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#19 別れではなくて

今月、親友が地元に帰る。

なんだかわたしはまだ実感が湧いていない。
連絡をしたらすぐに返してくれて
2人で自転車を飛ばしてさくっと飲みに行ける気がしている。

でもきっとそんな生活はしばらくできなくなる。


彼女はわたしの1つ下で
大学の部活の後輩。

距離が縮まったのは、同じタイミングで怪我をしたことがきっかけだった(と思う)。

どちらも松葉杖を強いられるほどの怪我だった。

数ヶ月の離脱、リハビリ生活。

何を話したかはあまり覚えていないけれど、そこから少しずつ話すようになった。

彼女は、わたしにとってのモチベーションだった。

当時から、''想いを伝えること''を大切にしていたわたし。
その想いをまっすぐに受け止めようとしてくれる彼女の存在は
わたしが''そこにいる意味''を作ってくれた。


2人で遊びに行くようになったのはわたしが引退してからだったかな?

趣味が合うことに気づいてからは、ひたすら街を歩いてカフェに行ったり、古着を見たりした。

話せば話すほど、''心のある部分が重なっているのでは?''と思うほど、共感できた。

出会ってから、7年目を迎えた今でもその感覚は変わらない。

お互い、たくさんのことを経験して、少しずつ価値観や考え方は変わっているけれど
彼女との距離感、話すこと、共感できる部分に大きな変化はない。

というより、変化を受け止めて都度修正しているのかもしれない。


''変化を楽しみましょう''
いつか、彼女がくれた手紙にこんな言葉が添えられていた気がする。

(わたしの記憶が曖昧なのは、性分なので許してね)

その言葉にわたしは救われた。

変わっていくわたしたちは、そのままでいいんだ。

無理に合わせることもせず、
''あ、今はそういう考え方なんだね''と
お互いが受け止められる。

それがわたしたちなんだ。

彼女は、今でもわたしに敬語を使う。

それを見た周りの人たちは
''え、敬語なの?タメ口にしたらいいじゃん!''と驚く。

''敬語を辞めたら、関係が崩れるからダメなんです。''

彼女はいつもそう言う。

わたしも、タメ口を使って欲しいとは思わないし、敬語が嫌だとも思わない。
これがわたしたちの心地の良い距離感。

一方のわたしは
先輩だからと言って、食事代を必ず多めに出すことを、いつからか辞めてしまった。

彼女は気遣いの塊の人だから
わたしが気を遣えば遣うほど
それの何倍ものお礼をしてくれてしまう気がして、、

なんとなく、気分で。

ここはわたしが払うよ!と言う時もあるし
じゃあここはわたしが払います!と言ってくれる時もある。

それがいいのかな〜と思ってる。
(親友には直接この話をしたことがないので
完全なるわたしのエゴなのだが、、、)


''距離感を適切に保とうとする努力''

それが永く人と関わる上で大切なことだよね。

2人にとっての関係性
もしくは、3人、4人、もっと大人数かもしれない。

その関係性の中での、自分の立ち位置、役割。

それを自覚し、距離感を崩さないようにすること。

そういえば、吉本ばななさんの本にも書いてあったな〜!

それぞれの役割があるんだよね。


親友のnoteを読んでいると、
聞いたことのない話や、人物、彼女の一面に遭遇することがある。

当初は、それがすこし寂しくもあったりしたけれど、今はそうは思わない。

わたしには、わたしの役割がある。
もちろん、わたしにとっての彼女も
彼女でなければならない理由がある。

ある部分では必要不可欠で、
それは全てではない。

他の人に寄りかかる時間があるのは当然。

そう思えてから、より適切な距離感でいられるようになった気がする。


わたしたちは、きっとこれから
想像もできないライフイベントに直面することになる。(願望でもあるけれど)

その時、今と同じように適切な距離感を保てるだろうか、、、

ちょっとだけ不安な気持ちと、楽しみな気持ち。

成長し続けるわたしたちなら大丈夫でしょう…!


今月、親友が地元に帰る。

これは確実に、別れではない。

新たなわたしたちの門出。
成長の過程。

あ、なんだか楽しみが大きくなってきた!

笑顔で''またね!''って言える。

そして、ここにもあなたの居場所はあるからね。

行ったり来たり、しちゃいなよ!

毎日noteにしれっと
紛れ込ませた親友へのラブレター。

読んでくれてありがとう〜〜!

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