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試行

 自分の好き嫌いに関係なく、色々な物事にひとまず関心を向けてみる。それを容易にしてくれるのが、本・読書だ。
 ……ただ、そこで見知ったことを足がかりに、次は実践へ、と気軽に一歩進めるかというと、そこには大きなハードルがある。知らないよりはましだと肯定的に捉えることもできるが、あえて「頭でっかち」だと否定的な評価もできる。私自身は、「もう少し、実践もしたい」と思っているが、なかなか行動には移せていない。

 我が人間関係を眺めると、まずはとりあえずやってみる、と頭より身体が先に動く友人が当然いる。
 例えば、中学時代の同級生で、理工系の大学に進学した友人Yは、実践を重ねていけば、いずれどんな物事も好きになれるだろうという思考の持ち主で、実際にそれを達成してきた強者である。時々会って話をすると、何かしら新しいことへのチャレンジを始めていて、変化が目まぐるしい。そして、それまでしてきた実践も継続しており、少しだけ摘み食いして捨てるといった下品さもない。

 あるとき、こういう実践人間にも、金言としているような本の中の言葉があったりするのだろうか、と気になって、質問してみたことがある。
 高名な実業家の言葉を拝聴することになるかな、と偏見まじりに身構えていたところ、教えられたのはある映画監督の言葉だった。

「自分が何を捕まえようとしているかについては無知であれ、ちょうど釣竿の先に何がかかってくるか自分でも見当もつかない釣人と同様に。(どこでもない場所から出現する魚。)」
ロベール・ブレッソン著、松浦寿輝訳『シネマトグラフ覚書 映画監督のノート』筑摩書房、P160)

 参照元の本も知らなければ、発言している映画監督のことも知らない。ただ、言葉そのものには、極めて納得感があった。内容の鋭さもさることながら、それを友人Yが金言としていることそのものに。
 何が捕まるかは分からないが、何かが捕まる状態にはしておきたい。この友人の姿勢には、「手当たり次第」という言葉よりも「汎用性」という言葉の方が見合う。様々な実践を通じて、それらに一貫して流れる思想を汲み取り、それを次の実践にも応用していく。

 自分は、特定の魚ばかり目で追っていながら、結局その魚さえ捕まえることができていないのではないか。友人のこの能動性を目の当たりにするたびに、私はそんな風な反省をしてしまう。




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