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生命よりも「方針」が優先される。(映画「激動の昭和史 沖縄決戦」を観て)

映画「島守の塔」を鑑賞して、改めて沖縄戦について知識を得なければと思っている。いや、知識を得るという言葉は適切でない。沖縄戦について実感を持ちたいというか。

もちろん情報として、正しく認識することが前提だ。だがそれ以上に、77年前、特に弱い立場で巻き込まれた人たちに思いを馳せたい。そういった意味で、岡本喜八が監督を務めた「激動の昭和史 沖縄決戦」は胸が切り裂かれるような痛みを感じる映画だ。(多くの方に観てもらいたいが、序盤からラストシーン夥しい数の人間が死んでいく。刺激が強いので血を見たくない方にはお薦めしない……しかし、それが戦争なのだ)

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戦争によって「死ぬ」パターン

大別すると3種類となる。

まずは、敵によって殺されること。軍隊に所属していたら、降伏しない限りは問答無用で敵の銃撃に遭うだろう。

次に、味方によって殺されること。軍隊の方針に逆らい、味方を危機に陥ったと判断されれば殺されてしまう。作品の中でも「お前は敵のスパイだな」と疑われて殺されてしまった(事実誤認だった)。また幼い子どもが、親の自決の巻き添いを食らって死んでしまうシーンもあった。家族によって生命が奪われる戦争は、やはり悲劇でしかない。

最後は、自分によって殺されること。いわゆる自死ということだが、作品の中で数多くの自死のシーンが描かれており、これが本当に観ていてしんどかった。(映画「島守の塔」では描かれていなかった)

当時は手榴弾が安価で入手できる武器だったのか、敵目がけて投げるはずの手榴弾を抱え、数人が集まって自決に至る。不幸なことに(といって差し支えないだろう)死に切れなかった人たちは、お互いに棒切れなどで頭を叩き合ったり、剃刀などで首を切ったり。スクリーンから伝わってくる痛みに、何度も目を背けてしまう。

そして大事なことは、戦争は死を回避するための絶対的な手段はないということだ。内部の同調圧力で生き永らえることが「恥」だと見做されることもある。攻撃を辞めて戻ってきた兵士は、上官に引っ叩かれて、また戦場に戻っていく。そこにはどんな選択肢も残されていない。逃げ場がないのだ。

生命よりも「方針」が優先される

当時の沖縄県知事、島田叡が軍の戦略に異を唱えるシーン。「島守の塔」では、その場には二人の軍人しかいなかったが、本作では軍人会議の真っ最中であり、そこにはズラッと主要幹部が集められていた。

県民の犠牲を最小限に留めるべく、民間人も軍と一緒に行動を共にしたいと訴える島田。しかし「北へ行け」とにべもなく伝える。機密会議だからと退席を命じられ、納得いかない表情の島田に対し、牛島中将は「軍の方針なんだ」と伝えるのみだった。

ちなみに北へ行くためには、アメリカ軍が占拠している場所を通らなければならない。それは死を意味する残酷な意思決定だったが、軍の言い分は「日本本土のために少しでも時間稼ぎをする」だったから、足手まといになる民間人は同伴できないというロジックだった。

いまも「経済か生命か」という二者択一で訴えてくる為政者がいる。二者択一の問いがおかしいにも関わらず、「経済が回らないと生命だって助からない」というロジックを押しつけてくるのは本当に辟易とするのだけど、沖縄戦の残酷な方針と似たようなものを感じるのは僕だけだろうか。

「方針」は本当に正しいのか。みなの合意が取れているのか。

世の中の空気によって大勢が決まっていく日本社会を象徴するようなシーンだった。

実際に、戦争が行なわれている世の中で。

忘れてはいけないのは、現在も戦争や武力紛争が各地で起こっているということ。行なわれていないにしても、極めて高い緊張関係が続いている対立も散見される。

報道に接すると、どんな戦争も、非人道的なアクションは避けられないと感じる。兵器が高度化しても、民間人の犠牲が避けられた試しがない。弱い立場の人たちが真っ先に苦しむことになる。本当に愚かしいことだ。

仮に停戦や和平が行なわれているにせよ、戦争に完全な「終わり」というものはない。映画「戦争と女の顔」では、女性兵士として従軍し、日常生活に戻ってきた女性たちの苦悩が描かれた作品であり、戦争が終わっても戦争の影響に苦しめられる人というのはたくさん存在する。

田原総一朗さんもnoteで、戦後の叔父の様子をリアルに記述している。

母方の叔父は出征し、
命は助かったものの、
帰還後、精神を病んだ。
母がお見舞いに行くと、
叔父は直立不動で敬礼し、
自分に「休め」と号令をかけてから、
話し出したという。

(田原総一朗note「8月に誓う、「日本を『戦争ができる国』にしない」」より引用)

戦争とは、終わらない。当人も苦しみ続けるし、人々の憎しみも生んでしまう。始まってしまったロシアによるウクライナ侵攻だが、仮に停戦したとしても、長くウクライナの人たちはロシアのことを恨み続けるだろう。その恨みに対して「平和にいきましょう」なんて言葉をかけることは僕にはできない。

戦争は、絶対に、始めてはいけないのだ。

合憲的に、合法的に、戦争ができる国にしてはならない。安全保障の議論とは全く別の次元で、平和を祈り続ける意義を僕は訴えていきたい。

そのために、かつて日本が犯してしまった戦争による加害と被害の両方に、真摯に向き合っていきたいと思うのだ。

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Amazon Prime Videoでは間もなく配信終了となるようです。諸事情あるかもしれないのですが、せめて8月は、こういった作品がしっかり観られる環境を整備してほしいとサービス側に求めたいところです。

(Amazon Prime Videoで観ることができます)

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