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名匠アニエス・ヴァルダが、映画を通して伝えたかったこと(映画「顔たち、ところどころ」を観て)

アーティスト同士のロードムービー。

旅でフランス各地を巡る中で、ひょいっと作品を作り上げる。ありそうでなかったドキュメンタリー映画。

しかも、フランス映画界のレジェンドであるアニエス・ヴァルダと、世界的に有名な若手アーティストのJRという組み合わせ。祖母と孫ほど歳の差が離れているふたりのやりとりは、アーティスト論というよりは、人間の内面に触れるような会話が多かった。

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ふたりの共作という触れ込みだが、ベースとなるのはJRの写真技術だ。

そもそもヴァルダは身体の衰えを隠せず、特に目は霞むなど視力低下に悩まされていた。歩き、旅をすることはできるが、手足に関しても繊細な動きは取れない。JRが陰ながらサポートする場面もあるのだが、本作の大半は、JRが生み出す表現をヴァルダが目を細めて見守っているというような構図だった。

そんな中でも「ここに写真を貼りたい」「裸の写真を載せたい」という、ヴァルダは自らの美意識をJRに伝える。JRは「イケてないよ」と冷たいが、会話を交わしながら、徐々にふたりのビジョンが結実するような作品も生み出されるようになる。僕はもともとJRの作品が好きだが、そこにヴァルダという物語が加わることによって、作品が違った見え方になっていく。贔屓目といえば、それまでなのだけど。

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ヴァルダの足を引き伸ばした写真を、列車に貼る。

「教えて、なぜ列車につま先を?何か目的があって?」と、観衆に問われる。やや野暮だが、真っ当な質問だ。88歳の老人の足、巨大に引き伸ばしたものを、なぜ列車に貼らなければならないのか。貼らずにはいられないのか。

ヴァルダは回答する。

目的は想像力かしら。JRと私は自由な発想から──物事を想像し、問いかける。“想像力を働かせてる?”って。想像力は人と関わるもの。だから皆と写真を撮るの。そうすればあなたと交流し──奇抜な発想を実現できる。その楽しさを分かち合いたいの。

(映画「顔たち、ところどころ」より引用)

やや抽象的な回答のように思えるだろうか。だが、そこにヴァルダのクリエイティブの本質を見出したのは、僕だけではないはずだ。

「想像する」とは、人それぞれに許された行為だ。誰も、他人の想像力に干渉することはできない。

だが、その想像力は、日常でのんびり過ごしている中で醸成されるものではない。人と交わり、美しいものを愛で、クリエイションから適度に刺激を受ける。クリエイションを生み出すアーティストは、作品を作ることによって観衆に問いを投げ掛ける。

最近では「スペキュラティブ・デザイン」と独立した領域として見做されることもあるが、おそらくヴァルダにとっては、作品作りにとって必然の行為だったに違いない。

彼女の言葉に違わず、スクリーンを通じて生み出された数々の作品に、僕は「面白い!」と膝を打った。心の奥底の想像力が引き出され、何かを創りたいという衝動にも駆られた。アートとは、かくも強い磁力を持ち合わせる。

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なんといっても見どころは、アニエス・ヴァルダがジャン=リュック・ゴダールに会おうとする場面。

2017年製作の本作。当時は想像もつかなかっただろうが、2年後にヴァルダが、そして5年後にゴダールが亡くなった。そんな2022年の今だからこそ、この映画を観る価値がある。

ヴァルダは、映画を通して何を伝えようとしていたのだろうか。「これだ!」と断言できるほど映画に関する教養はないのだが、人間をピュアに愛するヴァルダの姿は、ただただ希望のように僕の目に映った。

(Amazon Prime Videoレンタルで観ました)

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