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受け取ることと与えること。

もうすぐ2022年も締めくくり。

クリスマスのプレゼント
お正月のお年玉
夜更かしできる冬休み
お出かけや旅行…

子どもにとって、1年のなかでも心がわくわくするイベントが盛りだくさん。

その準備やら段取りをするご両親はとっても大変ですよね。
でも、子どものきらきらの瞳や笑顔をみたら
疲れも吹っ飛んでしまうのでしょう。

今日はクリスマスにちなんだ私の話をしたいと思います。
タイトルにある通り、
受け取ることと与えることについても。

⁑私の人生にはサンタなんていない


12月生まれの私の誕生日は、
同じ誕生月の母と兄と一緒にお祝いするのが通例でした。
しかも、クリスマスと一緒に。

友だちは、年に2回お祝いがあるのに。
プレゼントも2回もらっているのに。

自分はなんて損をしているんだろうと
自分の誕生日を好きになれなかった記憶があります。


そんな沸々とした感情を
親にぶつけることができていたら
少しは違ったかもしれません。

私はその感情を、“仕方ない”と諦めることで
自分を納得させようとしていました。

うちの実家は自営業で、経済水準が低いわけではなかったのですが
お祝いごとをする風習があまりなく
誕生日はケーキを食べるだけでした。


今思うと、育児疲れしていた母は、
もしかしたら時間と手間のかかるイベントを
切り盛りする気力すらなかったのかもしれません。

親にプレゼントをねだったこともない気がします。
「みんなとうちは違う。うちはうち」と
言われるだけだと分かっていたから、
諦めるという選択肢しかなかったのです。

ある日、学校でこんなことがありました。
クリスマスが近づく頃。
小学校中学年の時だったと思います。

「去年サンタさんにね、枕元にお手紙を書いたら
欲しかったプレゼントをくれたんだよ」

友だちが嬉しそうに話していました。

それを聞いた私は、
(そうか、サンタさんに手紙を書けばいいのか。
もしかしたら手紙を読んでくれるかもしれない!)と、

ノートの切れ端に欲しいプレゼントを書き、枕元に畳んで置いて
密かな期待を込めて眠りにつきました。


朝起きると
枕元には自分で書いた手紙は、そのまま残されていました。
プレゼントも、どこにもありませんでした。


そりゃそうです。
これが欲しい、って言ったことなんてなかった。
親は私の欲しいものなんて、知る由もありません。


その時から、
ああ、もうプレゼントが欲しいなんて
思わないようにしよう。

うちにはサンタなんていないんだ。

と冷たくなっていく心に刻み込んだのでした。

今では「親ガチャ」なんて言いますけど

生きてきた環境で刷り込まれていく
当たり前の呪いって、怖いですよね。

「誰のおかげでメシが食えると思ってんだコノヤロー!!」
と罵声をあげていた父。

たびたび夫婦喧嘩のなかでそのフレーズを聞かされていた私は

人に頼らずに自分の力で稼ぐ力をつけなければと思うようになり、
勉強を頑張って、いい大学に入って
バリバリ仕事をすることを目指しました。


自分の欲しいものは
自分でどうにかする

人をあてにしないで
自分で考える

あの悲しみに暮れた、
涙で濡れた母の顔を思い出していました。

いつも母の背中には、淋しさが滲み出ていました。

こうして、貰うこと・受け取ることについての練習をしないまま
私は大人になっていくのでした。

⁑ただ受け取るだけ、の難しさ


「今日はいいよ、ご馳走する」

お会計の時、財布を出そうとする自分に
男性が優しく伝えてくれる時。


あなたは、どんな感情になりますか?


どうでもいい男だったら、タダ飯ラッキー!
とか?笑

いいなと思っている人だったら、この人優しいなって
もっと好きになってしまう?



私はというと、

ああ、なにかお返ししなければいけない
あと何回かご馳走されてしまったら
身体で返さ・・・

とかいうくらいまでに
非常に歪んだ思想をもっていました。笑


何かをしてもらうこと
「ありがとう」って、喜んで受け取ること

私には、受け取るにも覚悟が必要だった。


受け取ってしまった以上は、返さなければならない。
その行為自体が義務のような感覚にしか思えなかった。


当然、今の旦那と付き合う前にも
同じような感情を抱いていました。

付き合ってからしばらくして
その話をしたら、大爆笑されたことがあったんです。


「なんだよそれ。笑 
もちろんヤリモクの人もいるかもしれないけど、
たいていの男子はただご馳走したいだけだから。
それだけだよ。笑」


「ご馳走したい人だって、だれでもいいって思ってるわけじゃない。
適当な女にはそんなことしないし。
ご馳走したいと思った人なんだから、喜んでよ」


だそうで。


私はなんて歪んだ世界に生きていたんだろうと
自分の過去を呪いました。。。

それから、違和感と戦いながらも受け取る練習をしました。

「プレゼントあげても、なんか喜んでくれないから悲しい」
と言われたこともあった。

ただ私は、どう喜んでいいのか分からなくて。


笑顔で喜ぶこと
嬉しい、ありがとうと素直に表現すること


たったこれだけなのに
ものすごく難しくて、でも自分を変えたくて
心が揺れ動いた時に、素直にその気持ちを表現するようにした。


なんで私に良くしてくれるの
なんでこんなにお金を使ってくれるの
なんでお返ししなくてもいいの

ことあるごとに、なんでなんでと聞く私に、

お金を使いたいと思う人だからだよ
大切にしたい人だからだよ
お返しはいらないから、好きなことをして生きる人生を見せてくれ

何度聞いても、同じ答えが返ってきた。


今ではだいぶ受け取ることができたように思います。

笑えるようになったし
嬉しいという感情を素直に表現できるようになった。
それと同時に、悲しいとか嫌という気持ちも
怖がらず伝えられるようになった。


占星術を学ぶようになってから、
ネイタルの8ハウスにこれだけ天体持ってるのに
なんで今まで受け取れなかったんだー。

受け取り拒否してたからこじらせてたんやろーと
突っ込みを入れたのは間違いありません。


実際、受け取れるようになってからの方が
ものすごく流れが良くなって
生きにくさが薄まった気がします。

⁑受け取ることと与えることの循環


世の中は循環システムで成り立ってる。

なにかを与えたい、発揮したい
そう思った時には、受け取ることも同じ量だけ必要。


「受け取るにはまず与えることから」と言いますが、
私は与えることができても、受け取ることができないのであれば
そこで循環が止まってしまうように思います。


与える力と受け取る力
どちらも鍛える必要がある。

与えることが好きな人は、
「私は何かを与えなければ誰からも必要とされない」という呪縛から
解放されために、受け取る練習をする。

受け取る人が好きな人は、
その受け取った愛の温かさを周りの人に分けてあげるために
与える練習をする。


特に女性は受動的性質が強いので
受け取った分だけ幸せになる。
そして、自分から溢れ出した分を周りに分け与えればいい。


あなたが受け取ることで
与えたい人を幸せにしてあげられる。

ありがとう、って笑っていればいい。

なにもしなくても大切にされる存在。
たった、その場にいるだけで
たくさんの愛を与えています。

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