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僕が知っているウクライナ

ウクライナが悲しいことになっている。実は、僕とウクライナのかかわりは「全くない」というわけでもない。ウクライナについて僕なりに紹介できること、そして個人的な思い出について書いてみることにする。

ポーランドとウクライナの音楽コネクション

音楽ライターとしての僕はポーランドの現代ジャズが専門分野だが、隣り合う国同士ということもあり音楽面でも(特にポーランド側に)コネクションがあるのだ。

音楽雑誌「CDジャーナル」2016年3月号では「ポーランド+ウクライナ・ジャズ」という4ページ企画の選盤・執筆をさせていただいた。この特集はページデザインも良かったし、今はもう退社された担当編集Yさんも「良い思い出です」と仰っていたもので、僕としても記憶に残る仕事だった。

記事の内容はポーランド、ウクライナそれぞれのジャズ・シーンに触れたうえで両者のかかわりについても紹介し、両国の「今」とそのコネクションを知るための作品を10枚ピックアップ。
(紹介したウクライナ人アーティストの例↓)

特集ではさらに、発売されたばかりのあのスワヴェク・ヤスクウケ『Sea』と、前年2015年末にリリースされたウクライナのベーシスト、コンスタンチン・イオネンコの『ノエマ』(ともにコアポートからの発売&僕がライナー執筆)を紹介するために、両者のインタビューも掲載。

スワヴェクはおそらくこれが日本の音楽メディアにおける初インタビューだったと思うし、ウクライナのジャズ・ミュージシャンについては今でも情報が少ない環境なので、イオネンコのものも依然として価値があると思う。ご興味がある方はネットなどで探してバックナンバーを購入してみてください。

ダガダナとバブーシュキ

上でポーランドとウクライナの音楽シーンにはコネクションがあると書いたが、その象徴となるようなユニットが2つある。Babooshki バブーシュキDagadana ダガダナだ。両方とも両国のミュージシャンが集まって結成したもので、どちらにもヴォーカリストで鍵盤奏者の女性ミュージシャンDana Vynnitska ダナ・ヴィンニツカが参加している。

ダガダナは当初ハイセンスなミクスチャー・ポップという感じのサウンドだったのだが4th『Meridian 68』あたりから一気にトラッド寄りに変化し、ポップ・フィーリングはそのままにワールド・ミュージック感いっぱいの音楽に。同作は国内盤もリリースされ、各所で高く評価された。

後日メンバーのヴォーカリストDaga Gregorowicz ダガ・グレゴロヴィチと会った時に教えてくれたのだが、ダガとダナの衣装(特に被り物)はポーランドとウクライナの伝統文化をミックスさせたオリジナルなものを作っているとのこと。その鮮やかな美しさについては動画を見てもらったほうが早いだろう↓。ちなみに、黒髪の方がダガで金髪がダナ。

一方のバブーシュキのほうは、僕がどこでも挙げまくるのでもう食傷気味の方もいるかもしれないが、2nd『Vesna』が僕の個人的オールタイムベスト10の1枚で、とにかくぜひ1度は聴いてみていただきたい傑作なのだ。

90年代以降の中欧音楽ディスクガイド『中央ヨーロッパ現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド』(DU BOOKS)を監修したのもこの作品を紹介したかったからと言っても過言ではない。コンピレーションCD『ポーランド・リリシズム』(コアポート)でも1曲収録した。
(VesnaのSpotifyリンク。なぜか曲順がむちゃくちゃになっている)

先日、2月7日に亡くなったズビグニェフ・ナミスウォフスキの追悼記事↓を書いた。ポーランドとウクライナの民謡をカヴァーしたバブーシュキの音楽は、同記事中で触れた「民謡ジャズ」の最良の例でもある。中でもVesnaは音楽自体もすばらしいし、音楽ライターとしての僕に「この作品を何としてでも日本に紹介しなければ」という強いモチベーションを与えてくれた作品でもある。

入口はポーランドのジャズだったものの、個人的に大切な作品の中に、ウクライナの伝統音楽の要素やウクライナ人の優れた資質が色濃く反映されていたということになる。だからある意味ウクライナという国の文化に大いにお世話になっていたと言うべきだろう。

