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閑さや岩にしみ入蟬の声|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載が書籍化されました。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)(ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。

しずかさや岩にしみいるせみの声 芭蕉

薬師の顔はみちのく人

 元禄二(1689)年旧暦五月二十七日、新庄盆地の南部を占める尾花沢(山形県)で十日間を過ごした芭蕉は、清風ら尾花沢の連衆に勧められて、山寺(立石寺)に参拝する。掲出句はそこで詠まれた。『おくのほそ道』を代表する名句、というよりも芭蕉の生涯を代表する名句である。

 紀行文『おくのほそ道』所載。句意は「何という静けさだろうか。蟬の鳴き声が岩の内部にしみ入っていく」。

 仙台駅で、仙山線に乗り換え一時間ほど乗車、山寺駅下車。ゴールデンウイーク明けの晴れた日の午後である。駅のホームから、立石寺が望める。『おくのほそ道』の本文に書かれている通りの風景である。「岩に巌を重ねて山としたような地形で、松や柏も年数を重ねている」。そして、岩々には小さな仏堂が建てられている。

 駅から立石寺へと向かう道にはいくつかの土産物店があり、なかには山菜を商っている店があった。店先にシドケ、イワダラ、タラノメ、ホソタケ、クワミズ、アマドコロなどが並べられている。見ていると、「食べてけ」と山独活やまうどと缶詰の鯖を煮たものを掌の上に取り分けてくれた。みちのくの初夏の山の幸の豊かさを、味わうことができた。

 立石寺の根本中堂では、本尊薬師如来が開帳されていた。なんと五十年ぶりの開帳であるということだ。厨子の傍らに立つ僧の解説によれば、開祖慈覚じかく大師たいしみずからが桂の大木から刻んだ仏像とのこと。拝すると、優美というより朴訥な男っぽい風貌である。古のみちのく人にまみえた思いであった。

 山門から石段を上りはじめる。看板には「石段をひとつ上ると、煩悩がひとつ消える」と書かれている。たしかに上っていくうちに、気が晴れる。高齢の方々の団体の列の中に入って、上っていく。上からは、揃いのジャージを着た中学生たちが勢いよく石段を下りてくる。全員が「こんにちは」と明るく声をかけてくれる。「遠足ですか」と聞いてみると「いいえ、研修です、宮城県から来ました」とのことだった。

静寂と向き合う

 上っていくと、石段の両脇にはつぎつぎと巨岩が現れる。山全体が巨大な一つの凝灰岩ぎょうかいがんでできているのだ。「立石寺」という寺の名は、この地形にまことにふさわしいと思う。仁王門の手前にあった「弥陀洞みだどう」は、岩に阿弥陀如来のかたちが刻まれてある。それも人間が刻んだのではなく、不思議なことに雨や風が自然に削りとったのだという。芭蕉はこのような岩と向き合って、掲出句を詠んでいるのだ。

 芭蕉の旅に随行した弟子曾良は、掲出句の初案を書きとめている。

 山寺や石にしみつく蟬の声 「俳諧書留」

 初案の「山寺や」は、訪れた地名を示しただけにすぎない。「山寺や」から「閑さや」への推敲には、この山の清らかさをことばにとどめようという意思を感じるのだ。この推敲によって、芭蕉は静寂を一句の主題としている。そして、「閑さ」に切字「や」を加えて、さらに強く静寂を打ち出している。そのことによって、聖地の空間にエネルギーが満ちていることまでが表現されていると思う。

 初案中七の「石にしみつく」は「岩にしみ入る」と推敲している。初案において、蟬の声は小さな石の表面でとどまっていた。それが、大きな岩の内部深くまでしみ込んでいくものになっている。ただ一匹で鳴きはじめた蟬の澄みわたる声を、より強く感じられるようになった。

 この蟬の種類について、かつてアブラゼミかニイニイゼミかという論争があったが、ニイニイゼミに決着している。時期からも澄んだ声質からもニイニイゼミがふさわしいようだ。

 ひたすら静寂と向き合っている芭蕉に、ぼくはアメリカの現代音楽家ジョン・ケージのことを思う。ケージは「4分33秒」という曲を作った。その時間、演奏者は楽器とともに何もせず過ごす。聴衆は静寂の中に響く偶然の音の豊かさに驚き、自分の身体の中で打ち続ける鼓動に気付く。芭蕉とケージとは、同じ場所にいる。

 実を言うと、掲出句に対するぼくの評価は、年を重ねるにしたがって変化してきている。三十代のころには、評価できなかった。主観的なことばは作句に使いがたいというタブーに縛られて、「閑さ」ということばをうすっぺらに感じ、読みが深められなかったのだ。五十を過ぎ、作句のタブーから自由になり、「閑さ」ということばが拡げる空間をようやく楽しめるようになった。一句を味わうのに、だいぶ時間がかかってしまった。

 奥の院まで約千段、石段を上りきった。寺内を見下ろすと満開の桜の木が目に入ってくる。山形では初夏に桜が咲くのだ。

桂巨木に刻みし座像余花よか日和 實
千段を遠足の子ら駈けくだる

<補記>
この「蟬の声」に二十代の芭蕉が伊賀で仕えた藤堂良忠の俳号「蟬吟せんぎん」を思い出す人がいる。作家嵐山光三郎である。『芭蕉という修羅』(新潮社・平成二十九年・2017年刊)。この芭蕉の絶唱に若い頃の主君への思いを読みとるのもありえると考えるようになった。

※この記事は2013年に取材したものです

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小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。


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