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慈悲という最高のアイデア

皆さんは、この【慈悲】という言葉を知っているでしょうか?

なんとなく、聞いたことがある言葉だけど、その意味と言われるとな・・・おそらく、そんな方が多いのではないでしょうか?

この慈悲という言葉は元々、仏教伝来の言葉なんですが、ただの言葉ではありません。

実は、日本語の中でも数少ない、意味が理解できると人生が大きく変化する性質を持った言葉なんです。

それも、確信的に良い方向へと、持続的に変化していきます。

ただし、この言葉、辞書で引いただけでは、その本質が理解できない類の言葉でして・・それ故に、この言葉を理解出来ている人は稀なはずです。

これは、非常に残念な事実なのですが、だからこそ、希少性のある有益な情報として、理解する価値がある言葉とも言えるわけです。

もし、あなたがこの言葉の本質を理解することが出来れば、きっとその時から、あなたの人生は大きく好転していくはずです。

それはきっと、あなたが人生で抱える正体のわからない不安や、悩みに対しての【一つの解答】となることでしょう。

そして今後、あなたの人生に寄り添い、あなたの心を守る力にもなります。

こんなことを書くと、何かのセールスとか、宗教勧誘につなげる文章なのではないかと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

あなたに、この文章を読んでいただく目的は、この言葉の意味を理解してもらうことだけです。

それ以上も、以下もありません。

そして先にお伝えしておきたいのは、この文章は、僕がその【慈悲】を理解しているが故に、必然的に書いている文章ということなんです。

きっと、何を言っているのか、わからないと思います。

何が必然的なのかと・・・。

しかしながらこの意味は、もしあなたが、この文章を最後まで読まれた時には、きっと理解出来ているずです。

それではまず、この言葉の意味をgoogleの辞書で検索してみた結果からみてください。

以下のような結果になるはずです。

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慈悲

①情け。あわれみ。

②仏・菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)をあわれみ、苦を除き、楽を与えよう とする心。

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無論、間違いではないのですが、

①【情け、あわれみ】は本質的ではなく、要素としても足りません。

②【仏・菩薩(ぼさつ)が・・】は非常にわかりずらく書かれています。

というよりも、辞書の作成者が、この【慈悲】を理解していない為に、このような表記になっているのかもしれません。

それくらい、この言葉の本質的な意味の理解は、一般化していないということが言えます。

それでは、慈悲の本質的な訳とは、どのようになるのでしょうか?

その答えは以下です。

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慈悲

①自分と他者に対して、等しい思いやりを向けること

②自分の存在と外部の世界に境界をもたず、等しい愛情を感じること

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このようになります。

両方とも、同種の行動を違う言葉で表現しているだけなのですが、①よりも②の方が抽象度が高く、実感することが難しい感覚です。

ですのでもし、あなたが初めてこのような話に触れるのなら①の意味合い、

つまり【自分と他者に対して、等しい思いやりを向けること】

が慈悲なんだなと、このように頭の片隅に入れて、この後を読み進めてみてください。

そして、もしかしたら、これを読んでいる方の中には、これはただのキレイごとなのでは?

このように感じる方もいるかもしれません。

しかしながら、その判断は少しまってください。

自分と他者、自分と外部の世界に等しく愛情を向けることの有益性は、科学的にも合理的な、ある理由があります。

結論からいうと、その理由は、僕たちの【自我】つまり日頃、僕達が自分自身として認識している存在が、実は【他者からの認識によって出来ている】という事実があることなんです。

つまりどういうことかというと、例えば、あなたの周りに、あなたの事を知っている人間が一人もいない外国に、一人で旅行していることを思い浮かべてみてください。

あなたはきっと、日本にいる時よりも解放感を感じ、人目を気にせず、好奇心にあふれた目で景色を楽しみ、どんなことでも出来そうな気分になると思います。

それは何故でしょうか?

それは、あなたが、あなたの自我、つまりは自分らしさなどと表現される【セルフイメージ】からある程度、解放された状態になるからです。

そして、その【セルフイメージ】とは一体何の為にあるのか、今一度よく考えてみて欲しいのです。

それはきっと【あなたが知っている人達の為】であるはずです。

自分らしさ、自分のキャラクター、自分ってこういう奴だよね、という認識の使いどころは、実は誰かと関わる時、以外にはありません。

例えばもし、この世にあなたが一人だけの人類なら、あなたは人と自分を比べることが出来ないわけですから、そもそも他人との区別化に利用している【自分らしさ】というものは、必要性自体が無くなってしまうわけです。

つまり僕達の自我とは、ある種、コミュニケーションのツールであり【他人からこう思われているだろう】というイメージの集合体、それを自分自身であると認識しているわけです。

それは、僕達が認識している他人というものが、実は僕達の一部であるということを意味しています。

そして、この一連の事柄は、認知行動学や脳機能学などで立証される以前は宗教的な、思想的な概念であり、仏教の開祖である釈迦が提案した生き方の規範であったわけなんですが、現代の科学は、この慈悲を十分に説明できる領域にあります。

つまり、慈悲的な生き方の有益性は、科学的に立証されている事実でもあるわけなんです。

それでは、ここまでの話を理解した上で、もう一度【慈悲】という言葉を思い返してみてください。

慈悲とは、自分と他者に対して、等しい思いやりを向けることでした。

これが何を表しているのか、もう薄々気がついている方もいるかもしれません。

つまり慈悲とは、人間が本質的に幸せになる、即ち自分の自我を満たしてあげる為には、自分だけのことを考えているだけでは不十分で、幸せになる為の要素としては半分しか意識出来ていないことを、さし示しているんです。

