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公開質問状に回答がありません。#保苅実

昨年12月、パブリックヒストリー研究会が「保苅実」を題材とする公開研究会を開催するという話を、知人より聞き、正式連絡を待っていましたが、来ないので、2023年12月1日にそれを暗に示した形で X に投稿しました。

時差の関係で米国東海岸からの参加には無理があり、当日12月26日は、つながる会を代表して笹倉いる美氏が出席しました。最後の質疑応答で、つながる会から「回答はこの場では求めない」としながらも、「蘇生」という言葉の不適切さなど、諸事項をあげて抗議したにもかかわらず、事後連絡すらありませんでしたので、2024年3月9日付けで、パブリックヒストリー研究会のメールアドレスに、以下の「公開質問状」を送信しました。

それでもなお、本日現在、まだ回答を頂いておりません。ここまで徹底的に無視されて黙っているわけにはいきませんので、ここに文字通り質問状を「公開」し回答を求めます。


パブリックヒストリー研究会関係者様

2023年12月26日にパブリックヒストリー研究会が主催する第16回公開研究会「保苅実の遺産:アボリジニ先住民の歴史実践を共同想起する」が開催されました。タイトルに保苅実の名前が使用され、趣旨は保苅実をともに回顧し、現在に蘇生させる試みを行うというもので、保苅実なしでは成立しない研究会であったと言っても過言ではないでしょう。

それにも関わらず、この公開研究会が開催されることについて、パブリックヒストリー研究会からは、遺族であり著作権継承者である私や保苅実とつながる会(以下、つながる会)には一切の連絡がありませんでした。

また、公開研究会において、つながる会から、保苅実の名前を冠した研究会の開催について連絡がないこと、蘇生させるという言葉の不適切さ、著作である『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(以下、『ラディカル』)は岩波現代文庫ではなく、御茶の水書房が初版を発行していることを指摘しましたが、本日現在、研究会の広報ページもそのままですし、また遺族あるいはつながる会に事後承諾を求める連絡もありません。

この公開研究会は保苅実の没後20年を迎えるイベントと題されていましたが、つながる会でも2024年を死後20年として、著作集の出版をはじめ、記念となるようなそれなりの企画を計画していました。そういった特別な機会を、勝手に奪われて乗っ取られたような気持ちもしています。

私は、弟の闘病中から彼の知人友人に宛てて、そして彼の死後20年に至る現在まで『ラディカル』の読者や、保苅実写真展に来てくださった方、図録を購入してくださった方、保苅実記念奨学基金に寄付してくださった方たちに向けて、毎年数回ニュースレターを書き、つながる会の活動や、『ラディカル』のその後、保苅実の研究に関係するイベントの開催、基金の残高や奨学金の受賞者などについて、報告しています。先日も、UNSWの保苅実記念奨学金制度について報告したことをご存知の方も多いことでしょう。

姉である私が『ラディカル』と「保苅実」に関わる際にまず考えるのは「許可」を得ることの重要性です。

「そこまでしなくてもいい、長老たちに論文は読めない」とまで指導教官達に言われながら、キャンベラからわざわざダグラグに足を運び、博論を長老達にプレゼンして提出許可を得た、というエピソードを、保苅実について語る研究者の皆様がご存知ないはずはないと思います。保苅実写真展開催も写真展図録の作成も、グリンジの人々からの許可が取れなければ、私には実施することは考えられませんでしたし、諦める覚悟すらありました。

小さな内輪の研究会であればともかく、彼の名前を使った今回のような公開イベントを開催する際には、また私やつながる会が公開した保苅実の写真を使用する場合には、当然のことながら事前に連絡があるものと思ってきました。

2004年、一橋大学で「保苅実と語る会」
2006年、慶応大学での「歴史実践へのまなざし」
2016年、日本オーラル・ヒストリー学会 第14回大会
保苅実記念シンポジウム「いまあらためて「保苅実の世界」を探る」
2016年、福岡市美術館「歴史する!Doing History!」

これらすべての主催者からは、開催の旨連絡いただいていますし、開催の報告まで受けています。

保苅実を公開の場で題材にすること、そこで彼の写真を使用する場合には、連絡して許諾を得るのが当然のことではないでしょうか。私が研究会の開催やそこでの写真の使用を許可しないことはありません。写真提供を「保苅実とつながる会」にしていただければよいだけのことです。

私は研究者ではありませんから、『ラディカル』についての議論や批判を、弟が投げ入れた「花弁の爆発」として喜び、大いに歓迎することはあっても、議論に口をはさんだり、そうした機会を阻止することなどこれまで一度もしてませんし、これからもするつもりはありません。ただ、生前の弟と知り合いであったとしても、この20年間様々な活動を通じて『ラディカル』の旅を支えてきた私の存在を無視されてよいとも思っていません。

誤解があっては困るので、繰り返し申し上げますが、私は『ラディカル』や保苅実についての議論や批判を大いに歓迎しています。今回のパブリックヒストリー研究会の失態ゆえに、保苅実には触れない方がよいというような風潮にはなってほしくありません。

「保苅実」の無断使用の事態を放置した結果、同じようなことがまた起こることを危惧し、パブリックヒストリー研究会が主催した第16回公開研究会「保苅実の遺産:アボリジニ先住民の歴史実践を共同想起する」の開催について、私とつながる会の態度を表明することにいたしました。本来であれば、代表者に正式抗議するところですが、代表者が不明のため、パブリックヒストリー研究会宛て公開質問状といたします。

2024年3月9日
保苅由紀
保苅実とつながる会

この表紙の写真を切り取った形で、無断使用されました。


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