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“たび” つまみ食い観光の現代旅行事情|中西進『日本人の忘れもの』

5月16日は、松尾芭蕉が“おくのほそ道”に旅立った日であることから「旅の日」と定められています。今回は、万葉集研究の第一人者である中西進さんによる2001年刊行のロングセラー日本人の忘れものより、“旅”について綴られたエッセイを特別にお届けします。

日本人の忘れもの
中西進 著(ウェッジ刊)

たびと旅行は違う

ずいぶん前のことになるが、先にも登場していただいた池田弥三郎やさぶろうさん*が、新聞に書いておられたことを覚えている。

*池田弥三郎(1914年-1982年):国文学者。慶応義塾大学で折口信夫に師事し、のちに『折口信夫全集』などを編集

「たび」と旅行はちがうというのである。

要するに昔の旅行と現代の旅行とは、内容も性格もたいへん違う。それを名づけると、たびと旅行と区別していうことができる、という話だ。むかしはそれほど綿密に計画を立てることもなく、ふらっと旅行に出た。目的も厳密にこれこれときめるわけでもない。いくらでも変更可能だし、行程も伸縮自在である。

ところが昨今、そんな旅行はぜいたくにひとしい。何時何分どこどこ発の列車というふうに乗り物もぜんぶ予約をしなければ移動できないし、いつ、どこに泊まるという計画を立ててホテルを予約しないと、寝るところもない。

その予定の中で、始終時間を気にしながら行動し、途中でいかに気にいったところがあっても、いかに気に入るまいと、予定どおりにしか行動できない。

何のことはない。予定をこなすために旅行をしているようなものだ。

あたふたと動き廻り、家にやっとたどりつくと「ああ、忙しかった」というのが、みんなの第一声になるらしい。

もっと細かくいうと、目的地でもそうだ。以前展覧会を見にいった時、お目あての画の前には警備員が立っていて、大声で「立ちどまらないでください!」とさけび通していた。

びっくりした。この画を見に来たのではないか。しかも外で何時間も行列をつくって待たされて。歩きながらでしか見られないとなると、見てはいられないではないか。

その点、アメリカの美術館などは何月何日何時というふうに区別して入場券を前売りするから、ゆっくり見られる。

そんな配慮もしないで売れるだけ売っておいて、立ち止まるなとは何事だ!

今や世の中すべてそうだ。3分診察、1分裁判、10秒鑑賞——。

旅行もこれと五十歩百歩である。バタバタと走りまわって引率されている修学旅行生のかわいそうなことよ。

しかし、これほど旅行人口も多くなく、万事ゆったりしていたむかしは、もっと自由があった。

とにかく自分の心と体で動くのだから、相手方の時間に合わせる必要がない。江戸時代になると、さすがに宿屋が商売をはじめて、それなりに旅人があふれると、気に入った宿屋がえらべなくなってくるが、それでも今日の連休のようなものとは、わけがちがう。

宿駅もこまかくできるから、足が達者かどうかでかなり自由がきく。

いまの新幹線はビジネス用の列車だが、昔の列車の多くは旅行用の列車だったから、鉄道ができても、まだまだ、たびの気分があった。

私は小学校の五年生のとき、父が東京から広島へ転勤し、一家で広島へ移住した。夜行列車で延々と東海道と山陽道を西下した間の、何と長かったことか。

途中、深夜に列車が駅に止まり、小さくカーテンをあけてのぞいたホームは森閑として灯りがともっているだけだった。

そんなに長い長い行程は、たびというにふさわしい。「お前は旅心を感じたことがあるか」と問われたら、まっ先に、この深夜のホームを見た時の気持ちを思い出す。

それに反して、あっという間に目的地についてしまうのは、とてもありがたいのだが、反面、日常をそのまま持ちこしてしまって、心に変化がない。

旅衣たびごろもという優雅なことばもある。旅の服装といったって、そう変わりはないじゃないかということにもなるが、同じ服でもやはり違う。

毎年「万葉のまほろばを歩く」というツアーを行っていて、私はたくさんの人といっしょに万葉の歌の風土を歩く。ある時、それが終わったあと、参加者が一句をよせてくれた。

 まほろばの 旅のなごりの いのこずち

万葉の原野を歩くうちに、いのこずちが服について、そのまま知らずに帰宅したのであろう。気がつくと、いのこずちがあった。

まさに、これが旅衣だといえるだろう。かりにそれがビジネススーツであってもよい。

イノコヅチ

旅人は擬似死者に身をやつした

いまから1000年も前のことだが、紀貫之きのつらゆきという歌人が土佐の国へ往復した。その時の日記を『土佐日記』というが、それを見ると、帰途わが家へ入るのは夜を待ってからにしている。明るい間には家に入らない。

