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日本人の忘れもの

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「令和」の“名付け親”と目されている万葉集研究の第一人者、中西進さんの珠玉のエッセイです。
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記事一覧

“こども” 自然な命の力を育てたい|中西進『日本人の忘れもの』

少年が冒険するのはなぜか 古い文献を読んでいると、時どき「おやっ」と思うことがある。  たとえば英雄として有名なヤマトタケル。彼は西に東に、この日本列島を縦横に駆けめぐって賊どもをやっつける。  ところがタケルはこの時少年である。  そして活躍する少年はタケルだけではない。勇猛な天皇として知られる雄略天皇も、荒あらしい振る舞いが古い歴史書に記されているが、その記事にも「この時、天皇は少年であった」とある。少年とだけいえば、当時の読者はすぐにタケルを連想し、同じように英雄

“うきよ” 福沢諭吉はなぜ『学問のすすめ』で空想をすすめたのか

文明開化は忘れものをさせた張本人なのか 徳川時代の終わりごろ、医者の緒方洪庵(1810~63)が適塾を大阪(坂)に開いた。  いま、一万円札の顔になっている福沢諭吉(1834~1901)も、その塾生の一人である。  福沢にとって、適塾ですごした青春の数年は、かけがえのない成長の揺り籠だったらしい。福沢が語りおろした『福翁自伝』(慶應義塾大学出版会)という書物によると、たとえばこんな話が見える。  塾生は虱だらけのきたない風体をしているから、町では娘たちも逃げていく。それ

“おちゃ” 茶道の中で忘れられた対話の精神

10月31日は「日本茶の日」です。 万葉集研究の第一人者である中西進さんによる2001年刊行のロングセラー『日本人の忘れもの』より、“お茶”と日本人の関係について考察したエッセイをお届けします。 お茶から離れられない日本人 子どものころ、ふしぎだったことの一つに、毎日御飯を食べる食器を茶碗とよぶことがあった。飯碗のはずが、どうして茶碗なのか。同じ疑問を持った人も、多いのではないだろうか。  いや、お茶のふしぎはいっぱいある。日本中、いたるところにある喫茶店。あそこにはコー

“やま” 昔、山は生きていた|中西進『日本人の忘れもの』

むかし、山は生きていた 日本は大半が山におおわれている。関東平野、濃尾平野といっても、その大きさは海外諸国の平野にはくらべようもない。  だから日本人はむかしから山と深くつき合ってきたはずなのだが、さてつき合いを忘れた歴史は古い。  第一、日本三景といって日本を代表する風景があるが、それは松島という湾内に島々が浮かぶ風景と、天の橋立という海上に長くのびた岬、そして厳島という海中に鳥居をもつ神社である。  みんな海の風景であって、山など完全に無視されている。  一方で日

“かぜ” 日本の秋は風にのってくる|中西進『日本人の忘れもの』

日本の秋は風にのってくる ずいぶん前のことだが、亡くなった池田弥三郎さんと話をしていた時、おもしろいことを聞いた。  堀辰雄の名作に『風立ちぬ』という小説がある。この冒頭にポール・ヴァレリーの詩が引用されていて、堀の小説の題もそれに基づいている。  そこで池田さんは学生にこの詩を示して、「季節はいつか」と質問したらしい。圧倒的に多くの学生が、秋と答えた。  ところがヴァレリーの原詩は夏である。彼は墓地を見下ろす丘にいる。まわりに荒々しい風がおこる。私は生きるべきだ、と詩

“みず” 水の力も美しさも忘れた現代人|中西進『日本人の忘れもの』

いまや水の危機を迎えている 近ごろ、地球上のいたるところで、水が問題になっている。  土地の保水力がなくなったという。  山の木をどんどん切ってしまう。すると、いままでは木の根によってしっかりささえられていた大地がもろくなり、たくわえられていた地中の水が流れ出し、山の斜面はくずれていく。  あちこちで竹の旺盛な繁殖が話題になる。地表を竹が独占すると竹は根が浅いから地中はすかすかになり、やはり水が流れ出して大地はくずれるのだといわれる。  いや、もっと世界的にみても、自

