保健委員
書き溜めたエッセイ等です。
様々な事柄や品物等の覚書です。
撮った草花や風景等の写真です。
「どうしよう…。わたし認知症になったみたい。香りが分からなくなってきているの」。 ある日、近所で書道教室を開いている古希を迎えたばかりの叔母から突然電話があった。 慌てて話を聞くと、最近香りを感じにくくなっており、それをどうやら認知症の始まりと思い込んでいるようだった。 早速、叔母宅に行くと仄かに墨の香りがした。 「認知症って香りが分からなくなるのでしょ?」。 根拠のない怪しい情報に惑わされて不安に駆られた叔母は、顔を合わすなり勢い込んで僕にその気持ちを
二十年前に家族旅行で訪れたあるリゾートホテル。 今でも思い出話に花が咲きます。 最寄りの駅からしばらくバスに揺られて着いたそこは正に緑の別天地。 私たち四人はすぐに魅了されました。 チェックインした後は、ホテル内の温泉で湯質と備え付けのコスメを堪能しました。 翌日も朝から温泉を楽しみ、妻と大学生の娘は気に入ったコスメを求めてショップへ。 私と高校生の息子は、優しい香りのするホテルのロビーから一面に広がるネモフィラの景色を眺めて、ゆったりとした時間を過
大切にしているメモがあります。 お義母さんに書いてもらったおせちの黒豆のレシピです。 もう四十年間使っています。 初めて見たお義母さんの黒豆は、ふっくらとして黒光りしていました。 その色艶に思わずため息が出ました。 早速、お義母さんにその作り方を教わりました。 秘訣は「丹波の黒大豆」と「南部鉄の鉄玉子」でした。 毎年、お正月には互いの品評会をしました。 嫁姑の楽しい一時でした。 黒豆を通じて絆が深まりました。 お義母さんが黄泉の国に旅
福岡生まれの私にとって銘菓の「ひよ子」は、父の土産の定番でした。 最初の頃は大喜びで食べていましたが、「ひよ子」ばかり買ってくるので、小学生の私はとんでもない食べ方をするようになりました。 かわいい頭部だけを二つ先に食べ、その胴部を並べて「ブーツ」と呼んで眺めていました。 誠に罰当たりな食べ方です。 時は流れ、縁あって関西に嫁いだ私は「ひよ子」のことをすっかり忘れていました。 そんな折、あの「ひよ子」を大阪のデパートで見つけ、懐かしさのあまり早速買い求め
私の勤務先が、突然、外部委託していた宿直を役付職員ですることになり、金曜日が私の当番になりました。 それまでの勤務が平日の日勤帯だったので、ものすごく不安でした。 でも、やるしかありません。 ところが「案ずるより産むが易し」で、宿直の業務は思いの外スムーズにできました。 ただ、週一回の宿直は五十路半ばの身にはこたえ、明けのお風呂が何よりの楽しみになりました。 土曜日の朝、帰宅して乳白色の入浴剤が入った湯舟に「アァ~」と言って浸かり、ジャスミン系の香りに包
平成元年の初夏でした。 東北地方へ一緒に出張する上司が、なぜか行程は任せろと言い出しました。 嫌な予感がしました。 案の定、米沢での出張業務が終了した翌朝の八時前、否応なしに各駅停車の電車に乗せられました。 往路では使わなかった『米坂線』というローカル線でした。 復路にこの線を使うのは、お金も時間もロスです。 なぜ、辺鄙なこの線を使うのか不思議でした。 途中、小国という駅で下車して小一時間ほど待って乗り換え、お昼前に坂町という駅に到着しました。
宮崎生まれの私は縁あって関西に嫁ぎました。 舅は物静かな無口な人で、なかなか打ち解けることができませんでした。 そんな折、何気なく名古屋在住の姉から貰った菓子折りを持参しました。 それが坂角総本舗の「ゆかり」でした。 舅は一目見るなり、急いで包みを開け、喜色満面で口にしました。 普段の様子とあまりに違うのでびっくりしていると、急に饒舌に語り出しました。 それによると、生家の近所に「坂角」のお店があり、よく食べていたそうです。 「私はバンカクの海老
<プロローグ> 講談社文庫で「小説履歴書」というキャンペーンがありました。 今まで読んだ小説を三つ選んで、自分なりに紹介するものです。 これを歌姫でしてみました。 1. 由紀さおり 1970年、小学六年生の時に「手紙」と「生きがい」を聴いて大ファンになりました。 きれいで上品な歌声が大好きでした。 彼女の活躍の場は、歌だけに留まらず、お笑いや映画にも及びました。 その全てにおいて、品がありました。 2. 山本潤子 1975~6年のハイ・ファイ・セ
