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保苅実。遺された、あるE-mailから。

保苅実「ラディカル・オーラル・ヒストリー 〜オーストラリア先住民アボリジニ歴史実践」御茶ノ水書房 (2004) 岩波現代文庫 (2018)

第八章 賛否両論・喧々諤々 〜絶賛から出版拒否まで

彼らしい章を最後にもってきたと思う。この本が出る頃には自分がもうこの世にはいないことを想定して、著者である保苅実という後ろ盾のいないこの本が受ける賞賛と批判に備えて、彼らしく万全な準備をしたと思う。

数多くの書評が出て、わかったようなことを言いやがって、と思うこともあった。著者が死んでるからって反論がこないってわかってて、勝手なことを言うなんて卑怯な、と思うこともあった。

姉である私が、彼が遺した「ラディカル」を見守りサポートするしかない、と思って活動してきた。彼の死から20年。「ラディカル」が多くの人に読まれ、彼が「ラディカル」を通じて説いてきたことが、若い人たちに刺激を与え、彼らによってさらに若い世代へと続いていっている。

私は、若い世代へつなぐ、というコンセプトに弱い。「保苅実写真展〜カントリーに呼ばれて: ラディカル・オーラル・ヒストリーとオーストラリア・アボリジニ」に中学生が来た、なんて話を聞くと、新潟から東京へ、そしてオーストラリアへ飛び立っていった保苅実の人生から何を感じ取ってくれたのだろうか、と想像するだけでワクワクする。

そんな若い人たちへ。彼が遺したメールを紹介したい。

これは、「ラディカル」の第八章の最後にある、〇〇書店K氏宛のメールであろうと、思われる。

Kさん、

メールありがとうございました。姉宛にお送りくださったメッセージも受け取りました。Kさんとの出会いは僕にとってとても衝撃的でした。これからも末長くお付き合いくださいますようお願いします。手術直後に身体からチューブを6本も出し入れしていた頃は、こんな面白い経験したんだから死んでもいいや、とも思っていましたが、最近はこんな面白い経験したんだから生き延びなくちゃ、と感じています。生命力と言うのは不思議なものですね。そして生命力と言うのはどうも近代的個我ではなく、他者との関係性の中で培われてゆくものだと思います。

またぜひお会いしたいです。そして僕の論文をボロクソにけなして下さい。けなされればけなされるほど、ほめられた気がする、というのはKさんだけから受ける不思議な印象なのですよ。ま、とりあえず生き延びます。すべてはそれからと言うことで。

保苅実

2003.11.16

つまらない批判を恐れて小さな枠にはまることなく、自信をもって堂々と世界を変える研究を。


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