8月に誓う、「日本を『戦争ができる国』にしない」


また今年も8月がやって来た。
終戦の年、私は11歳だった。
「この戦争は聖戦だ。
アジアの捨て石になれ、
君らの寿命は20歳だと思え」と、
教師たちに繰り返し教えられ、
私もそう信じていた。
 
第二次世界大戦で、
私の従兄弟2人が命を落とした。
母方の叔父は出征し、
命は助かったものの、
帰還後、精神を病んだ。
母がお見舞いに行くと、
叔父は直立不動で敬礼し、
自分に「休め」と号令をかけてから、
話し出したという。
 
私はこの話を思い出すたび、
切なさに胸が痛む。
戦争というものは、
命を奪い、また人間性をも破壊する。
決して戦争は起こしてはならない、
と強く思うのだ。
 
ロシアとウクライナでも、
いま多くの人たちが、
戦争に巻き込まれている。
停戦の糸口は見えず、
日々人の命が、
理不尽に失われていく。
 
先日、元外交官で作家の佐藤優さんと話す機会があった。
ご存じのように、佐藤さんは、
長年在ロシア日本大使館に勤務した、
ロシアの専門家だ。
「即時停戦しなければなりません」
佐藤さんは言った。
私もまったく同感だ。
 
誤解しがちだが、
停戦と和平は違う。
和平は勝ち負けをつけなければならないが、
停戦は結論を出さず、
攻撃を止めて交渉に切り替える。
失われた命は二度と戻ってこない。
まずは殺しあいをやめるのだ。
 
佐藤さんも私も、
非常に懸念していることがある。
戦争をゲームのように捉えている人が、
明らかに増えていることだ。
これは当事者だけでなく、
メディアや評論家などもそうである。
 
人が死ぬことにリアリティがないから、
無責任に戦いをあおる。
私は戦時中の日本の新聞を思い出す。
毎日勇ましい記事ばかりだったが、
虚報だらけだったのだ。
今でいえばフェイクニュースである。
 
佐藤さんは1960年生まれで、
戦争体験はないが、
バルト諸国、中央アジアの内戦で、
人が死んでいくのを目の当たりにした。
また、沖縄戦を体験した母や、
通信兵だった父から、
戦争の話を聞かされたという。
 
戦争とはどういうものなのか、
人が死ぬとはどういうことなのか。
私はあの戦争を知る最後の世代として、
体験を語り継がねばならない。
そして、身体を張ってでも、
日本を「戦争ができる国」
にしてはならないと強く心に誓っている。