日記 2022/09/11-17

09/11(日)

もう自分は現役ではないのだと自覚したら、そのときに周囲の評価を気にしているのか胸に手を当てて聞いてみること。Noと言われたら、やはり現役ではない可能性が高い。そうなると次は経験から与えられたものを与え返すことを考えなければならない。例えば若いひとたちのナチュラルな効率の良さと結果の志向性に、ほんの少しプロセスの慎密さを感じさせるようアドバイスするとか。

09/12(月)

本日のメニューは前菜にプライオリティの下がったはずだった設計検証結果の審査会を次週に設定、それに伴う必要成果物を一通り発行し準備するようにとの通達、スープにはだからといって進行中の申請試験を後ろ倒しにしていいはずないよねとのほくそ笑み、メインディッシュとして新規プロジェクトの検証計画の立ち上げ、デザートには三連休確保の不確かさをどうぞ。

09/13(火)

ウミウとカワウは見分けがつかない。
卵の白身は茹でるとぷりぷり。
コガネムシは葉っぱを食べ、カナブンは樹液を吸う。
印象ほど脆く強固なものはなく、双眼鏡に映る枝木のヒヨドリは貼り絵みたいだ。
僕のため息は周囲を不安にさせる一方で、認知能力を一時的に高める。
これらはすべて世界の通説だろう。

09/14(水)

「わしと話したないんやろ、ええよわしもあなたとべつに話したないから、ええけどまわりの作業に影響与えてんのわかってる?」衝立を挟んだ向かいの席からKさんの嗄れた声が聞こえてくる。相手のTさんはソフトチームと僕のいるチームの兼任で僕と同じ係長だ。仕事が出来ないのではなくKさんから仕事を振られ過ぎてとっくにオーバーフローしている。帰り際、仕事着を畳んで鞄に納めるTさんに「お、几帳面なんですね」などと意味のない声をかけることしかできなかった。

09/15(木)

本日はお日柄もよく、医療機器の開発に勤しむには多少茹だるくらいではありましたが、それでも台風が到来するまでは残暑を堪能するくらいの気概で過ごしたいものでした。ところが本日もなにやら口論が聞こえてくる次第で、今度は背後から別チームの課長同士が互いのチームの連携の悪さについてあなたの指示の仕方は無責任だとか人格否定はやめてくださいだとか。とにかく最近は全体的にどんよりしており、みんな脳みそが熱くなっているようです。

09/16(金)

規格と測りすぎ問題のはびこる管理社会においては「帳尻合わせ」という仕事が組織の枠組みのなかで幅を利かせることになる。数字でしか判断されないなら、数字を作ろうとなる。
ものづくりは当初、あったらいいな、から始まった。そこに数字は関係なく、必要なのは新しい機能だった。
いま組織に必要なのは開発したものの生産を管理する一方で、新規性のあるものを一切管理しない、見守ることではないか。

09/17(土)

帳尻合わせを必要としない仕事は求められることに対してすぐに応えてあげるような、いま必要だから存在する仕事であり、エッセンシャルワーカーと言われるひとたちがその代表と言えるが、彼らの仕事は昨日よりも今日の価値を高めることができない。すると低賃金などで問題になる。
だが有事の際に価値が高まってもやはり彼らの賃金は上がらない。上がるのは管理し、されることに耐えられる側、僕たちのようなブルシットワーカー。
ここから脱出する必要がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?