これは、当時旅でやつれた姿を人に見せないためだとされている。

さっき問題にした旅衣も、泥やあかでよごれ、みにくくなっただろう、だから人に見せないというのも、よくわかる。

しかし、もう少しよく考えてみると、もっと深い意味がありそうに思う。つまり旅の服装はふだんの着物とちがって、特別のものと考えられていたらしいのである。

むかしのことばでいうと、その旅衣に身を「やつした」のである。いまでは「やつれた」というとすっかり体が衰えたことを意味するが、むかしは、よくも悪くも、変身を「やつし」といった。

だから「旅衣に身をやつして」というと、旅の衣を着て、人格まで変えてしまったことになった。じつは、旅の本質は、この「やつし」にあった。

それではどう変えたのか。

たとえば俳人の松尾芭蕉は旅に出る時、頭の髪の毛を剃りおとし、お坊さんが着る墨染めの衣を着た。要するにお坊さん姿になった。

松尾芭蕉像

ところが中身は、べつにお坊さんではない。そこで彼は「僧にあらず、俗にあらず」という境遇となる。

おもしろいことに伊勢神宮にお参りした時「僧でもなく俗でもないが、僧の仲間に入れられて、神前に入ることを許してもらえなかった」といっている。神社の整理係も困って僧の方に一括してしまったのである。

同じことは蝉丸という歌人の上にもおこる。彼は「百人一首」の中の一人だから、坊主めくりの遊びの時、お坊さんかどうかでもめる。画をみると剃髪しているからお坊さんのように見えるが、じつはお坊さんではない。

つまり彼らは世捨て人である。剃髪して世を捨てた。しかし僧として仏道に入るのでもない。こうした俗世と宗教の世間との間の、中間にいる人たちを、日本では世捨て人とか隠退者とかとよんで許容してきた。

旅人はその人たちをまねた。いや、自分たちを世捨て人とすることで、旅人となることができた。

考えてみれば、世捨て人とは便利な存在である。この世を捨てるとなると死ぬしかない。ところが生きていられるのだから。世の中がこんなゆとりまで捨ててしまったら、人間生きていけないのだろう。

この社会のおうようさに支えられて、旅が成り立った。だから旅人は、もう完全に俗世の人間から擬似死者へと変わっていなければならない。

それが「やつし」である。

おもしろいことに、九世紀のころの東国への旅人に在原業平ありわらのなりひらがいる。彼をモデルにした『伊勢物語』には、彼が自分自身を「都では必要がない男だ」と思いつめて東国へ下ったとある。都での不要者とは、都での死に体だということ、つまり彼も擬似死者として旅に出たのである。

在原業平像

同じ事件を『古事談こじだん』という別の書物では「悪い事をしたのだから、暫くの間、頭を丸めて東国へいって来い」といわれた、とある。やはり業平も「僧にあらず、俗にあらず」という第三空間の生活者とされている。

いまでも行われている四国八十八カ所の巡礼などの旅人は、白い死に装束に身を包み、道々の布施にすがりながら険難な旅路をたどる。

彼らは生きて旅をしているにしても、もうほとんど死者にひとしい。死者へと変身した旅人たちであった。

紀貫之の旅は、いまでいえば県知事として赴任したのだから、別に巡礼に出たのでもわが身を不必要と感じたのでもないが、やはり同じ旅をしなければならないとすると、彼もまた、擬似死者としての旅人になるしかない。

そのように身をやつして旅をした。擬似死者としての「やつし」を俗界の隣人に見せるわけにはいかない。そこで夜の闇にまぎれて家に入り、俗人の身にもどってから隣人と接することとなったのである。

ところが現代の旅行は、死ぬどころの騒ぎではない。最近話題になったことでいえば、2001年7月に文化庁が発表した日本人の国語力調査によると、ことわざの「かわいい子には旅をさせよ」を正しく理解している人が、半数以下だったという。

