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作…エドワード・ゴーリー 訳…柴田元幸『蟲の神』

 子どもをさらわれた人々の苦しみを描いたであろう、恐ろしい絵本。



 ※注意
 以下のレビューには、結末を明かすネタバレを含みます。
 また、残酷な描写を含みます。



 公園でひとりで遊んでいた子どもが車で連れ去られるところから、この絵本は始まります。

 もしも、子守が子どもから離れなかったら…。

 もしも、子どもをさらった車が走り去ることに村人たちが気づいてくれていたら…。

 もしも、家族が世間体を気にして時間をいたずらに経過させず、もっと早く警察に相談していたら…。

 どんなに「もしも」を繰り返して、どんなに嘆き、怒り、恨み、涙を流しても、いっこうに子どもは帰って来ません。

 身代金を要求するような犯人からの連絡もなく、警察が必死に探してもまるで手がかりなし。

 この絵本は身の毛もよだつ最悪の結末を迎えます。

 子どもをさらったのが、蟲の神に仕える蟲たちだったからです。

 蟲たちは、罪深い儀式に向けて胸を高鳴らせます。

 子どもは気を失わされ、衣服を剥がされ…、蟲の神に生贄として捧げられます。

 この絵本に登場する蟲たちは4本脚のものもいれば、6本脚の蟲もいます。

 どの蟲も、まるで人間の大人のような大きさ。

 蟲は「おぞましいもの」を表す
、と解釈できます。

 6本脚の蟲はおそらく本物の虫。

 4本脚の蟲は…おそらく人間でしょう。

 わたしはこの絵本の作者エドワード・ゴーリー本人ではないので断言は出来ませんが、おそらくゴーリーは、自分より明らかに力の弱い存在にしか神気取りの全能感を味わえない子ども狙いの犯罪者のことを皮肉ってこの絵本のタイトルを「蟲の神」と名付けたのかもしれません。

 おそらく子どもは蟲の神の生贄となった後、本物の虫たちの生贄となります。

 …最悪です。

 最悪なのだけれども、教訓に満ちた絵本なので、是非多くの方に読んで欲しいです。

 子どもをひとりにしないこと。

 不審者や怪しい車などに対し、無関心にならないこと。

 事件が起きたら世間体を気にしている場合ではなく、速やかに警察に知らせること。


 保護者だけでなく、周囲の人々みんながこれらの教訓をもとにきちんと対応出来ていれば、この絵本に登場する子どもは無事に家族のもとへ帰れたかもしれないのです。

 でも、もはや戻れない。

 どんなにみんなが待っても、子どもを帰してはもらえない…。

 …現実世界においても、この絵本のように、行方知れずになった子どもは世界中に沢山います。

 ちょっと目を離した隙に子ども自らがどこかへ行ってしまったり、誰かが悪意をもってさらったり…理由は様々。

 どうか現実世界では、一人でも多くの子どもが無事に帰って来ますように…。

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