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祈りとは何か?(田口ランディ『水俣 天地への祈り』を読んで)

3.11を前に、田口ランディさんの近著『水俣 天地への祈り』を読んだ。

昨年12月に、映画「MINAMATA」を観たとき、「福島に似ている」と感じた。ロジックは破綻しているかもしれない。ただの直感に過ぎない。

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田口ランディさんが見た、原発事故直後の福島とは

かつて水俣病の患者認定申請・補償訴訟運動のリーダーだった漁師・緒方正人さんへの私信で、田口さんは福島のことに触れている。

この文章をじっくりと読むと、福島原発事故と水俣病には共通点があることが分かる。

夏以降、福島には何度か足を運んでいます。
緒方さんもご存知のように、福島第一原発の事故によって、福島県は広域に放射能汚染されました。私は七月十三日に原発から二十キロ圏内の避難区域に入り取材をしてきたのですが、それはそれはひどい状況でした。この地域は牧畜が盛んでしたが、政府は二十キロ圏内の動物を外に連れ出すことを禁じたため、残された牛たちがミイラ化し、無惨な姿で死骸となっておりました。腐敗臭が畜舎や牧場にたちこめ、蛆がわき、蝿が飛び、畜舎の中では何百頭もの牛が、かいば桶に首を突っ込んだ状態で死んでおりました。(中略)
私の友人は飯館村で自然農業を営んでいました。森に囲まれた彼女の家の庭には薬草園や、鶏小屋があり、裏の湧き水の場所には小さな山椒魚が棲んでいました。でも、三月十二日に起こった水素爆発で飛散した放射性物質により、彼女の家の軒下では七十マイクロシーベルト/毎時もの、高い放射線が計測されます。これはほぼ数日で年間の被曝限度量を超えてしまう数値なのです。裏山は三十マイクロシーベルトで、これは二十キロ圏内よりも多いほどです。彼女はたいせつに守ってきた畑、田んぼ、美しい森、すべてを一瞬で失いました。もうここで人間が暮らせないほどに汚染されました。でも、それは全く目に見えません。なに一つ変わらぬ風剣に囲まれながら周りからは「危険だぞ、死ぬぞ」と言われ続け、友人は気が変になりそうだと言っています。

(田口ランディ(2021)『水俣 天地への祈り』河出書房新社、P88〜89より引用)

住む場所を追いやられ、長い間、被害に苦しむことになる。

どちらも天災ではなく、人災によるものだ。

苦しんでいる人たちは決して少なくないはずだ。なのに「一部の人たち」という括られ方をされ、人々の記憶から、やがて忘れられてしまう。

「原発再稼働」を主張する人たちが、彼らの痛みに共感しているのか甚だ疑問だ。人間には「忘れる」という能力がある。

だけど、水俣や福島の記憶を「なかったことにする」わけにはいかないと僕は思うのだ。

水俣病とは何か?

本書では、認定NPO法人 水俣フォーラムの代表を務める実川悠太さんが寄稿している。

寄稿によると「水俣病の発生が確認されてから、すでに六五年が経過しました。しかし、残念ながら水俣病はまだ終わったとは言えない、というより問題の核心がやっと見えてきた事件なのです」とある。

実川さんによれば、水俣病は1956年5月1日に水俣病の発生が確認された日(=公式確認)とされているが、これには異論もあるらしい。水俣病の原因になった有機水銀は1932年から流されている。実際1941年には後の水俣病とみられる患者も出ているという。

何が言いたいかというと、水俣病という言葉では「一括りにできない」ということだ。正確に言うと「一括りにされない」人たちが大勢いるという事実。その境界は曖昧であり、ゼロかイチかで判別することは大変難しい。

ちょうど昨日、「あなたは水俣病ではない」という判断が下された報道が出た。水俣病被害者互助会の男女8人が国、熊本県、チッソに対して裁判を行なったものの、原告側が敗訴という結末になっている。

