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読響「第620回定期演奏会」_ピアノ:アンヌ・ケフェレック_2022年8月23日

昨夜のN響に続き、読響の「第620回定期演奏会」に行っていました。
多くの方が絶賛されている通り、私にとっても重要な意味を持つ、それは素晴らしい演奏会でした。

この夜、アンヌ・ケフェレックさんのピアノから受け取った想念は、数日が経った今もなお私の胸の奥を締めつけながら、癒してくれます。
 
曲はモーツァルトの「ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595」でした。
 
私はまるで悠々と流れる透明な川の中に立っているような気持ちで、それが神から与えられている時間の流れに見えました。
自分が今、その流れのどのあたりに立っているのかは分からないのですが、降りそそぐ光がゆっくりと、隅々まで照らしていくようでした。私自身でさえ覚えていないようなエピソードも含めて、隅々まで。
それらを肯定するでもなく、照らされることで、ただそこに在るのだと知る。そういう音楽に感じました。
 
誰が弾いているのか、どのオケがともにあるのかといった情報が溶けて、ただ音楽があり、情景が広がっている。そんな体験でした。
あまりにも美しく、「私の人生には音楽があってよかった」と全身全霊で神に感謝しました。
 
2幕目で演奏された、マーラー「交響曲第9番 ニ長調」は、まるで群像のようでした。
 
短い旋律がめまぐるしく交差していく流れは、渋谷のスクランブル交差点で、同時に大勢の人とすれ違っているかのようでした。
信号が青になるまでめいめいの場所で立っていた人たちが、信号が切り替わると交差点の幅に集中してすれ違う。今、私の目に映る相手の顔はすれ違う一瞬のそれなのですが、全ての人にそれぞれ、その前後に人生が流れていることを肌で理解するような音でした。
 
ユライ・ヴァルチュハさんの指揮と、それにより読響のオケがつくりあげた、立体的な演奏がそう見せてくれたのだと思います。
 
心から幸福な時間でした。


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