子供より古書が大事と思いたい|由井緑郎(ALL REVIEWS株式会社 代表取締役社長)
『子供より古書が大事と思いたい』は仏文学者の鹿島茂が1996年に上梓した、同年第12回講談社エッセイ賞受賞作。タイトルは太宰治『桜桃』の冒頭「子供より親が大事、と思いたい」をもじったものである。
という紹介文であるが、違う側面から見ると、古書収集に熱中するあまり、自身の支払い能力を超え自宅を抵当に入れながらも借金を続け、利息を払うため複数のサラ金に日参、家庭を崩壊させながらも古書を買い続ける「狂気の父親」の話だ。本の中で、1980年代のパリの古本屋を連れ回されている2歳の次男が僕である。
どんな因果か、いま僕は日本最大の書肆街・神田神保町に暮らし、本を扱うことを生業としている。愛書狂たちの集う場所を作り、自ら本に囲まれて生きている。ずっと本に生かされてきた。ここまで来たからには、このまま本と共に行くのだろう。
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僕が育った横浜の家は、廊下や階段、寝室やトイレに至るまで、壁面床面すべてが本で満ちていた。「小さい頃から本に囲まれ、さぞ本がお好きに……」なんて話をよくされる。そんなことはない。父である鹿島茂は本に囚われ、本に使役されているような存在であり、本は我が家に膨大な借金をもたらし、僕の家庭環境をハードなものにしたのであるから、僕にとっての「本」とは忌まわしい存在であった。
タンタン、タンタンタン、タン、とキーボードを不定期に打つ音がそして常に家の中にあった。借金は尋常ではないくらい膨れ上がり、と同時に諍いも尋常ではないくらい生んだ。家は決して子供たちにとって居心地のよい場所ではなかった。そこで僕たちは何も聞きたくなかったし、誰とも話したくもなかった。まだ自分の力でどこにも行けなかった僕の行き先は、本の中に限定されるようになった。否応なしに本があった。僕は高校にもなると学校の自分の席に文学全集を積み、授業中だろうが教師を拒むアイコンとしてヘッドホンをつけ、挑発するように本を読んだ。自由に生きられる何者かになるべく、必死に読んだ。
鹿島茂が子煩悩な父であったら、鹿島茂たりえなかった、と今では思う。彼が狂気の求道をやめなかったから今がある。だがそれは結果論であって、強制的にご相伴させられていた家族にとってはその道中は凄惨なものであった。事態が好転しはじめたのは家族の拠点が神保町に移ってからだろうか。だいたい時を同じくして僕も神保町に住み始めた。
僕は鹿島茂のようになりたかった。物心ついた頃から、鹿島茂は日本における最高峰の知性であった。授賞式の壇上で光を浴びながら話す姿は世界でいちばん格好がよかった。しかし同時に僕は世界でいちばん父が憎かった。人間性を本という悪魔に捧げ、家族にも地獄の行脚を強いた魔人だった。僕たちは破綻していた。僕は青年期の大半を自分の中の父・鹿島茂との闘いと自身の再生に費やした。その行程の中で、果たして父に勝つことなど、一度だってなかった。僕は何者でもなかった。
就職をし、結婚をし、子供ができた。父親になることは恐怖だった。子供を正しく愛せるのかわからなかった。僕が子供を抱きしめると、子供も僕を抱きしめてくれた。自分が何者かであることなどもはや必要がなくなった。僕は僕しかできないことだけをすればよかった。鹿島茂と共闘することこそ、僕にしかできないことだった。僕にとっての鹿島茂は、至上のビジネスパートナーとなり、同時に険しい道をともに歩んでくれる、尊敬すべき父親となった。
* * *
僕の子供は書肆街・神田神保町で生まれ、本に囲まれて育っている。いつか僕は子供に言うだろう。
「『PASSAGE』はパピとパパとが、親子で一緒に、とても長い長い時間をかけて作った大事な本屋さんなんだ。本が大好きな人たちが、笑顔で集える場所を、世界一の本の街に作ることができたんだよ」
そうしてこうも言うだろう。「パパは、パピみたくちょっと変わっているところもあるけど、パパは君のことが、いちばん大事だよ」って。
文・写真=由井緑郎
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