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共創の現実と2022年に向けて

明けましておめでとうございます。Honmonoの三井所です。

早いものでHonmonoのも4年目に突入しました。

さまざまなジャンルのプロフェッショナルが集まるチーム。

この手の集団は、半年盛り上がって自然消滅、というパターンが非常に多いのですが、なんとか4年目をむかえました。

ぶっちゃけた話、崩壊危機も何度か。

やめたいと思ったことも何度か。

倒産寸前も何度か。

痛みを伴いながら乗り越えてきました。

そんな今までいえなかったカッコ悪い過去と、

それらを経験した上での2022年について語りたいと思います。


カリスマ起業家ようなカッコ良い成功哲学ではなく、

元サラリーマンの泥臭い乗り越え裏話。

需要があるかは知りませんが、ツラツラと書いていきます。


2019年 大風呂敷時代

2019年キックオフの写真。

Honmono立ち上げ。

何もない時期。

この頃はある意味自由でした。

何もないからこそ、なんでもかっこいいことを言える。

やることに縛りもない。


カッコいい映像を作って、未来を語る。

尖った起業家とアーティストを揃え、

「ビジネスとアートの共創」「日本の魂を世界に」なんて言うと先進的でカッコいい。

そんな大風呂敷な発信を始めていた。

とりあえずカッコつけてみる

しかし現実は、、

カネ無し、コネ無し、チカラ無し。


一番に何が辛いかと言うと、

肝心の「共創」が何一つ生まれない。。

それをやる集団だろ、と思いながらも現実は何も生まれない。


まずはみんなで集まろうぜ!と言っても

全然集まれない。そもそも忙しい。

貫く道がある人が魅力的。

しかし自分の貫く道がある分、新しい何か、に具体的にエネルギーを割くということも難しいのだ。


尖ったジャンルの個性が力を合わせる。

言葉では綺麗、共感も生み出しやすい。
しかし、実現には大きな壁があると痛感した。

運営にカネも、コネも、チカラもなければ尚更。

あ、これは半年消滅パターンだなと頭をよぎった。

共同創業者の離脱

年度の終わりの12月イベント。

事前に気合いいれて呼びかけして、大きな箱を貸し切ったイベント。

ドタキャンだらけで集まったのは5人。

寂しさを隠しながら、5人で一つのテーブルを囲み話し合ったのをまだ覚えている。

そんなところに追い討ち。

共同創業者が離脱。

唯一、Honmonoにフルタイムでコミットしてくれてたメンバー。

当時のHonmono唯一の武器、彼が生み出す映像事業を展開しようとしていた矢先だった。

しかし事業というのはすぐに収益は生み出さない


実績も信頼もない中で一方的に未来を語り続けていた自分。

しかし現実には生活がある。

子供を育て、東京で生きていかなければならない。

そんな相手の当たり前に目を背け、

未来への可能性という縛りで引き留め続けてしまっていた。


唯一の武器を失った。

ちなみにHonmonoは一般社団法人。
投資は受けられない。無給で子供3人を育てる。

前の会社のお金を切り崩しながら運営をした。前の会社は破産した。

頼みの融資はブラックリスト入りし、打ち止め(ここは盲点だった、、)。

もはや崖っぷち。

そんな2019年でした。


2020年、カオスな時代へ。


食っていく。

高名世代なビジョンを表では語りながらも、

自分の本能はそこにあったかもしれない。

2年目は幸いにも多くのメンバーが加入した。

その理由は、共同創業の彼が残してくれたカッコいい映像があったから。

殆どの人があのかっこよさ、という雰囲気に惹かれて入ってくれた。

私も多くの人を巻き込むことが、チカラになると思っていた。

しかし、本音では焦りもあった。
ゆえに新規メンバーの思考や事情に向き合うこともせずに、Honmonoに受け入れた。

これが色んな問題を引き起こした。

組織への不満。仲間への不満。

企業向けの映像事業は少しずつ芽を出し始めた。

西端実歩、霞翔太、川上タツ郎といった実力と感性豊かな映像クリエーターを巻き込めたことが、Honmonoの命を繋ぎ止めていた。

しかしこんな声が聞こえて来る。

「映像しかないじゃん。」

「Honmono何してくれるの?」

「誰が何してるのか分からん」

運営の基盤が何もできてないのだ。

にも関わらず、カッコよく魅せて、いかにも

Honmonoに入ったらワクワクする未来がある、というメッセージを出し、

多くの人を巻き込んでしまっていた。

また一つ、映像事業でお金が流れることで、あの人達は優遇受けてる、あの人はどうだ、といった内部の問題も出てきた。

当の私はしかし、生きることに精一杯だった。

事業で成果を上げること、会員規模を増やすことに邁進していた。

不満を聞きつつも、そこまで解決する時間も余裕もなかった。


しかしどこかで気持ちがはじけた。


「なんのためにHonmonoやってるんだ?」

結局、サラリーマンの頃と一緒。

不満の声をききながら生きるために働く。


もう辞めたい。

投資家で事業家でもある寺田さんにも相談した。

困った時に助けてくれる寺田さん

もう無理と。

しかし、その時に1年目と違う感覚が残っていた。


それはバラバラな運営基盤の中でも、

不満の声が多くなる中でも、

心強い骨太なメンバーが残っていたこと。

私は2021年に向けて大きな決断をした。

2021年 選択と集中。


大きな決断だった。

それはどうにかなるものに集中する。という選択。

(メンバー石田さんの本から着想、感謝!)