今から二十二年前、私は所用のため大阪から米子へ高速バスで行くことになりました。 伯備線の特急やくも381系は、揺れて酔いやすく「ぐったりやくも」の異名があったので避けました。 同じ所用先に行く先輩は、新幹線とやくもを利用すると言う。 さらに「俺はバスでは行かない」と偉そうに放言したので、コイツ揺れることを知らないなと思いました。 すると今度は「先着するなら駅で待っていろ」と命じてきたので、異名のことは内緒にしました。 その日の夕刻、米子駅で待っていると、
アラン・ドロンが88歳で鬼籍に入った。 二枚目で、とにかく格好良かった。 1970年代後半の高校時代に「甲南朝日」という名画座の映画館で、彼の主演映画がよく上映されていた。 館主の方が好きだったのだろう。 彼の主演映画で観た16本中5本を、この映画館で観ていた。 特に印象に残っているのが「高校教師」。 くたびれた中年の教師役だったけど、男の色気があふれていた。 何の役でも、何をしても、アラン・ドロンって格好良いなぁと感じ入った。 また、このサ
● 「気合いの新聞書評」 BSテレ東の『あの本、読みました?』で朝井リョウ氏が、新聞書評ではギッチリと一字も余すことなく紹介するのが理想であり、それが私の気合いの提示であると言っていた。2024年8月11日の読売新聞の郷原佳以氏の書評がまさにそれである。両氏の思いが伝わってくる。
還暦を過ぎて急激に髪が薄くなった。 短髪にしてできるだけ誤魔化していたが、もう限界だった。 同居する孫に「じいちゃん、もう坊主しかないわ」と言うと、「エ!?、もう坊主やん」と真顔でツッコまれた。 育毛剤の類には一切手を出さなかった。 以前、近所の散髪屋さんのおばちゃんが某有名育毛剤会社を名指しして「あそこの社長は禿げてるで」と教えてもらって以降、絶対に手を出すまいと誓っていた。 また、カツラと植毛の類には五年でベンツ一台分の費用を要し、金が尽きて諦めるの
鈴木保奈美さん司会のBSテレビ東京「あの本、読みました?」という番組を楽しみにしています。 直木賞作家の朝井リョウ氏が出演された「新聞書評」の回は見ごたえがありました。 氏が、これほど真摯に新聞書評に向き合って取り組んでおられることに驚き、感銘を受けました。 今まで氏のエッセイの読後感から「チャラチャラした変な奴」と思っていましたが、違いました。 大変失礼しました。 認識を改めます。 特に、新聞書評の総文字数を無駄なく使って紹介することが理想である、
さらば青春の光が司会をするテレビ大阪の「さらばのこの本ダレが書いとんねん!」を楽しみにしています。 紹介する本の著者が登場し、さらば青春の光の二人と対談してツッコまれる番組です。 意外にもツッコまれた著者が、とてもうれしそうなのです。 本と著者の魅力をツッコミというツールを駆使して伝えているからだろうと思います。 さらに、さらば青春の光の二人が最後に提示する「帯」のコピーは秀逸です。 このコピーが実際、本の帯になった本もあるそうです。 他局の似たよう
【プロローグ】 炭酸が大好きです。 あの「のどごし」がたまりません。 そこで、私の「炭酸履歴書」を残しておきたい思います。 【駄菓子屋さんのラムネ】 小学生の時は、近所の駄菓子屋さんで玉詰め瓶の「ラムネ」を愛飲しました。 おばちゃんに玉押しで栓を開けてもらうと、少しでも溢れないように急いで口をつけました。 このエッセイを書いていて、のどごしの快感を、もう小学生の時に知っていたと分かりました。 【パン屋さんのチェリオ】 中学生の時は、部活帰りに学校近
高校野球の夏の大会が、甲子園で始まる。 MLBとNPBの観戦は好きだが、高校野球はさほど興味がない。 なぜなら、高校野球の監督が大嫌いだからである。 高校生の時、野球部の監督という部外者の「変なオッサン」が偉そうに校内を闊歩していた。 野球部員のみならず、教師連中も挨拶しているのを見て不思議でたまらなかった。 高校生が監督をすれば良いのにと思った。 その補佐を教員がすれば良い。 この持論は今でも変わらない。 そうすれば、高校野球にまつわるお金