“あめ” 雨は何を語りかけてきたか|中西進『日本人の忘れもの』

天が雨を采配した むかしは子どもの数が多かった。私でいえば、男ふたり、女ふたりの四人きょうだいである。  私はその長男。したがって次男の弟がいる。  そうしたばあい、むかしはよく兄の着物を弟が着、姉のものを妹が着せられた。子どもなど、どんどん成長するから衣服はすぐに着られなくなる。もったいないから、母親は下の子にそれを使わせる。  それがいわゆる「お下り」である。けっきょくは古着だから、弟や妹はブーブー不満を言うことになる。長男の私は、さいわいなことにこの災厄をまぬがれ

“たび” つまみ食い観光の現代旅行事情|中西進『日本人の忘れもの』

たびと旅行は違うずいぶん前のことになるが、先にも登場していただいた池田弥三郎さん*が、新聞に書いておられたことを覚えている。 「たび」と旅行はちがうというのである。 要するに昔の旅行と現代の旅行とは、内容も性格もたいへん違う。それを名づけると、たびと旅行と区別していうことができる、という話だ。むかしはそれほど綿密に計画を立てることもなく、ふらっと旅行に出た。目的も厳密にこれこれときめるわけでもない。いくらでも変更可能だし、行程も伸縮自在である。 ところが昨今、そんな旅行

“とり” 鳥が都会の生活から消えた|中西進『日本人の忘れもの』

あわれな空のツル、地上のネズミ 今から1300年ほど前、いまの奈良県明日香村の風景をほめた歌に、「空にはツルが飛び、川岸ではカエルが鳴いている」という一首がある。  ツルは千年、カメは万年というようにツルは長生きの鳥だから、当時おめでたいものとして尊重された。カエルも冬姿を消すかと思うと春また姿を現す。くり返しくり返し生きつづけるから、これまた不思議な生命力をもつと考えられた。  こうした動物たちがいるから、明日香はすばらしいところだ、というわけである。  元来、中国で

“はな” 日本人はナゼ花見をするか|中西進『日本人の忘れもの』

サクラは死なない 日本列島は、毎年少しずつ地域をかえてサクラの満開を迎える。サクラ前線が南から北へと日をおって上り、そのころはとくに天気が心配される。  たしかにお花見をしないと春がきたように思えない。新入社員が朝早くからビニールを広げて場所をとり、夜ともなると酒盛りは最高潮に達する。夜桜を見て歩く人も、そのまわりにあふれかえる。  さてそれでは、どうして日本人はこんなに花見が好きなのだろう。  いや、いっせいに、いろいろな返事が返ってきそうだ。  むかしから花は桜木

“すまい” 住居に聖空間を回復しよう|中西進『日本人の忘れもの』

万葉集研究の第一人者である中西進さんが執筆し、2001年の刊行以来いまも売れつづけているロングセラー『日本人の忘れもの』がついに電子書籍化されました。ここでは、特別にその内容を抜粋してお届けいたします。 床の間がなくなった 十年ほど前、国立の研究所を作る委員会に参加した。ある日のテーマは建物の設計についてだった。席上、私はこう依頼した。 「研究の場ですから、のっぺらぼうの建物にしないで下さい。日本語で『すみ』(隅)とか『くま』(隈)とかいう、そういう場所をもった曲りくねっ

“まける” 相手に生かされる道をさぐる|中西進『日本人の忘れもの』

万葉集研究の第一人者である中西進さんが執筆し、2001年の刊行以来いまも売れつづけているロングセラー『日本人の忘れもの』がついに電子書籍化されました。ここでは、特別にその内容を抜粋してお届けいたします。 日本の悪口を言うのがインテリの証? 今まで日本はおかしかった。とにかく日本の悪口を言っていればインテリなのである。反対に日本に味方するとすぐ国粋主義者のレッテルをはられ、極端になると特別な組織の人間にさえみなされてしまった。  だから私など、むかしから日本の良さや美しさを

“にわ” 人間を主役とする日本庭園|中西進『日本人の忘れもの』

万葉集研究の第一人者である中西進さんが執筆し、2001年の刊行以来いまも売れつづけているロングセラー『日本人の忘れもの』がついに電子書籍化されました。ここでは、特別にその内容を抜粋してお届けいたします。 石と対話してみてはどうか いま、たくさんの人がマンションに住んでいる。そんな中で庭の話をしても仕方ないというかもしれないけれども、人間の生活は庭をとても大事にしてきた。  今でもホテルの中の料亭はビルの中とも思えないような庭を造っている。とくに日本料理の店は、庭があると急