実川さんはこんなことも書いている。

(水俣病の原因が毒性の高いメチル水銀であることに言及し)ではなぜヘソの緒はメチル水銀を通してしまったのか。それは人間が作り出すまで、環境中にはほとんどなかった毒物だからです。胎盤が胎児を守るシステムを作るのに何億年要したでしょうか。しかしメチル水銀などという猛毒を人間が大量に作るようになったのはせいぜい百数十年前からです。何億年にとって百数十年は瞬間です。生体の防御機能は人工の化学的物理的害毒を防げないのです。

(田口ランディ(2021)『水俣 天地への祈り』河出書房新社、P171より引用)

実川さんはチッソが世の中に提供した技術によって、現代を生きる人たちがかなりの恩恵を受けていることも添えている。乳幼児や高齢者用のオムツに使われている素材や、携帯電話の部品など、チッソにはかなり高い技術を持つ開発者が勤めていたのだ。

水俣病が長期化することによって、誰もが疲弊してしまう。一時はチッソが、和解に応じる住民たちに200万円程度を支払ったそうだ。

その後訴訟により、認定された患者には一人あたり1600〜1800万円が一時金として支払われることになった。だが正式に認定された患者は、自らが「患者である」と主張する人々のごく僅かである。誰が、何をもって認定できるのだろう。そこに科学的見地が介入する余地があるのか、僕にはよく分からない。

メチル水銀を廃液としてそのまま放出しただけでなく、その後の対応もマズかった。それが未だに水俣病の問題を難しくしている原因だ。

「公害」というものの構造的な特徴が、公害そのもののインパクトを測定できないという危うさを孕んでいるということだろう。

祈りとは何か?

水俣の語り部を担ってきた杉本栄子さんは「祈り」という言葉を何度も使っている。

「杉本さんが、一番好きなことはなんですか?」
素朴な質問だった。すると彼女はこう答えた。
「祈りです。わたしは祈りが大好きなんですよ」
「祈り?」
「わたしら漁師は、昔からなんにでも祈るんです。船の上でごはん食べるときは、自分の弁当ばほんのちょこっとですが、海にさしあげます。どこへ行ってもその土地の神様に挨拶して、食べるときはちょこっとお分けして、お祈りしちょります」
「どういうお祈りをするんですか?」
「どういうっていうか、お経も読めませんから、ふだんの言葉で話しかけるんです。それがわたしらにとってのお経です」

(田口ランディ(2021)『水俣 天地への祈り』河出書房新社、P40より引用)

「祈り」という言葉に、宗教的な意味を感じる人は少なくない。

ただ考えてみれば、日本人は日常的に「祈る」行為をしている。

ご飯を食べる前に、手を合わせて「いただきます」と言う。お盆で帰省したときには仏前で亡くなった祖父母に手を合わせる。寺や神社を参拝したら、やはり手を合わせて祈る。

それ以外にも仕事で窮地に立ったとき「何とかならないか」と神頼みすることは、変なことではない。本能として「祈る」という行為が個人に根付いていることの証かもしれない。

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そんな祈りと、杉本栄子さんの祈りを重ねて良いのかと逡巡もしたが、それはきっと許される行為ではないかと僕は思う。

その静謐さを想像するだに身が引き締まる思いもするけれど、「祈る」という行為に上下も優劣も存在しないはずだ。

とはいえ、現代に生きる人たちは、少しずつ「祈る」ことから乖離してしまっているのではないだろうか。そう思わざるを得ないこともある。

なぜ、祈るのだろうか?

その問いに、自分の言葉で答えられる人はそう多くはないだろう。

祈る意味とは何か?と問いを少しズラすだけで、途端に、「祈る」という行為が無粋なものに感じられてしまう。意味とか価値とか、市場原理の中で思考してしまう癖がどうしたってある。(同じような無粋な問いに「小説を読むことはビジネスに役立つのか?」なんてのもある)

近内悠太さんの著書『世界は贈与でできている』でも書いたが、ずっと昔から、資本主義や市場原理の文脈では語られないことがきちんと大切にされていた。

「祈る」という行為が、その、古き良きものを思い出させてくれるかどうかは分からない。そんな期待をすることさえ野暮なことだとも思う。

けれど、3.11の今日だけは、野暮な問いから始めてみても良いんじゃないか。世の中には、忘れてはいけないことが絶対にあるのだから。

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