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原作・映画『夜明けのすべて』比較考察/感想文


はじめに

これは『夜明けのすべて』の
原作を読んだあと、映画を観た
主人公を演じる俳優のヲタクでもある私の感想文です

・・・

彼がブログで伝えてくれているように
あまりにもあたたかくてやさしいメッセージが
込められた作品だ

そしてそれは今もなお、じわじわと私の心を
温め続けてくれています

『夜明けのすべて』に出会えてよかった

・・・


⚠️ネタバレもあるのでご自衛ください

・・・

原作・映画での違い

『夜明けのすべて』
原作と映画でいくつか違うところがあるなかで
特に印象的なものが2個あったので、
それを切り口に所感を書いてみます

・・・

「栗田“金属”」と「栗田“科学”」

1個目が勤め先「栗田“金属”」と「栗田“科学”」の違い

原作を読んだとき、
栗田金属が扱うさまざまな金属部品のモチーフから

「私たちはちっぽけだし、
皆それぞれ姿かたちは異なるけど、
それぞれに代替不可の役割があり欠かせない存在」

というメッセージのように感じたので、
映画では勤め先が違うことに
すこし寂しくも思っていたのだけど

映画祭での監督のお話で
映画では「栗田“科学”」にしたその背景がわかり、
こちらもまたなんてやさしい設定なのかと思った

以下ニュアンスの違い恐縮ですが、

「どうしようもないものを抱える彼らに、
さらに大きなスケールのどうしようもない存在(星空)を見せることで生きるのが少し楽になればと思い、
プラネタリウムの要素を入れた」
という背景を知り、

金属部品と星空、スケールが対のものだから、
なんで大きな変化を作ったのだろうと思っていたのが
ふわりと解けた

自分より小さな対象(原作の金属部品)に
自分のちっぽけさを投影し、
でも必ず役割や意味があるとおしえてくれる金属部品

自分より遥かに大きな対象
(映画のプラネタリウム、星空)に触れることで、
良い意味で自分の無力さを見出し、
肩の荷を下ろしてくれる星空

どちらのモチーフをそれぞれあたたかくてやさしい

・・・

自転車の入手背景

2個目の印象的な原作と映画の違いは、
自転車の入手背景で

原作では、藤沢さんを気遣う山添くんが
自分にできる最善の術としてなかば衝動的にも自転車を購入して藤沢さんのいる病院へ向かうのだけど、

映画では、山添くんを気遣う藤沢さんが
自分にできる最良の贈り物として自転車をあげたから

映画を観たとき、山添くん支援視点で見ていた私は
本来山添くんの優しさがわかる“自転車”が
藤沢さんの優しさのこもったものになっちゃった!と
思ったのだけど

・・・

今振り返ると、

どうしようもないものを抱えて苦しんでいるとき、
どこまで人のために寄り添った行動が取れるかなんて
限りがあるなと

もちろん自分自身も何かを抱えていても、
誰かに役に立つことを諦めてはいけないなと思うけど

実際それができるようになるには、
かなり時間もエネルギーも要するから

時がくるまでは、
ふらっと現れた人からの思いがけない贈り物を
待っていてもいいのかもしれないと
肯定された思いになりました

誰かのためになる行動が取れることは
最も尊く偉大な行動であるかもしれない

でもそれができず誰かに救われる側にいるとき、
優しい誰かからの何かを“贈り物”として受け取れる心
だけは持っていたいなと思う

しんどいときに差し伸べられた手を握れることも
強さだよなぁ、と

自転車を受け取りそれを使える山添くんがいて
よかったなぁ、と思ったわけです

・・・

全体の感想

私は、主人公2人にそれぞれシンパシーのようなものを抱いています

酷く重いPMSも、まだ相容れない双極性障害も
背負っている

彼らの生きづらさは、手に取るようにわかり
時に苦しかった


そして、そんな彼らに降りそそぐ朗らかな光が
ものすごく羨ましくもありました

いつか栗田金属/科学のような環境に身を置けるだろうか

理解ある経営者と同僚に囲まれ、支援を受けながら日常を過ごせる日が来るだろうか


いつか山添くん/藤沢さんのような存在に逢えるだろうか

恋人でも友達でもない、でもかけがえのない理解者と、共に苦しみながら踠きながら、前進したいと思える日が来るだろうか

・・・

今の私はまだ、夜明けの直前
いちばん暗い場所にいると思う

怖くて何も見えない 
怖いから何も見たくない
このままでいいとさえ思ってしまう

でもいつか、夜明けは必ず来て、
明かりとともに、なにかがあきらかになる

そのときのその光景と自分を、夜明けのすべてを
まっすぐに、しなやかに、受け止められたらと
願わずにはいられないのです

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