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消費者
自身が望もうが望むまいが、現代社会で「消費者」であることから逃れることはできない。
余程経済的に余裕がない限り、消費者はできるだけ「安い」商品を望む。商品を安くしようとすれば、その分のコストカットが求められる。そこで筆頭にあがるのが「人件費」だ。
当たり前だが、「人件費」とは人を対象に支払われるお金である。そしてその「人」は、私と同じ「消費者」の一人でもある。
コストカットの煽りを受けた「消費者」は、そのダメージを補うように、さらに「安い」商品を追い求める。そしてそれに応えるために、さらに別の人件費が……。
「消費者」である限り、この負のサイクルからは抜け出せないという現実に気づいたとき、私は我が身に涙した。
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自身の「消費者」観を考えるとき、私がこの世に生を受けてから、成人にいたるまでの、日本の経済状況を無視することはできない。
私が生まれ育った1990年代〜2010年代というのは、お世辞にも日本の経済状況が豊かだったとは言えず、非正規雇用の増加や未婚率の増加など、経済格差につながる要因が放置され続けた。
その中で、一般の消費者に要求されたのは、値段の安さと一定程度の質を同時に求める、「賢い」消費者としての生き方であった。
社会学者で、「消費社会」論を研究する貞包英之(さだかね・ひでゆき)は、上記の「賢い」消費者の中心的な場として「一〇〇円ショップ」の存在をあげている。
「一九九〇年代末から二〇一〇年代初めにかけて、物価の下落が購買力の減退を代償する。こうした現象の中心にあったのが、モノを安価に売るデフレ的ショップの興隆であり、なかでも一〇〇円ショップの人気である。」
(貞包英之『消費社会を問いなおす』ちくま新書、P72)
「一〇〇円ショップの魅力は、「安さ」と「質の良さ」の両者のあいだでバランスをとって「賢く」買い物できることにあるのではないか。ときに「宝探し」と形容されることもあるが、数多くの商品のなかから、質がよくさらに値段もリーズナブルな掘り出しモノをみつけるというゲームを一〇〇円ショップで客は楽しむことができる。そうしてそのゲームを上手くやり遂げる満足感そのものが、一〇〇円ショップの何よりも「売り」になっているのである。
そしてだからこそ、貧困層のみならず、富裕層も一〇〇円ショップをしばしば日常的に利用していると考えられる。」
(貞包英之『消費社会を問いなおす』ちくま新書、P78)
私は「一〇〇円ショップ」の熱心な利用者とは言えないが、何かを購入する際に「これも一〇〇均で買えるのでは?」という考えが頭をよぎるのは確かだ。つまり「一〇〇円ショップ」が、買い物時の一つの基準になっている。
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上記の「一〇〇円ショップ」の隆盛は、自分の肌感覚ともマッチするものであったが、一方で『消費社会を問いなおす』によれば、同時期に「高価なブランド品の流行」があったことも指摘されている。
「デフレ傾向下で安価な商品が大量にあふれるなかで、ブランド品が買うべき商品としての価値をむしろ高めていったことにも注意を払う必要がある。ブランド品とは、他に代用が効かないと認められた商品であり、そのため安価な代替品やコピー品が出回ることで逆説的にもその価値は高められていくのである。
そしてだからこそブランド品を買うことは、「賢い」消費とみなされる。」
(貞包英之『消費社会を問いなおす』ちくま新書、P80)
1990年代後半から、「一〇〇円ショップ」と「ブランドショップ」が、並んで「賢い」消費者の象徴としてブームになっていた事実には、限られたお金の中で、「消費」を楽しもうとする、ひたむきな「消費者」の姿が伺える。
「消費者」に必要以上の試行錯誤が要求されない社会作りを、まずは求めたい。「賢い」消費者であることと、「自己責任論」がセットになっているような社会を、私は望まない。
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