見出し画像

抗精神病薬からの脱出と副作用について。

初めに断っておきますが……今回のテーマはタイトル同様重いです(^^;;なので、あえて絵文字多めで行きます笑)しかし、以前からずっと書きたかった事ですので賛否両論覚悟で実体験に基づき書かせていただきます。少しでも、今同じ様な症状で苦しんでいる方の支えになれたらと思い書きますが、あくまでもこれは私の体験であり、決して薬を今すぐ断つことをお勧めしている訳ではなくリスク(離脱症状など)もありますので私個人の体験談として捉えて下さいね(^^)

 今、コロナ渦・新しい生活様式という強いストレスの中で世界的に増えていると言われているのが自殺と精神疾患です。

そして、私自身も実は高校2年生の時に初めて幻覚・幻聴の症状が現れ、最初は心療クリニックにかかりその後精神科を紹介され病名がつきました。そして、今でも覚えておりますが初めて心療クリニックで抗精神薬といういわゆる精神を安定させる作用のある薬を処方され飲んだ後、直ぐにとてつもない吐き気に襲われ母と共に乗っていたバスを途中で降りて意識が朦朧としたまま帰った記憶があります。

しかし、症状は一向に治まらず多い時は副作用を抑える為の薬や更にその副作用を抑える薬など合わせて12錠の薬を服用しておりました。

元々、私は小さい頃から少し変わった人間でおもちゃも男の子の物と女の子の物どちらも好きという感じで、妙に大人びており保育園では周りの子供達が何だか子供に感じて(自分も同じ子供なのですが^^;)「どうして私がこんな子供達と一緒に遊ばなければならないの?」という様な感じでした。家庭環境も悪く、両親は共働きで帰りも遅く夫婦仲は悪く母はいつもイライラしており、精神的にも不安定な状態でヒステリックに怒鳴り、時には私に手をあげる事もありました。そして、私は一人っ子でしたので鍵っ子であまり前述した状態ですから友人と呼べる友達もおらず、それよりも一人で遊んでいる方が気が楽しいという感じでした。

しかし、私は人を笑わせる事は好きでした。元々夫婦仲が悪くなったのは父の風俗通いがバレて母に性病がうつった事が原因でそれからは更に両親に笑顔がなくなり家の中の空気はいつもピリピリしていましたが、今思うと子供ながらに私はそんな空気を変えたくて再び優しい両親の顔が見たかったのだと思いますが、あれやこれやと芸人を真似てみたり時にはリアルな虫のおもちゃを作り脅かしたりとそれで一時的にでも笑いが戻ってくる時間が私はとても好きで嬉しく感じておりました。

それは、学校でも同じで人を笑わせる事が好きでした。しかし、私は幼稚園の時から高校までずっと虐められ体質で虐められなかった事がない程毎日学年やクラスが変わろうと同い年の子から虐められ続けていたのですが、その原因も自分で察しはついていました。それは、いくら虐められても笑っていた事。そして、やはり心の中では虐めを受けながらも当時は辛かったですが周りの同世代の子の事を幼稚だと或いは逆に可哀想だと思ってしまっていた事だと。でも、虐められているその時はとても辛いので何度も相手を憎み死にたいと思った事もありました。しかし、ここで死んだら相手の思うツボだと思い私は『死にたくなったら読む手紙』というものを作り、そこには慰めの言葉と未来への希望を書き辛い時に読むようにしていました。

正に、家に帰っても学校にいてもどこにも居場所がない毎日……朝起きたら腹痛が起き、学校に行くのが嫌で嫌でしょうがない。でも、学校を虐めが原因で休む事は一度もありませんでした。これで休んだら負けだ!それに、もっと登校しにくくなる!と言い聞かせていました。時には、悩み相談ダイヤルに電話したりもしました。

そして、何とか進学した高校。そこでは、これといった虐めはなくそもそも今でいう高校デビューという事で、私は今までの笑顔をやめて元からあまり人と接しない一人が好きなタイプという感じで過ごしていました。その高校は新しく出来たばかりの単位制で、授業も学年は関係なく3年と同じ授業だったりと今までになくあまり記憶はないですが居心地は良かったかと思います。しかし、1年生の夏以降から少しずつ今まで我慢していた心の重荷が今までより気を張らなくなった事により崩れてしまったのでしょう。突如、それは起こりました。

いつもの様に帰ってから好きなパソコンゲームをやろうと操作している時に、画面に真っ黒のブラックホールのような物が映し出されたのです。その時は、思わず声を上げ目を覆っていました。でも、再び見た時には消えていました。「疲れているのかな?」その時はそう思い、そのまま過ごしていたのですがそれ以降から学校に行くにもどうも人の視線が気になるのです。人が私を見ている、怖い、どうして見るの?そんな感情が虐められているわけでもないのに渦巻いておりました。そして、いつしかお昼休みに教室で食べる事が出来なくなり、私はお昼になると校内をお弁当を持って誰も居ない場所を探し回り、時にはトイレで食べていました。さらに、次に起こった事が勉強は嫌いではなかったのですが教科書が読めないのです。文字が書いてあるのは分かるのですが、理解が出来ないといいますか頭に全く入ってこない。好きな本も全く頭に入らず、授業にも集中出来ません。そんな時に、偶々家の夕食の時にテレビで特集していたのが「うつ病と統合失調症」でした。それを見て、私は思わずこれだ!と、母に相談して心のクリニックに行く事になり最初の分の通り精神科通いが始まり、その間学校にも通っていましたが回復の傾向が見られず、寧ろ悪化して来た為に遂にドクターストップが掛かり学校を休学する事となりました。さらに、その間に母の浮気も発覚して夫婦間もさらに悪化し、離婚する事になりましたが私をどちらが引き取るかで押し付けあい揉めていた事を今も覚えております。私は医師に入院を勧められ、数ヶ月入院もしました。よく、うつ病や統合失調症の人は寝てばかり居ると本にも書いてありましたが「寝てばかりいる」という表現は少し齟齬があります。正確には、「動くことが出来ない」のです。朝目を開けても、薬により筋力も落ち精神を安定させるとはよく言ったものです。薬を飲むと何も考えられなくなるのです。だから、何も出来ないのです。要は、色々考え過ぎてしまう頭の思考回路を制御する為の薬なのですから当たり前ですよね。しかし、頭は起きているしやっている事も理解はしています。そして、薬で無理に制御をしている為に大変な倦怠感や吐き気や頭痛など副作用も多大。だから、周りが言っている事も勿論理解しているし受け止めてる。「何もやらない」「なまけている」「あいつはダメだ」「頭がおかしい」など、私も周りから言われて拭くことせずに只涙を流していました。

『今まで沢山傷ついて、今まで沢山頑張ったね。だから、今はゆっくり休んでいいんだよ』

私だったら、そんな言葉を言ってくれたら嬉しかったでしょうね。もし、家族や周りに同じ様に訳の分からない幻聴や幻覚に襲われ、恐怖に怯えている人や薬の副作用で何も出来ずに居る人がいたら確かに最初は腹が立ったり嫌になるかもしれません。でも、どうか少しでもいいので心に寄り添ってあげて下さい。その人の言葉に耳を傾けて聞いてあげるだけでもいいのです。

つづきます。次回は、本題の薬からの脱出です。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?