日記 2022/09/25-10/01

09/25(日)

休みのあいだ、職制間でメールが飛び交っているのを僕は飛行機雲を追いかける程度の心持ちで見ていた。まるで他人事、対岸の火事、どこ吹く風。もちろん無関係ではない。けれど何事にも順番があり、僕はもう十分に水の入ったバケツを持って別件で走り回ったという自覚がある。それを感じてか、だから課長のSさんは今回は僕を当事者にしなかったのかもしれない。でも最終的にドキュメントを確認したら僕の名前もちゃっかり使われていた。責任は等分ということか。

09/26(月)

たしかに組織のなかで生きていくうえで政治力があるというのは足場をより強固なものにするかもしれない。いざというときの調整はスムーズに行われ、都合を合わせてあげた方はひとつ貸しができたくらいに思っており、つまり相互に何の不利益も被らずに仕事は進捗する。
ただし政治による納期へのコミットが組織の中でひとつの道理だとでもいうように影響を与え始めたら注意すべきだろう。なぜなら見えない力を持たないひとたちはささやかなやりがいを信条として仕事をしており、彼らこそがその影響を一身に浴びて一抹の虚しさを抱えることになるのだから。

09/27(火)

会議の場で説明を求められて自分なりの解釈や論旨を述べる場合、自分の持ち出す論理でもってすべては解決に向かうと考えていたら予想外の反論に遭うことがある。そのとき刹那的にたじろいでいるのがバレないよう取り繕って意見をなかば転換させることもあるのだが、そもそも会議なんだから否定されることもあるだろうはずなのに、カウンターパンチを喰らうことは恥ずかしいことだと自分が自分に思わせている。
誰だって自分を大した人物ではないとは思いたくないだろうけど、思いたくないと思わせているのは自分自身で、これは別の論理に取り込まれている気がする。

09/28(水)

普段パワハラ気味のソフトチームリーダーであるKさんは、本日の設計審査会でプロジェクトリーダーとして進行するなか、他部門のレビュワーや専務から準備不足を戒めるような集中砲火を浴びた。
リモート参加で聞いていた僕は、ああ、やっぱりひとには背景がある、一面的に彼の部下への過剰な態度に普段から反感を持ってはいたけれど、あれはこうして上からの叱責という種を蒔かれて少しずつ形成されていった萌芽なのだな、などと考えていたが、それでも一線を超えたハラスメントは正当化できるものではないのでやっぱり好かないものは好かないで良いのだろう。

09/29(木)

レカネマブの有効性がメーカーの喧伝する通りのものであるなら、老化することそのものがさしてネガティブなことではなく、ある意味においては人間にとって社会性を更新するような革新的なものになるのではないか。
将来的に老いることそれ自体が些事となれば、僕は年金生活に入ったら永遠にあはははは〜と笑いながら鳥を追いかけようと思う、それまで生きるかは分からないし、ちゃんともらえるほど働き続ける自信はないけど、もしそうなら、あははは〜って。

09/30(金)

果たしてこれほど体力を使い切るような感覚を覚えるうちに、けれど身体は鈍りストレッチが必要なほど硬直しているというような実感を得る毎日が繰り返されることによって自分が自分にいったい何を与えようというのか、まるで理解できない。
だれの役にも立たないで平然と生きていられる姿勢の持ち主はきっと僕の目指すものを手に入れて、それと同時に失くしてしまうものに幾らかの心残りもなかったのだろう。自分の生きる姿勢を自分が理解できないというのは、きっと彼には気味が悪いくらいだろう。
とにかく今はもう眠ろう、飽き足りるくらいに。

10/01(土)

歯磨きは奥歯の奥、親知らずが抜けた窪みや舌の付け根まで磨こう。
クイックルワイパーを替えるときはせっかくだから窓の桟に溜まった埃や髪の毛までワイプしよう。
アイロンがけは部屋が狭いと暑くなるのでエアコンを点けて糊スプレーを使って衣類の整っていく様子を楽しもう。
日常の習慣にこそ時間をかけて丁寧な振る舞いを心がけよう。そうすることで自分を振り回そうとするすべての束縛をするすると解こう。
そしてお茶を飲もう。

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