見出し画像

フェミニストの先駆者の問題提起は、今もイキか。(桐野夏生『オパールの炎』を読んで)

先日のnoteに続き、桐野夏生作品を。

最新作『オパールの炎』は、ピル解禁を訴えたフェミニスト・塙玲衣子をめぐる物語。だが当人は「行方が分からない人」ということで、ほとんど登場しない。そういった意味で塙は、『成瀬は天下を取りにいく』の成瀬と同じともいえる。

塙不在の中、塙の人物がどんどん立ち上がっていく。決して愉快な立ち上がり方ではないけれど、ページを繰る手が止まらなくなる。これもまた桐野文学の魅力といえるだろう。

『オパールの炎』
(著者:桐野夏生、中央公論新社、2024年)



──

塙は正義の人か

特定の人物を取り上げて、正義か否かを決めるのは難しい。難しいというより、ナンセンスといっても過言ではない。「正義」なんてものは、どこに立脚するかによって変わるものだからだ。

パートナーである男性によって不遇の扱いを受けていた女性が、塙を頼り、男性の不義を糾弾していく。その過激さはセンセーショナルな評判を生んだが、副作用も大きい。

自らの生き様を肯定しつつも、副作用の大きなに「正義の人」は後年、後悔もする。そんな晩年を、私たちはどのように評価すればいいのだろう。

歳をとること

登場人物は、だいたい高齢者だ。

70〜80代がメインで、仕事を引退してささやかに暮らしている人たちが多い。そんな彼らが恨みを抱えていたり、折り合いをつけられていなかったりする様は、言葉を選ばずにいうと醜い。ただ、その醜さはミラーリングで私にも返ってくるような不吉な予感も漂う。

塙玲衣子という「正義の人」の副作用は、本人のみならず、周囲をめちゃくちゃに巻き込んでしまう。それは破壊力のみならず、社会が「臭い物に蓋をする」形で、塙の問題提起を未だに無視し続けている証左でもあろう。

だからこそ現代のフェミニズムを描いてほしかった

塙が全盛を極めた時代は、1970年代頃だろう。フェミニストの先駆者という扱いだが、ある程度フェミニズムについて学んだ者にとって塙の生き方は原理主義に近い。時代背景として止むを得ない人物の描き方だけれど、2024年に原理主義的なフェミニストを描くことはいささか疑問である。

桐野さんはおそらく、現代を舞台に真っ向からフェミニズムを描くこともできたはずだ。無論、フェミニズムは女性だけのものではない。今なお、男性 対 女性のような切り口でフェミニズムが語られるが、もともとフェミニズムとは性別と何ら関係がない。全ての人々が平等な権利と機会を持つべきだという考えに基づいているため、男性でもフェミニストを語ることはできる。

そういった意味で、この物語のスコープは狭い。

2024年を踏まえた構造かもしれないが、名うての小説家には、もう少し先の未来を見据えた物語に挑戦してもらいたかった。

──

「男性もフェミニストである」ということを端的に著したのが、チェ・スンボムさんが2021年に書いた『私は男でフェミニストです』です。

男性はフェミニズム/フェミニストについて学べないのか?そんな素朴な疑問に応える名著だと思います。

#読書
#読書日記
#読書記録
#読書感想文
#読書レビュー
#オパールの炎
#桐野夏生 (著者)
#中央公論新社

この記事が参加している募集

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。