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歴史学者 保苅実(1971.7.8-2004.5.10)
こんにちは。早逝した歴史学者 保苅実の姉、由紀です。最愛の弟を悪性リンパ腫で亡くしてから17年の月日が流れました。メモリアルウェブサイト"Being Connected with HOKARI MINORU"を立ち上げ、彼が遺した唯一の著書「ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」の活躍を見守り、彼のラップトップに残っていた英語原稿を"Gurindji Jour
もっとみる保苅実。誕生日メッセージ。
みいちゃん、お誕生日おめでとう。うっそー、まさかの53歳!!そりゃそうだよね。もうあれから20年だもの。
去年の秋に引き続き、この春も日本にほぼ一ヶ月滞在しました。著作集BOOK 1刊行記念イベントとして、東京堂書店で、あなたの一橋時代の友人の山本啓一さん(5月21日付けで「つながる会」の相談役に就任)と、みずき書林の岡田林太郎さんと知り合いの北極冒険家の荻田泰永さんも一緒に、そして新潟市内の北
公開質問状に回答がありません。#保苅実
昨年12月、パブリックヒストリー研究会が「保苅実」を題材とする公開研究会を開催するという話を、知人より聞き、正式連絡を待っていましたが、来ないので、2023年12月1日にそれを暗に示した形で X に投稿しました。
時差の関係で米国東海岸からの参加には無理があり、当日12月26日は、つながる会を代表して笹倉いる美氏が出席しました。最後の質疑応答で、つながる会から「回答はこの場では求めない」としなが
保苅実著作集:生命あふれる大地
このたび「保苅実著作集 BOOK 1 〜生命あふれる大地」(図書出版みぎわ)を刊行しました。
彼が遺したたった一冊「ラディカル・オーラル・ヒストリー」が日本中を旅して多くの人々に出会いました。その旅を見守っていただけの私が、弟の死後20年となる今になって著作集をだそうという気持ちになったのは、保苅実を直接知らない読者や、保苅実の影響をうけた若い研究者が、私の目の前に現れてきたからに他なりません。
UNSW 保苅実記念奨学金制度についてのご報告
2024年は、保苅実にとって、私にとって、つながる会にとって大きな節目になります。大事なご報告が2つあります。超長文です。
まず、保苅実著作集(全2巻)の刊行予告がでました。Book 1はエッセイを中心に Book 2は論文を中心になっています。すべて発表済みの原稿なので遺稿集ではないのですが、こうやって著作集として二冊にまとまるというのはとてもいいものです。
さて。
20年前に設立された、
保苅実とつながる会ニュースレター:Dec 2023
皆さん、こんにちは。年末年始のご挨拶にはちょっと早いですが、今週から子供たちが帰省しますので、その前に。
さて。ミノルが亡くなって1年後にうまれた娘の仁香瑠(ミドルネームは「みのり」)を、無事オハイオ州の大学に入寮させたのが8月半ばのことですが、私は10月半ばから三週間、日本に一時帰国しました。こんなに楽しく充実した一人旅はうまれて初めて。世話が必要な相手はいないし通訳の必要もなし。好きなときに
保苅実。誕生日と命日の意味。
6月の私の誕生日が来たら、ちょっとしてミノルの誕生日が来る。7月8日で彼は52歳になる、はずだった。
私は、ミノルの闘病中から彼の友人知人に、亡くなってからは何らかの形で彼とつながってくれた人たちも合わせて数百名に向けて年に数回、つながる会の活動報告としてのニュースレターを出している。
ミノルの命日5月10日。
ミノルの誕生日7月8日。
年末年始のご挨拶。
そのうち命日を意識するのが辛くなっ
保苅実。入試問題に使われる「ラディカル」と著作権。
これまでに何度も「ラディカル・オーラル・ヒストリー」が入試問題に使われている。使用されると、著作権料の支払いについて私のところに連絡がくる。
