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貴賤

 私が読書の面白さに目覚めたばかりの頃、純朴に「本好きに悪い人はいない」と思っていた。
 しかし、今は違う。ひとえに「本好き」といっても、その中には、人の命を塵芥のように扱う独裁者もいる。スターリンや毛沢東は、その典型例だろう。彼らを「善い人」と評価するのは、至難の技だ。
 このことは、それこそ本を通じて知り得たことである。独裁者がどのような本を読んできたか。その一点に注目した学術書は、複数存在する。
 現今の私は、「本は誰にでも開かれている」に意見を変えた。読者が子どもであろうと独裁者であろうと、本は読まれることを拒否しない。

 本が誰にでも開かれているのなら、それが置かれている場所、つまり書店や古書店、図書館も、開かれているべきだ。
 この点に関して、一つ作品を紹介したい。

 古書店・芳雅堂の元店主で、小説家でもある出久根達郎に、「書棚の隅っこ」という作品がある。主人公は、『貧乏の研究』という一冊の書物。書物の目線から物語が綴られるというユニークな設定となっている。
 本作の一章「客に貴賤なし」では、主人公の書物が二十年も(売れずに)居座っている、古本屋・奉賀堂。ここの主人がどんな成り行きで古本商売を始めたかが語られる。

「タダ読みする客もこばまない。小学生だからといって拒否しない。貧乏人だからといって、いやな顔をしない。
 店に入ってくる客は、対等に扱う。こんな商売、ほかにあるだろうか。映画館だって、十八歳未満お断り、と制限する。ボロを着て、ゾウリをつっかけて、ホテルに行けば、ヒンシュクを買うだろう。どんな店屋だって、ひやかしの客には冷たい。
 本屋だけは違う、誰でも自由に出入りできる。貧しい者も富める者も、東大卒も小学卒も、資格を問われることはない。
 よし、自分は本屋になる、と私は決意した。」
『出久根達郎の古本屋小説集』ちくま文庫、P69〜70)

 古本屋主人がこのような考えに至ったのは、彼が少年時代に足繁く通った本屋の姿勢があった。お金の無い子どもが、どれだけ店頭で立ち読みしていても、「子どもたちは、将来の客よ」と言って拒まない。
 どんな商売も、提供するサービスに一定の経済的水準を設けているものだ。直接拒絶の意思を表明しなくても、利用者側にハードルを感じさせる。
 だが、多くの書店には、そのハードルが無い。誰でもふらっと立ち寄ることができる。

 現代は、この開かれた空間が、街の諸所から姿を消していっている、厳しい時代だ。自分にできることが何かあるだろうか、と日々考えている。



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