思い返してみてください。

僕たちが人生につまずき、上手くいかないと感じている時のことを・・・。

それはきっと、信頼していた恋人に突然別れを告げられたり、騙されてお金を失ったり、いじめられて多くの人から迫害されたり、ネットの誹謗中傷に悩んだり、もしくはそんな経験の中で、何もない自分の価値が人よりも低いのではないかと自信を失い、あげくには自分を責めてしまったり。

いずれも、原因は慈悲の足りなさ、自分への愛情、そして他人への愛情、そのバランスが著しく傾いた時に、発生している心の動きなわけです。

それでは逆に、あなたが幸せだと感じていた時間も思い返してみてください。

それはきっと、両想いの恋人と海を眺めていたり、信頼しているパートナーとのビジネスで切磋琢磨していたり、仲の良い友人の輪の中で安心して笑えていたり、自分自身のことも、そして周りの知人のことも、等しく思いやれている安心感の中であったはずです。

それは、遊具のシーソーのバランスが、中心で止まった状態に似ています。

自分に対しても、相手に対しても等しく、境界線なく愛情を向けられている状態です。

面白いことに、人間の自立神経のバランスも、この慈悲の考え方同様、シーソーのバランスのように、中心で止まっている状態が理想とされています。

そして、このシーソーのバランスが安定している時間こそが、慈悲的な生き方が出来ている時間であり、満たされていて、幸せを感じることが出来ている時間とも言えるわけです。

しかしながら僕達は、この慈悲という言葉を理解出来ていないが故に、自分のことも、そして他人のことも平気で傷つけてしまいます。

それが、全て諸刃の刃であるとも知らずに・・・。

これはとても非合理的で、悲しいことであり、幸福になることが共通の目的である、僕達人類にとっては非常に大きな痛手になります。

僕達は自分を嫌いになれば、外部の世界を自分に合わせる為に、人に当たるようになり、周りを傷つけるような発言をしたり、ネットで誹謗中傷したりするようになります。

それは、僕たちと周りの世界が同じ物である証拠で、いかなる場合も必然的にそのようなバランスに落ち着こうとします。

これは、無意識にシーソーのバランスを取ろうとする行為の現れなのです。

誹謗中傷などを行う彼らは、悪質で社会問題になっていますが、実はとても傷ついた人達です。

そして一方で、僕達は自己犠牲の精神を持ち、他人の為だけに生きる選択をしても、結局疲れ果て、挙句、人を信用できなくなり幸せにはなれません。

なぜなら、あなたに自己犠牲を強いるような人物は、総じて慈悲的ではないからです。

ですので大事なのは、僕達が慈悲的であること・・つまりは、

僕達自身が、自分と他人への愛情のバランスを丁度、同じくらいに保つことなんです。

人から奪わず、人にも奪われないようにする。

具体的には、お互いの価値観を侵害しないように、付き合う人々との最適な距離感を考え、常に相対する人々と自分自身の関係性、そのバランスに意識を向けることが重要です。

それは、自分の為、そして自分と付き合う人達への慈悲的な配慮です。

そして僕達は、そのように慈悲を胸に抱いて生きる限り、自分を傷つけることも、他人を傷つけることもなく、人生を踏み外すことが絶対にありません。

なぜなら、慈悲的である限り、自分も人も傷つけないわけですから、幸福も不幸も、人間関係から感じる僕たちは必然、人生に苦痛を感じることが無くなっていくわけです。

そしてもし、この慈悲を世界中の人々全てが持ったとしたら・・どうなるでしょうか?

世界がこの事実に、人生の非合理性に気がついたなら・・それは真の意味で幸福の世紀となるでしょう。

つまるところ、僕がこの文章を書いているのには、そういう理由があったわけです。

【自分の為=他人の為】これは、本質的には一緒のことなんです。

この文章で慈悲を知る人が増え、それを電波させること出来る人が増えれば、世界は今よりもっと良くなります。

そして周囲の世界が改善されていけば、僕も今よりもっと幸せになれるわけです。

慈悲とは、そのような理論が成り立つ最高のアイデアなんです。

きっとこれから、世界中で同じ認識を持った多くの人々が、この【note】のようなプラットフォームを使って、慈悲などの情報を大量に電波させる時代が来ることは必然だと思います。

携帯端末の普及により、ネットにアクセスできる人口が飛躍的に増加している昨今、人類が本当の意味で幸福になれる時代はこれから来ると思います。

今日、この文章を最後まで読んでくれたあなたも、是非この慈悲の考え方を人生に取り入れ、幸福度を向上させてください。

そして、出来ればいつか慈悲の考え方を発信し、多くの人に教えてあげてください。

実はこの世界の構造は、意外と捨てたものじゃないことを。

その瞬間にあなたも、無限に幸福度を向上させることの出来る、慈悲的なスパイラルの仲間入りです。

文:金狐 ホクト

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【あとがき】

慈悲的に生きる為には、数々の科学的な方法論が存在します。

また、そのような内容については、随時更新していくこととします。

もし、このテキストが為になったと感じられた方は、noteやTwitterのフォロー、SNS等で拡散して頂けると喜びます。

お読み頂き、ありがとうございました。

どうか、慈悲的で幸せな人生を歩んでください。

【Twittr】https://twitter.com/hokuto_kaneko

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