掲載許可が1年だけだったり5年だったりするし、掲載先が当該大学のウェブサイトだったり予備校の問題集データベースだったりして、その条件によって著作権料が違うのだろう、金額は様々であるが、入金された著作権料は全て「保苅実とつながる会」の活動費になっている。
保苅実。遺された、あるE-mailから。
彼らしい章を最後にもってきたと思う。この本が出る頃には自分がもうこの世にはいないことを想定して、著者である保苅実という後ろ盾のいないこの本が受ける賞賛と批判に備えて、彼らしく万全な準備をしたと思う。
数多くの書評が出て、わかったようなことを言いやがって、と思うこともあった。著者が死んでるからって反論がこないってわかってて、勝手なことを言うなんて卑怯な、と思うこともあった。
姉である私が、彼が遺
保苅実とつながる会ニュースレター: January 5, 2023
皆様、明けましておめでとうございます。大学4年生の息子が帰省して家族の時間をゆっくり過ごしていたため、年内にお便りできませんでした。
さて、良いニュースと悪いニュースがあります。重い心を抱えて、悪いニュースから先に。
ニューサウスウェールス大学インターナショナルハウスの保苅実記念奨学基金についてご報告しなければなりません。2003年に設立されてから、2016−17年にある種の「組織再編」があり
保苅実。2003年のある私達姉弟のやりとり。
私はとにかく書くことが好きで、日記だブログだと中学時代からあちこちに書きまくっていた。2003年のブログは不特定多数相手に書いていたのだけど、弟のミノルには近況を知らせるような気分で、URLを教えた。
このブログのことは誰にも言うなと言ってあったのに、亡くなってから、彼の元カノが読んでいたことがわかり、もしもまた書くことになったら知らせてください、と連絡が来たのだけれど、怒る相手はもうこの世にい
保苅実。稀にない悪筆。
とにかく字が汚かった。あれほど知性に溢れた男だったのに、筆跡からはその微塵も感じられない。むしろそのチグハグさこそが、彼のスゴさを物語っているかのよう。笑。
私の四つ下。昭和46年(1971)生まれだから、14歳の彼の字。かなり意識的に丁寧に書いてるのがわかる。15年後の29歳の時に受け取ったはず。
姉の私がとりわけ美文字だったせいもあるのだろう、彼は悪筆にコンプレックスがあって、あちこちで似
保苅実。「個性的な人材」ついて考えてみた
遺品を整理していたら、「350[サン・ゴー・マル]LIMITED」という文庫本が出てきた。日本の就職風景 Text Book とあって文化放送ブレーンによる出版。1993年。友達の日比野克哉くんも、別ページに登場している。
彼の声が聞こえてくるような文章だ。この頃にはもうオーストラリア先住民の研究に入っていたのだろうか。
卒論のタイトルは「オーストラリア先住民の歴史 ~アボリジニと近代~」
保苅実とつながる会ニュースレター: July 8, 2022
みいちゃん、51歳!私たちも、年をとりましたね。100歳まで生きられる時代になり、まだまだ人生半分終わったとこ、みたいな印象ありますが、体力や脳の健康を考えたらあと20-25年といったところでしょうか。とはいうものの、バイデンは79歳でアメリカ大統領やってるし、86歳のパパは、脳梗塞から奇跡的な回復を果たし、ゴルフの毎日を楽しんでいるし、股関節の手術をしたママは、60歳みたいな姿で元気にしているの
もっとみる保苅実。詩 "Bike riders" by Ray Tauss
Ray Taussは、保苅実の友人である。弟、保苅実は、悪性リンパ腫との診断を受け、息を引き取るまでの10ヶ月間、世界中の友人知人数百人に向けて八つのメッセージを書いた。それらのメッセージと一緒に、そしてときにはそれとは別に、姉として私からもメッセージを書いた。
2003年に彼が亡くなってからも毎年、命日と弟の誕生日と年末年始の三回、
英語と日本語で書くことにし、10年たって命日は辛くなってやめ