より多くの人が「かわいい子には旅をさせて十分楽しませてあげなさい」という意味だと答えたのである。

こうなると「たび」が旅行に変わって旅程が窮屈になった、などというものどころではない。どだい旅行を苦しいものとは思いようもないのだから、正解を求める方が無理かもしれない。

そもそも旅人が擬似死者だったというのはいままでの世界での生を絶ち、擬似死をとおして新しく生まれかわるためのものが旅だったからであり、旅人自身が中間生活圏を通過して再生へと変身したいと思っていたからだった。

ちょっと、つまみ食い、の旅行

ところが現代の旅行は、未知のものへの観光が主だから、より豊かな人生のために、経験をつんでおきたいというわけである。

あそこはおもしろそうだから行ってこよう。変わった文化や風景があるから見聞を広めてこよう。そう思って旅立つ。いやいやスケジュールもホテルも、みんな業者がやってくれるから、自身は金さえ工面しておけばいい。

現代人はいそがしいから、そうそうゆっくりと旅行をするわけにはいかない。仕事の合間をぬって、さっと行きさっと帰ってくる。

要するに、先方へちょっと行ってつまみ食いをして帰ってくるのが昨今の旅行である。

そのためには、むしろ冒頭に述べたような「たび」のゆったりした余裕は、必要ないだろう。機能的で合理的である方がありがたい。

もちろん、世の中には現代といえどもビジネス旅行やつまみ食い旅行ばかりがあるわけではない。

センチメンタルジャーニーということばが流行したこともある。「傷心のひとり旅」ということばもある。

こうした旅行はむかしからの旅心を大事にした旅だろうが、しかし別に死に体になって旅することはない。

それどころか、いままでの人生の悲しみばかりがみちみちていて、たっぷりと現世の悲しみに濡れることで旅の風景が作り出されることになる。

やはり、旅の原点が大事で、すっかり変わって原点にもどりたいのである。旅に出てみるという原点指向が強いであろう。戻りたいのか往きたいのかで、むかしといまの旅は、ずいぶん大きくちがうと思う。

もっとも、いまだむかしだといっても、いつが境目なのかといわれれば、何でもかでも明治の文明開化が悪いのではない。江戸時代だって物見遊山の旅行はあった。

しかしいま、むかしの旅人が身をやつして旅をしたことを思い出したい。その擬似死者経験はつまみ食いの旅行ではえられない、自然や風物、文化のことばを聞きとめたはずだからである。

文=中西 進

中西 進(なかにし・すすむ)
一般社団法人日本学基金理事長。文学博士、文化功労者。平成25年度文化勲章受章。日本文化、精神史の研究・評論活動で知られる。日本学士院賞、菊池寛賞、大佛次郎賞、読売文学賞、和辻哲郎文化賞ほか受賞多数。著書に『文学の胎盤――中西進がさぐる名作小説42の原風景』、『「旅ことば」の旅』、『中西進と歩く万葉の大和路』、『万葉を旅する』、『中西進と読む「東海道中膝栗毛」』『国家を築いたしなやかな日本知』、『日本人意志の力 改訂版』、『情に生きる日本人 Tender Japan』(以上ウェッジ)など。

出典:日本人の忘れもの 2(ウェッジ文庫)

≪目次≫
第1章 営み
わたし  日本人らしい「私」が誤解されている
つとめ  義務や義理にしばられてしまった日本人
こども  自然な命の力を育てたい
もろさ  自然な人間主義を忘れた現代文明
あきない 立ち戻りたい商業の原点
まこと  改革はウソをつかないことから始まる
まごころ 人間、真心が一番である

第2章 自然
みず   水の力も美しさも忘れた現代人
あめ   雨は何を語りかけてきたか
かぜ   かぜふうとして尊重した日本人
とり   鳥が都会の生活から消えた
おおかみ 「文明」が埋葬した記憶を呼び戻したい
やま   山を忘れて平板になった現代人の生活
はな   日本人はナゼ花見をするか

第3章 生活
いける  花の本願を聞こう
かおり  人間、いいものを嗅ぎわけたい
おちゃ  茶道の中で忘れられた対話の精神
みる   識字率のかげに忘れられたビジュアル文化
たべもの もう一度、「ひらけ、ごまゴマ」
たび   つまみ食い観光の現代旅行事情

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