2015年に書いた記事。こちらと同様に、回復期の人間にとって大切なものを見ることができる。それの一つが、言葉を取り戻すこと、書く表現だ。
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このまちで暮らしていると、よく自分の小さい頃を思い出す。
父が大学の教員で、構内の官舎に住んでいたので、キャンパスが庭だった。
春は芝生でピクニック、夏はプールで泳ぎ、秋は柿をとって干し柿にし、冬はゆきだるまやそり遊び。季節の草花を愛で、虫を捕り、雑木林でターザンごっこをし、学祭で大学生をからかい…。
キャンパスが揺りかごで、いつも安心して遊べた。
官舎のご近所さんとはしょっちゅうお互いの家を行き来し、お裾分けをし、こどもを預け預かり合う仲。こどもたちが15人ぐらい入り乱れて、誰が誰の子かよくわからない状態。親たちはみんな核家族世代で、実家が遠い人ばかりだったから、助かってたんじゃないかな。事実、引っ越して地域コミュニティのないまちに移ってから、両親はしんどそうだったし、来客の絶えた家の中にはものすごい閉塞感があった。
地方なんだけど、里山的な暮らしではなくて、そこだけ下町の長屋のような独特の「まち」があった。わたしはもう一度あの頃に帰りたいと思って生きてきたのかもしれないな。そして息子にもあんなふうに人の輪の中で育ってほしいと願っている…。
ここには浴びるほどの自然はないけれど、季節の移り変わりを大切にする人々の感性が、庭の植栽や玄関前の鉢植え、お祭りや食文化に息づいている。
ここに暮らしはじめて10カ月。日々上がったり下がったりするけど、ここが好きだし、長くいられるようにがんばっていきたいなと思うこの頃。
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この話は、先日の対談にもつながる。螺旋を描いて今はここへ。