春の訪れを告げる音。230年の伝統を灯す和ろうそく|飛騨さんぽ
「飛騨さんぽ」は、紆余曲折を経て雪国・飛騨に移り住んだ浅岡里優さんが、日々の暮らしの中で感じた飛騨の魅力を飾らない言葉で綴る連載です。第4回は、飛騨古川の地で230年の伝統を受け継ぐ「和ろうそく」について。
春の訪れを感じる音がある。
しゃかっ、しゃかっ、とん、ととん。
和ろうそくづくりの音だ。
※この動画は作業の様子を再現していただいたものです。音声をONにしてご覧ください。
飛騨古川には江戸時代から約230年続く“三嶋屋和ろうそく店”がある。その趣きある老舗の佇まいは、歴史ある古川の街並みをいっそう味わい深いものにしている。
三嶋屋和ろうそく店
昔は「ろうそく」といえばこの「和ろうそく」を指したが、現代ではほとんどの人が西洋ロウソクを思い浮かべることだろう。
私も飛騨に来るまで、和ろうそくというものを知らなかった。はじめて目にしたとき、そのあまりの美しさに一瞬にして心を奪われた。和ろうそくの炎は、まるで生きているかのように揺れるのだ。
「このゆらめきが、仏さまが微笑んでいるようだと喜ばれてきたのです」(三嶋屋和ろうそく店・7代目当主 三嶋順二さん)
今日は、この和ろうそくから飛騨の魅力を紐解きたい。
三嶋屋和ろうそく店の8代目当主・三嶋大介さん(左)と、7代目当主・三嶋順二さん(右)
日本独自の伝統的な製法
和ろうそくの特徴は、その原料と作り方にある。
「蝋」は植物の実から採った木蝋*を使い、「芯」は一般的に、和紙と真綿とい草の灯芯*でつくられる。原料はすべて植物由来。木蝋は日本でしか生産されておらず、海外では「JAPAN WAX」と呼ばれている。
*木蝋:多くは櫨の実から採取する
*灯芯:い草の皮を除いた部分(髄)のこと
市販されている和ろうそくは、型に流し込んでつくられたものも多いという。だが、三嶋屋和ろうそく店では溶かした蝋を掛けて層のように重ねる「生掛け和蝋燭」と呼ばれる伝統的な製法を守り続けている。
この方法でつくられたろうそくは、蝋が垂れにくいという特徴がある。
また、石油を原料とする洋ロウソクに比べて、植物由来の和ろうそくは煤が出にくいため、仏壇や仏具をあまり汚さないという利点もあるようだ。
和ろうそくの歴史
ろうそくが日本に伝わったのは奈良時代(710年〜)といわれる。仏教とともに中国からもたらされた。当時のろうそくはミツバチの巣から抽出した蝋を原料としており、とても高価だった。使えるのは貴族や僧侶など、ほんの一部の人に限られたという。
木蝋を用いた日本独自のろうそくづくりは、室町時代にはじまった。江戸時代に入るとその生産はさらに盛んとなった。8代将軍・徳川吉宗が「享保の改革」(1716年~)で櫨の栽培を殖産興業政策のひとつとして奨励したことで、生産量はさらに伸びた。その後、農学者・大蔵永常(1768年~1861年)は櫨の栽培や製蝋技術などを記した農学書『農家益』を著し、全国への普及にも努めた。
こうした時代背景や生産技術の進化によって、和ろうそくは次第に信仰心の篤い庶民の間にも広がっていったようだ。
一度は消えかけた伝統の灯火
では、なぜ飛騨古川の地に和ろうそくの店が根付いたのか。
古川の城下町を築いた金森可重(1558年~1615年)は、民心の安定をはかるため町の要所に大きな寺院を配し、まちづくりを進めた。飛騨古川には毎年1月に行われる「三寺まいり」という有名な伝統行事がある。この三寺とは、本光寺、円光寺、真宗寺の3つの浄土真宗のお寺を指す。
荒城川の橋から見た本光寺
昔の「三寺まいり」の様子
江戸時代の天明期(1781〜1789)に、飛騨の本光寺を訪れた三嶋順應*という僧侶が信仰心の篤いこの地に留まり、ろうそくづくりを始めたのが三嶋屋和ろうそく店のはじまりである。
*三嶋順應:滋賀県の鳥居本出身の僧侶で、三嶋屋和ろうそく店の初代当主
飛騨古川には明治の始め頃まで、3軒のろうそく屋があったといわれる。だがいまや三嶋屋和ろうそく店を残すのみとなった。
明治時代に安価な西洋ロウソクが日本に入ってきたことや、戦後、電気の普及や日本人の信仰心の低下と相まって需要が劇的に落ち込み、その多くが店を畳んでいった。
『伝統の美と技 和ろうそく』(2002年、文葉社)という書籍には、和ろうそくをつくり続けているのは全国に20軒ほどしかないと記されている。
三嶋屋和ろうそく店も6代目の時に、一度は店を畳む決意をしたという。昭和38年頃のことだ。その時たまたまNHKから取材依頼があり、大の取材嫌いだった6代目もせめて店の歴史を後世に残しておこうと取材を受けることにした。
ところが、これが放送されるやいなや「古川に和ろうそくあり」と瞬く間に全国に広まり、観光客が押し寄せるようになったという。
それから約60年を経たいまも、ここ古川の地で230年続く伝統の火を灯し続けているのだ。
店内には、柳宗理から贈られた揮毫が飾られている
三嶋屋和ろうそく店では、日常使いの小さなものから、三寺まいりに使われる三貫五百匁(約13kg)の巨大なものまですべて手でつくられている。ただ、大きなろうそくはあまり需要がないため、技術の伝承が難しいという。
