呂に入ったら、はたして何と言うのだろうか。

ババンバ バン バン バン いい湯だな。

こう言ってほしいものである。










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