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小説「哀愁のアクエレッロ」:九章・ 行方不明

 ルイゼッラと再会を果たし、感動的なサプライズに心震わされたあの瞬間から、フィレンツェという街に対する愛情がどんどん深まっていくのを感じていた。その勢いはもちろん、日本に帰国してからも衰える様子がなかった。またあの街を訪れて美味しいカプチーノを飲みながらルイゼッラと言葉を交わしたいという欲求が膨らんでいったのだが、晴れて大学を卒業し、電機メーカーに就職して日々の雑務に忙殺されるようになると、そんな願いに想いを馳せる余裕を失ってしまった。

 仕事に追われる生活は、さらに劇的な展開を迎えることになる。現地の販売会社のオペレーションをチェックすることを求められる本社の中南米課に配属になっていた僕は、メキシコへの新人研修を経て、わずか二年目にしてメキシコシティーへの赴任を命ぜられることになったのだ。新商品の市場開拓を任され、現地で自分の語学力や環境に順応する能力をいかんなく発揮させてもらえる充実した日々。新しい生活にも慣れ、ビジネスもうまいことまわせるようになったところでゆとりが生まれ始めた。そこで、かねてから考えていたように、心の片隅に大切にしまい込んでいたフィレンツェでの感動的なエピソードを、私小説風にまとめようと思い立った。そのためにはまず例のものをみつけ出さなければと、クローゼットに押し込んだ段ボールの中をゴソゴソと探ってみると、あった、あった。プラスチックコーティングされたAcquerelloのメニューである。僕が描いた絵のカラーコピーが、"ペンネのゴルゴンゾーラソース"や"ミラノ風カツレツ"といった料理名の並んだメニュー表にお店そのものの温かさと彩りを添えるが如く、裏面に綺麗に貼り付けられていた。懐かしい想いに耽りながら、僕はルイゼッラのコミカルな風貌を脳裏に描いてくすりと笑った。

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