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ダークサイドに墜ちるとき

いつもと変わらない1日がいつまでも続いてほしい。

変化が嫌いなんじゃなくて「雑音」が嫌いなだけ。

庶民にしては雑音が多い人生だったと勝手に思っている節がある。

芸能人やインフルエンサーのように人前に出ているわけでもない。

ただ普通に生きていたいだけ。

人が集まってくるとは思えない、絡まれている感覚に近い。

地元の中学が僕のいた当時、素行が悪いことで周辺地域のなかでは有名だった。

「影を消す」とでも言うのだろうか。

出来る怖い人に目を付けられないように3年間やり過ごしたことを思い出した。

絡まれる、本当に言葉通りだ。

とはいえ相手も悪さをするために近づいているわけではないのも理解している。

「仲良くしたい」
「たまたま一緒になった」
「分からないことを質問したい」

基本的には建設的な動機が多く、心底悪い人は極わずかだ。

「いじめた側は覚えていないけど、いじめられた側は覚えている」

いじめではないけど似たような境遇だ。

会社のパワハラ
家族のモラハラ
SNSのアンチコメント

それぞれ良かれと思って起きていることがほとんどだ。

ボウリング場やゴルフの打ちっぱなし場にいる「おせっかい」なアドバイスをしてくる知らないおじさんだ。

本人には申し訳ないが本当に「おせっかい」で逆効果になっていることを気付いてほしい。

そんな感じで僕が言うような「雑音」も、相手の良かれと思った行動なので聞き流せば良い。

ただ僕は器が小さいので我慢できないというか、ストレスに感じてしまう。

こういう話の反対意見として「自分にとって良いことを言う人としか付き合いたくないの?」というもの。

僕はYesだ、そうに決まっている。

自分に悪いことを言う人は少なければ少ないほど良いと思っている。

僕みたいな人間がいつかワンマン社長になってしまうんだろう。

本当にそう思う。

「アンチの方の意見も参考にさせて頂いています」なんて言っている人は僕からすると仏に見える。

よくメンタル持つなぁって感じ。

逆にそういう人でないと有名になれないってことなんだろう。

ちなみに僕がなぜ偏った思考になったのかは分かっていない。

もちろん他人から攻撃や批判、詐欺をされたことはあるが、僕に限らず多くの人も経験しているはず。

トラウマと呼ばれる決定的な出来事はあったんだろうが、今こうして思い出せていない以上、そんなに大した話ではなかった可能性が高い。

色々なことを突き詰めていくと、小学校時代のいじめと母親の虐待に落ち着くように思う。


小学校時代のいじめ

もともと病気がちだったので学校に通い始めたのは4年生くらいだった。

それでも休みがちだったので、6年間を通して友達という友達はできなかった。

加えて僕にだけ先生が優しかったのと、授業に出ていないのにテストで良い点を取っていたので「生意気」に思われた。

小学生のいじめなんて些細なきっかけだ。

とはいえ受ける側の僕は結果的に学校が嫌いになるほど辛かった。

いじめが原因で自殺したニュースが出るたびに「誰かに相談できれば」なんて意見があるが、ハッキリ言って無理だと思う。

子供にそこまでの自立心や行動力はない。

世の中で起きるいじめの99%は解決しないのが当たり前だ。

あるある話で「最初はいじめてないけど後からいじめに加わる人」がいることもある。

いじめは最初は2~4人の少人数が発起人になっているケースが多い。

そこから傍観者やもともと友達だった人が少しずつ加勢していく感じ。

ドラマでも信じていた友達が主人公を裏切っていじめに加わるシーンがある。

あの光景はどこの学校でも起きていると思う。

そんな経験からか「人間関係には賞味期限がある」という価値観を僕は持つようになった。

珍しい価値観だと思う。

子供に限らず年齢、性別とわず「裏切り」は誰にでも起きる。

「裏切り」というと語弊があるが、つまり人は状況に応じて立ち回るということだ。

そのため今では他人に対して過剰な期待はしなくなったし、自分の敵になった過去の友人を躊躇なく攻撃する冷酷なメンタルも持てるようになった。

それが良いことなのかは分からないけど。


母親の虐待

母親は統合失調症という病気だった。

父親曰はく原因は近所のママ友にあるらしい。

症状は人によってバラバラだが母親の場合「幻聴」「妄想」がメインだった。

簡単に言うと、子供である僕が母親に悪口を言ったと思い込み、暴力を振るってくるという顛末。

そういったことが大なり小なり毎日のようにあった。

この病気の大変なところは、本人に自覚がないことだ。

「幻聴」「妄想」だとしても本人には「リアル」として起きているため、説得することはまず不可能。

最終的には入院、投薬治療することになったが、なかなかレアな幼少期を体験したものだ。

子供の僕としては「何もしてないのに怒られたり殴られる」ため、人間の発言や行動に対する漠然として恐怖感を持ったのだ。

それが直接的な原因か不明だが、間もなくして僕自身はうつ病を患い、大人になった今でも闘病中だ。

自分で言うのも変だが「自分の周りには悪いことを言う人を置きたくない」と思って当然の結果だと思う。

かといって先ほど言ったように他人に何かを期待していることはなくて、攻撃してくる人や批判してくる人に絡まれたくないだけだ。

それが抽象化されると広い意味で「人に関わりたくない」になる。

認知の歪みとやらの完成だ。

なので一般的な社会生活は僕にとっては相当ハードルが高いものに感じられる。

スポーツで言う、プロに行く人と部活どまりの人の間にある大きな壁のようなもの。

「レベチ」というやつだ。

本当にレベルが違う。

当たり前だが社会というのは「普通の人」が過ごすことを想定して作られている。

学校も会社も同様。

僕のようなマイノリティがいることは想定されていないため、異分子のような存在に自然となってしまう。

そこを何とか努力して「普通」に近づくのか、諦めてマイノリティ路線を走り続けるか、いまだに答えは分かっていない。

出来れば普通の人になりたかったな。

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