ウクライナ関係のジャズ・レジェンド2人

ソ連時代から活躍する、ウクライナがらみのジャズ・レジェンドが2人いる。2人とも強烈な個性を持つミュージシャンで、いわゆる「共産圏ジャズ」ファンにとっては無視できない存在だ。ウクライナという国を知るために、ということで一応ここでもご紹介しておく。

Enver Izmailov

ギタリスト。ファミリーネームはIzmaylovと書くことも。この人は音楽リスナーとしての僕にとってのヒーローの一人。音楽性もさることながらその演奏スタイルがあまりに独特かつすさまじいので、ぜひ一度は聴いて欲しい人。専門用語で言うと「ダブル・ハンデッド・タッピング」ということになるが、とにかく動画を見るほうが理解が早いと思う。エレクトリック・ギターという楽器に新しい地平を拓いた偉人だ。

彼はウズベキスタン出身だが、ウクライナのルーツを持っている(*)。だいぶ前にウクライナのクリミアに移住したということになっているのだが、ロシアがらみでごたごたあった後も住んでいるのだろうか。彼の音楽もまた民謡ジャズの一種で、ウクライナやウズベクだけでなくバルカン半島や周辺国のルーツ・ミュージックをベースにしている。
*この辺の事情についてはCDジャーナル2022春号、北中正和さんの連載「海の彼方から音楽が聞こえる」第12回が詳しいのでぜひお読みください。

Anatoly Vapirov

サックス奏者。この人はウクライナ出身のウクライナ人で、今はブルガリアのヴァルナに移住し、現地の音楽VIPになっている。ソ連はジャズ・ミュージシャンが冷遇されていた国で、そんな環境下でも生き残ったソヴィエト・ジャズは独自の輝きを放っている。Vapirovはその中心地にいた人だ。

Izmailovとは違いアルバムが手に入りにくかったこともあり、個人的にはほとんど聴くことがなかった人だったのだが、名前だけは知っていてかなり憧れに近い気持ちを今でも持っている。あらゆるスタイルで吹きこなし、アカデミックなコンポジションもばんばん書く優れたトータル・ミュージシャンという点にも惹かれる。

ソ連ではジャズが冷遇されていたと書いたが、彼がヴァルナに移住したのもその影響があったようだ。詳しくは旧共産圏ジャズ研究で偉大な業績を残している岡島豊樹さんのサイトのページ↓をご覧ください。

僕が想う2人のこと

ウクライナに家族や友人、知人がいる人は、次々と報道される悲惨な現状に心を痛めていることと思う。僕にも2人、個人的に会ったことがあるウクライナ関連の人がいて、その人たちの心持ちを想像して胸がふさがれている。

ダナ・ヴィンニツカ

1人目は上で触れたバブーシュキ/ダガダナのダナだ。僕は2014年にはじめてポーランドに取材に行ったのだが、その時彼女と奇跡のような出会い方をした。

僕はその昔あるレーベルの雇われプロデューサーみたいな仕事をしていたことがある。ポーランドの現代ジャズを国内盤仕様輸入盤の形でリリースするというコンセプトのレーベルで、カタログ最終作はバブーシュキのVesnaだった。その関係でバブーシュキ側とも何度かやりとりしたので、ダナは僕のことをある程度知っていた。ただ直接彼女自身とやりとりしたことはなかった。

取材の一環で南西の大都市ヴロツワフで行われたJazztopad Festivalの関係者ツアーに同行した時のこと。Agoraという文化センターが会場で、コンサートホールの座席に座る時、後ろにかけていた女性と少し目が合い、どこかで見たことがある人だなと感じた。僕の席の周りには音楽関係者がちらほらいて、開演前にその人たちと片言のポーランド語であいさつなどした。

演奏が何組か終わり、出演者たちと一緒に併設のカフェでランチを食べようということに。するとさっき目が合った女性が話しかけてきた。「あなた、ヨシノリ(僕の本名)でしょ。ポーランド語であいさつして名乗ってたのを聞いてビックリした」と言う。

なんと彼女がダナ・ヴィンニツカだった。彼女はたまたま見に来たのだと言う。当時の僕にとって一番大事なアルバムのメンバーと、コンサート会場で偶然出会う。こんなことってほんとにあるんだ! ダナもそう思ったそうだ。

