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保苅実。誕生日と命日の意味。

6月の私の誕生日が来たら、ちょっとしてミノルの誕生日が来る。7月8日で彼は52歳になる、はずだった。

私は、ミノルの闘病中から彼の友人知人に、亡くなってからは何らかの形で彼とつながってくれた人たちも合わせて数百名に向けて年に数回、つながる会の活動報告としてのニュースレターを出している。

ミノルの命日5月10日。
ミノルの誕生日7月8日。
年末年始のご挨拶。

そのうち命日を意識するのが辛くなって、誕生日と年末年始の2回だけに減らした。

命日が来ると、娘が「ママ、今日大丈夫?」と聞いてくれるようになった。
そして、今年のこと。

命日って、なんか死んだ日を確認する感じで嫌なのよ。でも誕生日は生まれたことを祝う日だからって友達に言われて、あぁそうだなって。

そうかな?誕生日はむしろ生きていれば何歳になったのに、って思っちゃうじゃない。でも、命日ってことはもうこれでみぃちゃん辛かったり苦しかったり痛かったりしなくなったってことでしょう?お空で楽しく過ごすようになった日ってことでしょう?

そう明るく娘は言って、学校へ行った。そして、娘が言った言葉をぼんやりと考えて命日を過ごした。

そうかもしれない。 
私はアメリカで暮らし、弟はオーストラリアにいたから、すぐに会えないとか話せないっていうのは当たり前だった。闘病中も、英語ができない両親は病院につきっきりで、私が看病以外のことをアメリカから、そしてオーストラリア滞在中もやりくりしていたから、目の前にミノルがいなくても、今もまだ彼がどこかにいるという感覚が抜けない。分骨してもらって彼の一部はこのリビングの片隅に写真と一緒にいるけれど、お墓は新潟にある。地上にいないけど空にはいるっていう感じは、この世にはもういなくてあの世にいるっていうよりも、ずっと身近に彼の存在を感じられる。感じている。

空から、いつも見守られている感じ。

この歳になって周囲の人が死んでいくことが多くなった。それは友達の親だったり恩師だったり、友人の突然死だったり闘病死だったり、友達が可愛がっていた犬だったりするのだけれど、私はミノルの死以来、自分が死ぬことも怖くなくなったし、誰が死んでも、ミノルによろしく伝えてください、みたいな気持ちになる。残された人たちには、向こうでミノルが歓待してるから大丈夫ですよ、って本気で言う。

娘の言葉を聞いて、私が死んでも彼女は大丈夫だなって思った。私がミノルにようやく会えたことを喜んで、空から二人で彼女のことを見守ってるって感じるだろうから。

つながっている、っていうのはそういうことだと思う。肉体じゃなくて心が。魂がつながっているっていうこと。

そんなことを、自分の誕生日に考えていた。

追記:トップの写真は、保苅実の母方祖父である芥田一馬が趣味で描いた水彩画です。

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