自由
文庫化は再読のきっかけになる。
数年前に読んだ『他者といる技法』が、ちくま学芸文庫の一冊に加わった。初読時は、友人から単行本(日本評論社版)を借りて読んだこともあり、今度こそ手元に置いておきたいと、さっそく文庫版を入手した。
*
再読とは思えないほど、知的好奇心をくすぐられる発見の連続で、驚く。
特に刺激的だったのが、「理解」にまつわる議論。
著者の奥村隆は一種の思考実験として、個人が他者から完全に「理解」される状況を想定し、分析する。
人は、自身の思いや考えが他者に「理解」されないことに不満を持ち、憤る。であれば、他者に完全に「理解」される環境が理想的なのだろうか。
奥村の答えは、否だ。
容易には「理解」に至らないという現実が、私たちの「自由」の源になっているという指摘は、鋭い。
「こころ」で感じていること、頭で考えていることは、言語化して表出しない限り、他者に伝わることはない。第一印象ではマイナスの評価を与えていた人や物が、時間をかけて内奥を知るにつれ、評価がプラスに転じることがある。逆もしかり。瞬時に「理解」されてしまえば、時間の経過による考えの変化は考慮されずに、最初の生理的な感覚だけが「理解」の対象になる。
別の箇所で奥村が指摘するように、自身の考えが外に漏れ出していない期間が存在するからこそ、私たちは「自由」にものを考えることができ、自身の考えの間違いを改める時間が作れる。
人は他者から「理解」されたいと欲しているが、それはあくまで"ほどほどに"なのだ。
※※サポートのお願い※※
noteでは「クリエイターサポート機能」といって、100円・500円・自由金額の中から一つを選択して、投稿者を支援できるサービスがあります。「本ノ猪」をもし応援してくださる方がいれば、100円からでもご支援頂けると大変ありがたいです。
ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?