彼女はその場でバブーシュキの相方であるKarolina Beimcik カロリナ・ベイムチクに電話をかけてくれ、カロリナともはじめて直接会話をすることができた。ダナはその時妊娠していて、しばらく前からお産のためにより良い環境のヴロツワフに住んでいるのだと言う。

この時のことは、今ふりかえってみても胸がポカポカとなる大切な思い出の一つ。カフェではダナと僕と、その日のコンサートにStoryjoというトリオ名義で出演したピアニスト&作編曲家のNikola Kołodziejczyk ニコラ・コウォジェイチクの3人が同じテーブルになり、2人の音楽談義を聴きながらポーランド料理をほおばるというぜいたくな時間が持てた。

二コラとはそれ以降仲良くなり、のちのワルシャワ取材時に僕を自宅横の寝泊まりができる音楽スタジオに5日も滞在させてくれることになるのだが、それはまた別の話。
(二コラ作編曲・指揮によるジャズ・オーケストラの傑作↓)

とにもかくにも、その時のダナとの奇跡のような出会いの思い出は僕にとってとてもとても大事なもの。あの時の彼女の笑顔を思い出し、そして今の彼女の気持ちを想って、暗い気持ちになってしまう。彼女自身はおそらく今もポーランドに住んでいると思うが、家族や友人がたくさんウクライナにいるはずだ。

ロマン・フラニウク

2014年の初ポーランド取材時にはもう一人ウクライナがらみの人と会った。ベーシストのRoman Chraniuk ロマン・フラニウクだ。それもまたヴロツワフのJazztopadでのこと。確か彼が出演するんだったか何だかで、別会場のミュージック・カフェで会うことにした。彼はその当時僕が大好きだったアルバム(Julia Sawicka Project『More Breathing Space』↓)でベースを弾いていたのだ。

ただ、僕らはお互いの見た目を全く知らなかった。2014年当時の僕はSIMについての知識があまりなく、持って行ったアンドロイドのネット通信はフリーWi-Fi頼りだった。ところがロマンと会うはずのカフェではうまくつながらず、ちゃんと会えるかどうか不安になってきた。周りにいたミュージシャンたちに「ロマンと会いたいが誰が彼かわからん」と訊きまくり、ようやくご対面。

教えてくれた人が「あの黒髪の、ひょろ長い奴だよ」と言っていた通り、眼鏡をかけスリムな長身のロマンは、ポーランド人にしては少し変わった顔立ちをしていた。あとで「僕はウクライナ人のルーツを持っているんだ」と教えてくれた。

その時の彼との会話も、思い返しては顔がほころんでしまう。彼がセーラームーンにハマった話とかしてくれて、とても楽しい時間だった。しかもロマンはホテルまでの30分の道を、一緒に歩いて送ってくれた。自分にウクライナの民族の血が流れていること、そしてその文化を自分なりに大切にしていると教えてくれたのはその道すがら。

ロマンとはそれから取材のたびに顔を合わせていて、フェスのチケットを買い置きしておいてくれたり、新作をくれたり、のちに結成したバンドのメンバーを紹介してくれたりした。そのバンドSkicki-SkiukはジャズフェスJazz nad Odrąのコンペティションで優勝し、今では期待の若手グループの一つに数えられている。

ウクライナのルーツを大事にしたいと語っていたロマンは、ベラルーシ出身で同国およびポーランド、ウクライナのルーツを持つ女性ヴォーカリスト、ヴァイオリニストのUlyana Hedzik ウリアナ・ヘジクのアルバム↓にも参加。こちらは3国のトラッドの要素を濃厚に取り入れた民謡ジャズの傑作になっている。

ロマンはしゃべり方はけっこうヘラヘラしていてチャラい感じに見えなくもないのだが、中身は実は熱い奴というギャップ系男子。FBの投稿を見るとウクライナ東部を占領したロシア系勢力に対する抵抗を続ける人たちの立つ戦線に、物資の支援などをしに行っているようだった。彼のウクライナ愛は本物なんだなと感じたことをおぼえている。

