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保苅実。誕生日メッセージ。

みいちゃん、お誕生日おめでとう。うっそー、まさかの53歳!!そりゃそうだよね。もうあれから20年だもの。

去年の秋に引き続き、この春も日本にほぼ一ヶ月滞在しました。著作集BOOK 1刊行記念イベントとして、東京堂書店で、あなたの一橋時代の友人の山本啓一さん(5月21日付けで「つながる会」の相談役に就任)と、みずき書林の岡田林太郎さんと知り合いの北極冒険家の荻田泰永さんも一緒に、そして新潟市内の北書店では、「私が保苅実とお姉さんに囲まれたポスターにいる未来なんて、十年前の私は想像もしなかったでしょう。前夜は興奮で眠れないかも!」という若手歴史社会学者の清水亮さんと対談をしました。

去年の秋に、啓一さんとも清水さんとも初めてお会いしたばかりだというのに、最初の対談の相手はこの二人と私は決めていて、あのような公の場で話すことなど初めての私を、大学の先生であるお二人はさすが上手に導いてくれました。姉である私やあなたの友人が語るあなたの思い出は、「ラディカル」から想像する2Dの保苅実を3Dにすることができたようだし、没後20年の記念刊行イベントではあるけれど、追悼であるだけでなく、あなたの業績が20年間生き続け、影響を与え続けて今につながり、清水さんのような若い研究者たちとともに、将来へとつながっていく可能性とその様を語ることができたと思います。

この対談がきっかけとなり、荻田さんが十数ページものメモをとりながら「ラディカル」を読んでくださって、まだその興奮冷めやらぬまま、その感想をお話してくれたことも、あなたが遺した「ラディカル」が今でもその力を発揮している証拠のようでした。

二つのイベントの参加者の中にはこの20年間で、生前のあなたや私となんらかの接触があった人も、純粋に「ラディカル」から影響を受けたという人もいました。あなたの遺影になった写真つきの読売新聞のあの記事を書いた泉田友紀さんもきてくださったのよ。

BOOK1に入れた「アボリジニの世界へようこそ!」を読んで「この人と結婚しなきゃ」と思ったという方(津田の後輩だし!)の発言に会場はドン引きし、私は大笑いし、あなたの高校時代の同級生が、一緒に受験勉強したときにあなたが彼のノートにあのミミズが這いつくばったような悪筆で落書きしたというエピソードを思い出してくれたり、それはそれは楽しい時間でした。

いつもニュースレターに返事をくれるあなたの中学高校の後輩も出席してくれて、会うのは20年ぶりでした。日を改めて彼女と半日過ごしたのです。彼女が外資系の証券会社に就職したとき、「俺の姉貴と話が合うと思うよ」とあなたに言われ、ただ勤務先が似ているだけで話が合うのか?と思ったそうなのですが、私と話をして、ようやくあなたがそう言った意味がわかったと、「いつも保苅さんと会うときは、私の考えについて意見を聞くのも楽しかったし、その時保苅さんが考えていることを聞くのもすごく楽しかったんです。同じことが、お姉さんとできる喜び。話していて発見や学びがある楽しさ、この人と話をしたい、この人の話を聞きたいと切実に思う。それがすっごく嬉しかったです」と言われました。いろんな人に言われてますが、私とあなたは、人への接し方とか、ベースになっているものが似ているんだそうです。ふふふ。

金沢で、啓一さんとひびやんと七尾に日帰りしたときも、新潟で、清水亮さんと大川史織さんを「自由で危険な広がりのある」日本海に案内したときも、「歴史実践」という、特定の場所とそこにいる人たちとの会話によって蘇ってくる「隠れて沈んでいた記憶」には驚くばかりでした。

日本海で Doing History! 

