芸術
2022年1月1日から始めたnoteの定期投稿ですが、無事に2年目もやり抜くことができました。
2024年も1月1日から、定期投稿をスタートします。
今後ともご覧いただければ幸いです。
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一年のはじめに、自身の指針としたい本を、一冊選んで読む。
私はこれを、「書き初め」をもじり「読み初め」と呼ぶ。この習慣については、2023年の1月1日の記事にも書いた。
2024年の目標は、自身の関心領域を”さらに”広げる、この一言に尽きる。
「さらに」を強調したのは、前年も結果的には、類似の目標をもって動いていたからであり、本年はそれを一層意識的に実践したいと思っている。
この目標に見合った本を自分で選ぶのは、なかなか難しい。そこで、大学院生の友人に「私が読まなそうな本を、おすすめしてほしい」とお願いした。
無茶振りであったが、彼はきちっと一冊選び、さらにその本を年の瀬に手渡してくれた。「さすがに読んでないと思う」。そう言って渡されたのは、ジョン・ケージの『小鳥たちのために』という本である。
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『小鳥たちのために』は、音楽家ジョン・ケージと美学者ダニエル・シャルルの対話集。ケージの思想・芸術観を知れる、インタビュー本としても読める。
友人の予想通り、私は本書を読んだことはなく、存在すら知らなかった。ジョン・ケージの著作も、まともに読んだことがない。
読んでいてグッときたところを、一箇所引いてみる。この「論理」「芸術」に対する考え方からは、学べるものが多い。
実社会には、百人いたら百人全員に通じるような、普遍的な内容を志向するものと、百人の中にいる「私には共感者はいない」と考えている一人に届くことを志向するもの、この二つがある。ジョン・ケージの言う「芸術」は、後者に位置付けられるだろう。
前者に求められるのは、誰もが順序立てて中身を理解できるようにするための「論理」である。そこでは、理解の妨げになるようなノイズ(例外事項)は消去され、単純化が目指される。咀嚼しやすい形・柔らかさに成形されていく。
一方、大多数の理解が至上命題ではない「芸術」においては、ノイズ消去も単純化も起きにくい。成形前の素材そのものに触れることができる。
こう見てきたとき、私にとっての読書は、上記の二つを両方とも摂取できる体験としてある。書物には、徹底して「普遍的」であることを目指した哲学書から、孤独感に苛まれている人を元気づけるエッセイまで、多種多様だ。
これだから、読書はやめられない。
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