今求心力のあるプロジェクト、

一緒に戦ってくれるメンバー、

今やらなければならない環境改善、

ここのみに集中する。


逆を言えば、切り捨てる痛みを覚悟した。


全ての声、これは今のHonmonoでは解決できない。

解決できないことをいかにも解決できるように、虚像の未来をみせることは、

お互いにとって不幸。

私は未来やメッセージを語ることをやめた。


多くのメンバーが辞めていった。

いくつかのプロジェクトも保留にした。

期待した分、不満も多かったと思う。

辞めた人や辞めたプロジェクトが悪いわけではない。

Honmonoがまだそのフェーズではなかっただけ。

その時のメンバーには感謝してるし、自身も反省した。

しかし、前に進む決断をした。


やれることをやれる人で戦う。


この方法は一つの壁を破った。


精鋭の映像クリエーターがチカラを結集した、映像事業は全国1730社中全国1位の評価ランキングを生み出し、社会的影響力のある作品も輩出した。

これをきっかけに多くの企業との繋がりを生み出した。

クライアントからパートナーまで、有名企業や志あるベンチャーや経営者との関係も創り出した。

企業向けの映像事業に花が咲くことで、SNSやWEBといった事業の芽も生まれ、それらの芽に栄養を注げる骨太なメンバーが増えていった。


未来、ではなく現在。
今、必要なことにエネルギーを注ぐ。

この方針で、3年目は社会的繋がりや経済圏を生み出すことができた。


しかし一方で、集中することによる「偏り」も生まれてきた。


私は未来を語ることをやめた。

ワクワクする未来を語ることをよりも、具体的に今、カタチを作れる人が残った。

ゆえに組織が固まり始めたのだ。

「Honmonoってどこ目指すの?」

「普通の会社みたいになってく」

「メッセージが足りない。」

痛みとして覚悟していた。

しかし、まだ未来を語ったり、広げる時期ではない。とも思っていた。

1年目に仲間と妄想していたHonmonoの姿。

これは実力と実績ある基盤の上でこそ成り立つと考えていた。

2021年12月最後のイベント、Honmono祭でメンバーにその姿を伝えた。

2022年 Honmono、「町」化構想。


2019年、創業時期から支えてくれる一平さん、しおりんとこんな世界を作りたいよね。という話をしていた。

ほんとに頭が上がらない2人。

それがHonmonoは「町」という概念である。

仕事する人もいれば、遊んでる人もいる。
マジメな時もあれば、ちょっと休む時も。

町から離れて出稼ぎにいく人もいれば
この町に何かを求めてくる人もいる。

オフィスもあれば、飲み屋もあって、
毎年恒例の祭やイベントもある。

楽しいこともあれば、揉めることもある。
そんな、出会いと別れを繰り返しながらも、
この町ではいろんな人たちが関わり合い、
Honmonoの文化が醸成されていく。

そんな場所にしたい。


3年目はビジネスに特化した。
これには狙いがあった。

町には経済基盤や社会との繋がりが必要だ。

繋がりがない中で「町」と発信してもクローズしたオンラインサロンやコミュニティと変わらない。

まだまだ小さな経済圏の町ではあるが、経済基盤やチーム・仕組みがあるからこそ、ワクワクする未来を語るだけではなく、現実的な構想としてアイデアをカタチにすることができる。


ここにはこれが必要だよね、あったら面白いよね。

あ、この企業と一緒にできるかも。

こんなリソースがHonmonoにはある、と。


4年目は3年目のやり方を変える。

限られたメンバー、プロジェクト、で戦うという枠を外し、

みんなで化学反応を生み出す町に。


短期的には効率は悪くなるかもしれない。

しかし、その未来はワクワクする。


2022年、1年目に見ていたあの世界へのチャレンジがようやくできる。


支えてくれた仲間と。

これから迎える仲間と一緒に。


Honmono、4期目突入です。

Honmono 運営代表 三井所 健太郎
福岡県出身。KDDIにて法人向けITコンサルティングを担当後、2019年一般社団法人Honmono協会を設立。
前職で培ったビジネス×クリエイティブのスキル、日本各地に眠るアート×カルチャーの力を組み合わせ、新たな働き方や伝統文化を生み出す為、ティール型プラットフォーム「Honmono」を立ち上げた。現在、法人・個人含め56団体が参画中。

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