今年の秋には福岡で二つイベント(一つは九大で飯嶋秀治さん企画、もう一つはajiroという書店のイベントスペースで)をしますが、その下見で今回福岡を訪れたときに、やっと一谷智子さんとお会いすることができました。「私こんなにしゃべってますが、シャイなんです」という彼女の言葉にふきだしたのは言うまでもありませんが、献本でいただいた「開かれたかご」という一谷さんが訳されたマーシャル諸島の詩人の詩集は、あなたが生きていたら間違いなく読んでもらいたかった一冊だそうです。

今年の10月にここでイベント@福岡市

一谷さんを私につなげてくれた大川さんから、一谷さんがあなたを頼ってオーストラリアにいきキャンベラで会ったときに、アメリカにいる私の話をした、と聞いていました。若い女性との初対面時に姉の話をするなんてと呆れてました。その話を啓一さんにしたら「それは彼女との出会いがとても心地よいものだったからですね。お姉さんというプライベートなことを話したくなるような相手だったんでしょう」って言われたのですが、まさに温かな誠実な方で、福岡では大変お世話になりました。きっと、あなたへのお返しのつもりだったのでしょう。

詩を読み、解説を読んで、また詩を読むこと。

訳者である彼女による見事な解説は、Spoken Wordという形でもPage Poemという形でも、詩のもつ「伝える力」について考えさせてくれます。そして、グレッグ・ドボルザーク氏の名前とともに「日本の記憶喪失」という言葉が出てきたとき、ミクロネシアを研究対象とする彼とフェイスブックでフレンドだったことを思い出しました。大川さんが送ってくれた一冊で、私はマーシャル諸島と出会い、一谷さん訳の詩集で再会し、そこからグレッグとも一本の線でつながったのは、やっぱりあなたの糸引きでしょう?

北書店の佐藤さんは、古町にあったあの北光社にお勤めのときに、新潟まで御茶の水書房の営業の方がもってきた「ラディカル」を本棚に並べた方です。あの北書店でのあたたかな雰囲気のイベントのあと、出版されたときに読んで以来、読めなかった「ラディカル」を手に取ることができました。啓一さんが「最初からじゃなくても、どの章からでも読めますよね」と言ってくれたのも、なるほどねって。

ねぇ。あなたと「ラディカル」が、私にいろんな人と会わせてくれているのを感じています。ありがとう。涙はまだ枯れないけれど、やっと、思い出して悲しくなるだけ、悔しくなるだけじゃなくなった。いろんな人とつながってるね、嬉しいねって思えるようになった。これからは、あなたが見守ってくれる中、私を引っ張り出してくれた人たちといっしょに、「ラディカル」や著作集たちといっしょに、いろんな方法で、あなたのいう「歴史実践」を広めていきたいと思うのです。歴史は楽しくなくっちゃ、ね。

「歴史実践」といえば、ほら、清水さんがこんなエッセイを書きました。こんなのを読むと、このとおり歩きたくなってしまい、いつかご一緒させてほしいとお願いしました。

イベントには、生前のあなたのことを知っている人も、「ラディカル」を読んで知った人も、読んだことのないけど保苅実って誰?っていう人も関係なく参加してほしいと私は思っています。そこから私との新たな出会いが、そして参加者同士も出会って、みんながあなたとつながるように。それが一番あなたが望んでいることだから。

日英の学術論文を収録した著作集BOOK2の刊行に合わせて、秋にまた日本に行きます。訪日するたびに、会いたい人、会うべき人が増えていきます。皆さんが「また会いましょう」って言ってくださるのが、とても嬉しいです。

UNSWから動かし、ANUの既存基金と合わせて運用されることになった保苅実記念奨学基金ですが、フィールドワークの奨学金は2024年受賞者から6000ドルに金額を増やし、2025年からそれとは別に先住民学生向けの奨学金を新たに追加することになりました。「ストールン・ジェネレーション(盗まれた世代)」のような先住民族言語を学ぶ学生、を対象にしたいと思っています。言語は文化の基礎です。可能ならば、あなたを受け入れてくれたグリンジに限定したいところですが、もし適当なプログラムがなければ全豪の先住民族言語に対象を広げます。

今秋に日本からオーストラリアに飛んで、と思っていたんだけど、NYから13時間のフライトの後に、また10時間のフライトというのは、この年にはさすがにムリだと愕然とし、日本でのスケジュールも凄まじいので、今回は諦めることにしました。あなたが病気だった10ヶ月間に、LAで乗り換えてメルボルンまで3回も渡豪したとは、私も若かったよ。

さて、そろそろBOOK2の校正作業に戻らねば。また書くね〜。月を見ていないときでも、いつだってあなたのことを想っています。

由紀

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