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ぐつぐつ

 河出文庫に「おいしい文藝」というシリーズがある。
 食のワンテーマが設定されて、それに関連する様々な作家の文章が紹介される。例えば、『こんがり、パン』であれば、あらゆる角度からパンが語り尽くされている。
 本の表紙に描かれたイラストも魅力的で、棚に並んでいるのを見かけると、どうしても手を伸ばしてしまう。読んでいると、お腹が空いてくるのはネックだが、それは食欲を唆るほどの名文が収録されている証でもある。

 先日、シリーズ本の一冊『ぐつぐつ、お鍋』を入手する。表紙に描かれた、鍋の中の木綿豆腐・長葱・白身魚は殺傷能力が高く、書店で見かけると手に取らずにはいられなかった。

 本書収録の文章の中で、特に印象的だったのが、北大路魯山人の「鍋料理の話」というエッセイ。美食家として知られる魯山人は、この文章の中で、「鍋料理」を以下のように評している。

「鍋料理ほど新鮮さの感じられる料理はない。最初から最後まで、献立から煮て食べるところまで、ことごとく自分で工夫し、加減をしてやるのであるから、なにもかもが生きているというわけである。材料は生きている。料理する者は緊張している。そして、出来たてのものを食べるというのだから、そこにはすきがないのである。それだけになんということなく嬉しい。そして親しみのもてる料理と言えよう。」
北大路魯山人・文、『ぐつぐつ、お鍋』河出文庫、P110)

 「鍋料理」には「"すき"がない」。この魯山人の着眼点は興味深い。
 私にとっての「鍋料理」は、むしろ、野菜や魚、肉、麺など、色々な食を堪能したいときに食べる「欲の結晶」であったので、"すき"だらけな料理であると感じていた。

 魯山人は「鍋料理」を、懇意な間柄で集まって、和気藹々と楽しむ「家庭料理」であると評しているが、そこでも「工夫」や「こだわり」を忘れてはならない、と説いている。

「私は「鍋料理」の材料の盛り方一つにしても、生け花と寸分ちがわないと思っている。生け花と言うのは、自然の草や木を自然にあるままに活かそうというので、そのためにいろいろ工夫をする。料理も自然、天然の材料を人間の味覚に満足を与えるように活かし、その上、目もよろこばせ、愉しませる美しさを発揮さすべきだと思う。」
北大路魯山人・文、『ぐつぐつ、お鍋』河出文庫、P114)

 花を生けるように、食材を盛る。「生け花」と「鍋料理」に同じ姿勢を求める魯山人の視点は、日々の食へのこだわりが美的生活を形作る、という思想に基づいている。
 実家時代から現在に至るまで、献立に悩んだら、とりあえず「鍋料理」、という食生活を送ってきた身としては、魯山人の思想に触れたことで、より一層「鍋料理」を楽しめるようになったかもしれない。
 近い内に、また「鍋料理」を堪能したいと思う。



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