お絵描き女子
その女の子は、他の子どもたちと少し違っていた。
4歳の頃、皆が夢中の「お人形さん」には見向きもせず一心不乱に「お絵かき帳」にクレパスで絵を描いていた。
それも皆が使う色はあまり使わず、淡い色を好んで使っていた。
5歳の時、彼女は「画集」に並々ならぬ興味を示し、特に「印象派」と呼ばれるフランスの画家たちの絵を食い入るように見つめていた。
彼女は、サンタさんにクリスマスのプレゼントは「色鉛筆とスケッチブック」をお願いした。
それが手に入ると、彼女は画集に載っているモネの「睡蓮」の模写を始めた。
何かに取り憑かれたように無我夢中で模写に励み、見る見る上達していく我が娘を両親は、少し心配しながらも目を細め、手を取り合って見守っていた。
6歳になった時、両親は倉敷の大原美術館に彼女を連れて行った。
モネの「睡蓮」の原画に会わせるためだった。
彼女は、まるで導かれるように「睡蓮」の前に行き、ずっと身動きせずに観ていた。
その大きな瞳からは涙が溢れていた。
それから10年の歳月が流れた。
高校生になったその女の子は、早朝にモネの画集を小脇に抱えて登校すると、自分のアトリエにしている美術部の部室に直行して創作に励んだ。
授業は進級に必要な分だけ出席して、授業中はひたすらクロッキー帳に何かを描いていた。
そんな彼女も、美術部の顧問の指導には従って勧められた絵画コンクールには出品し、賞という賞を総なめにして高校の栄誉に一役買っていた。
しかし彼女は受賞には何の関心や興味も示さず、授賞式も時間がもったいないと何時も出席を嫌がり、しぶしぶ顧問に連れていかれていた。
級友たちは、そんな彼女を『モネ子』と呼んで暖かく見守り、創作活動に没頭できるよう協力を惜しまなかった。
教師たちも、彼女の『創作活動』に理解を示し、許される範囲の配慮をした。
彼女は皆から愛されていた。
しかし、彼女にとって最高の環境であった高校生活が終わろうとしていた。
そろそろ卒業後の進路を決めなければならない時期が来ていた。
美術部の顧問でもある担任は、美術大学への進学を勧めたが、あっけらかんと彼女が出した答えに皆が一斉に『そうだよなぁ~』と納得した。
「どこに行くかって? フランスに決まってるじゃん!」。
<了>