FBは今はもう見ていないし、それも数年前のことなのだが、今回のロシアのウクライナ侵攻があって、彼がまた危険に身をさらしてウクライナのために動くのではないかと僕は心配している。

今回の侵攻が教えてしまったこと

最後にちょっと個人的な見解を書く。まったくの思い込みだし、完全な独りよがり。現代史に詳しいわけでもないし「じゃあどうすればいいの」と突っ込まれれば答えにつまるような話でもあるので、そういうのは読みたくないという方はここでやめていただいたほうがいいと思う。

今回のロシアの、と言うよりプーチンの暴挙には当然怒りがわいたし、イライラもさせられるのだが、同時に僕はアメリカやNATO加盟国などに対しても怒っている。

「結局止められなかったじゃないか」という気持ちが強いのだ。核や軍事力の保有が抑止力になり、最悪の戦争を止められるのだといつも言っているくせに、実際には止められていない。

ロシアの侵攻が起こってから後出しで「侵略だ」「許さない」「責任を取らせる」と息巻いているけれど、ほんとうはそこにいたる前に何としてでも止めることこそが大事だったはずだ。それができなかった人たちが許さないと言ったところで、いったい今のプーチンに対してどんな効き目があるのだろう。言うなれば「許さない力すらない」のだ。

米軍が去った後のアフガニスタン、そしてミャンマーのクーデターの時もそうだったが、ここ数年「やったもん勝ち」な状況が続いている。ある程度の武力、軍事力を持った集団が一度血を流すことを決意したら、ほとんどの場合泥沼になるまで止められないのだ。

しかも今回は一国内に留まらず国境を越えた侵略行為。強大な軍事力を持ち、平和への理念を持ち、団結力を持った国々が存在しても、今回のロシアのような行いはなかなか止められないという「現実」を見せつけてしまった。

ウクライナの平和が一時も早く復活することを願っているし、犠牲もできるだけ少なく済むように祈っているけれども、同時に今回のことで「止められない」ことを学んだ国が同じような軍事作戦を始め出すんじゃないかと想像し、暗い気持ちになってしまう。

戦争という「殴り合い」においては、ルールを守らない側のほうが強い(少なくとも先手を取るという意味においては)という例を、ロシアが作ってしまった。自衛のため、そして平和の実現のためと謳い、莫大な予算とマンパワーを注ぎ込んで自国軍を保有している各国(特にアメリカ)は、そうしたリアルに対して実はかなり無力だということを見せつけられてしまった。だとしたら、軍のために割かれている力と時間は、いったい何のためなのだろう。

経済制裁とか言ってるけど、結局困るのはロシア国民だ。また、侵略行為の駒にされているロシア軍兵士もある意味気の毒だと思う。兵糧攻めはプーチン個人をターゲットにしないと意味がない。

僕は「明日もこれからも飯が食っていける」という確信は最強の心理的後ろ盾だと思っていて、その保証がある限り人はどんどんリミッターを外せるし、人道にもとる行いにも手を染められる。

正直言って「明日食う金もない」(けど心を改めればその限りにあらず)という状況にプーチン本人を追い込まない限り、もう止まらないのではないか。そんな気がしている。

もちろんNATO軍などがロシア軍を制圧することでも実現可能かもしれないが、それはつまりウクライナがより大規模な戦場と化すということと同じ意味だ。事態の収拾にはなるかもだが多くの民間人が死ぬだろうし、故国を捨てて逃亡したあとだろう。それは少なくとも「平和」ではない

ダナやロマン、ウクライナの人々を想うと胸が痛む。そして「止められない」というリアルは決して日本の僕たちとも無縁ではないということを想うと、背筋が凍る。

ウクライナの平穏な日常が、一時も早く戻ってきますように。最後に、最初のチャプターで紹介した、かつての雑誌の特集のインタビューからウクライナ人ベーシスト、コンスタンチン・イオネンコの言葉を引く。

「ロシアとの関係はどんどん悪化して、音楽の世界にも影響を与えている。外国のミュージシャンと共演するコンサートやプロジェクトの企画も難しくなった。戦争は、とにかく良くないよ。でも一時的なものだと僕たちは信じている。その代わり、芸術は永遠だ」

コンスタンチン・イオネンコ、CDジャーナル2016年3月号


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