自分を蔑ろにするのはやめよう、辛いときは自分を抱きしめてあげようって、思うことが増えたし、実際そうやって生きていかないと、この歳になったらやっていけないことも多くある。

そろそろ、人にあんまり会いたくなくなって来ている。ごはんはまだギリギリおいしいが、昔ほど心躍ることは少なくなり、お腹を満たす行為の一つに過ぎなくなってきている節も感じる。

特に誰かに縋って生きることを、とてつもなく嫌っていた学生時代であった。人と人の交流は素晴らしいが、戯れは嫌いであったのだ。

だけれど人間だもの、1人だけ声の掛けられない飲み会が知らないところで開かれていたり、別にそれが嫌いだから、とかではなくても、なんだか心がシュンとする出来事は、この歳になっても定期的に起こるのだ。
別に私に特別会いたい人が、たくさんいるとは思わないので、心の許せる気の置けない友人が少しだけいれば、それだけで十分だと思えることは多いのだけど、されど人間、どうしてもそれだけでは埋められないぬぐいようのない寂しさみたいなものに、ご対面しなければいけないことはたくさんある。
それとうまく折り合いをつけて生きていけるのが俗に言う器用な人だと思うのだけれど、私は、昔からそれができないので、こうやって文章にして吐き出す作業が必要なのだ。

私だけではない、多分、その飲み会に出席していた人たちだって、別のところで種類の違う寂しさに苛まれているかもしれない。とことんないものねだりな私たちは、必ずと言っていいほど、自分の持っているものに気がつかないで死んでいく。きっとそれは私も例外ではない。
自分ではコンプレックスに思っている部分を誰かが素敵だと受け入れてくれた時、どうしようもなく心は穏やかになってしまうのだから。

決まった文章も書けなければ、綺麗な言い回しもできないけれど、私は私以外には慣れないから、とっとと諦めて、こうやって日記みたいなものを書くことで、少しだけ心が洗われたりするのでした。

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