NHKから取材依頼があったのも、この「全国的に見ても珍しい技術が目に留まったからではないか」と大介さんは語る。
「三寺まいり」に使われる巨大ろうそく(左)
和ろうそくづくりの掟
三嶋屋和ろうそく店では、朝の4時から夕方の6時まで、約14時間かけて和ろうそくを完成させる。小さなもので一日に100〜300本、大きなもので15〜16本くらい。「一度つくりはじめたら日を跨がない」のが和ろうそくづくりの掟だ。冷えて固まった蝋の上にふたたび温かい蝋をかけると割れてしまい、商品にならないからだ。
製造に適した季節も限られる。寒すぎると蝋の固まるスピードが速くなり、これも割れが生じる原因となる。逆に暑すぎると蝋がなかなか固まらない。もっとも適しているのは、朝が2℃〜5℃くらい、日中が12℃〜13℃くらいの気温に収まる日だという。飛騨では雪解けの進むいまがちょうどその時期にあたる。
小気味よくリズムを刻む和ろうそくづくりの音を耳にして、「あぁ、春が来たんだなぁ」と長い冬の終わりを実感する人もきっと多いに違いない。
ここで、私の心をくすぐるもうひとつの和ろうそくの魅力を紹介したい。それは「芯切り」である。
和ろうそくの芯は植物由来のため、灰として残る。この残った芯を切る作業を「芯切り」という。昔はそれが煩わしいとされていたそうだが、私はこのひと手間がとても豊かなものに感じられてならない。
揺れる灯火を見つめながら、一定の間隔をおいて芯を切る。すると、次第に心が整っていくように感じるのだ。
伝統を紡ぐ職人たちの技
大介さんに和ろうそくづくりに懸ける想いを尋ねると、迷いもせずこう答えた。
「ほかの職人の方々に恥じない仕事をし続けたい」
前述のとおり、和ろうそくには木の実から抽出した「木蝋」が使われる。しかし「良質な木蝋が手に入らなければ、伝統的な製法で和ろうそくをつくることはできない」という。蝋の品質が少し落ちるだけで、割れが生じてしまうのだ。三嶋屋和ろうそく店では、高い技術を有する長崎県島原市の本多木蝋工業所から取り寄せている。
木蝋づくりを支える技術も多岐にわたる。適切な樹木の管理にはじまり、良質な実の選別、実から抽出して木蝋に仕上げる工程など、そのほとんどが多くの職人さんの手仕事に委ねられている。さらに、良質な「芯」をつくる職人さんの存在も欠かせないという。
奈良県安堵町の中川商店から取り寄せている「芯」
長い歴史のなかで培われてきた技術がこうして幾重にも重なり合うことで、和ろうそくの伝統はいまも奇跡的に守られ続けているのだ。
値上げをしないワケ
これほど精魂込めてつくられた逸品だが、三嶋屋和ろうそく店では一本たったの数百円で買うことができる。
「価格を上げてはどうか」と言われることもあるが、和ろうそくはこれまで市井の人々の信仰心によって支えられてきた。「日々の暮らしに寄り添うかたちで使ってほしい」との願いから、値上げはしたくないと大介さんは語る。
職人さんたちの心意気によって守られてきた伝統の火をこれからも絶やさず灯し続けてもらいたい。そのためにも、すこしでも多くの人に和ろうそくの魅力を知ってもらいたい。そんな想いでここまで綴ってきた。
最後に、令和の時代が始まって間もないけれど、疫病や戦争、地震とあらゆる災厄に見舞われ、私たちの日常はつねに脅かされ続けている。これまで多くの人が和ろうそくの揺らぐ炎に祈りを捧げてきたように、私もいま、心を込めて平和への祈りを捧げたい。
文・写真=浅岡里優
浅岡里優(あさおか・りゆ)
1990年生まれ。九州大学芸術工学部卒業。大学卒業後、新卒採用支援の会社を立ち上げるも挫折。0からビジネスを学び直そうと、株式会社ゲイトに参画。漁業から飲食店運営まで、一次産業から三次産業まで一気通貫する事業を経験。その後、クリエイティブの力で環境問題などの解決に取り組むロフトワークへの参加を経て、2021年に飛騨へ移住。自然に囲まれた暮らしに癒されながら、飛騨の魅力を発信している。
◉三嶋屋和ろうそく店
岐阜県飛騨市古川町壱之町3-12
https://mishimacandle.stores.jp/
◉本多木蝋工業所
長崎県島原市有明町大三東丙545
http://www.honda-mokurou.net/
参考文献
【書籍】
◉『伝統の美と技 和ろうそくの世界』(文葉社)2002年,大石孔、中松米久、玉野井いづみ(著)
◉『子どもに伝えたい 和の技術 5 あかり LIGHT』(文溪堂)2016年,和の技術を知る会(著)
◉『飛騨古川のものがたり』(文藝春秋)2002年,みかなぎりか(著)
◉『江戸時代 人づくり風土記〈50〉近世日本の地域づくり200のテーマ』2000年,農山漁村文化協会,会田雄次(監修)
◉『古川町歴史探訪』(飛騨市)2010年,飛騨市総務部古川町史編纂室(編)
◉『飛騨古川金森史 古川町の歴史と城下町』1991年,飛騨古川金森史編さん委員会(編)
◉『江戸時代の飛騨史』1983年,後藤新三郎(著)
【Web】
◉徳川8代将軍吉宗~享保改革の手腕:大胆な財政再建と人材登用~
◉筑後の櫨蝋の歴史
◉「和ろうそく」の魅力を育てる 伝統の技・挑む心・科学の眼
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