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《1条》HSPの私が霞が関で生きていくために作った「繊細な人のための憲法」

【ご挨拶】~はじめまして、繊細な官僚です~

はいさい。こんにちは。社畜のシロです。

私は沖縄から上京したばかりのHSPです。

偏差値45の大学から、なぜか国家公務員の総合職試験に合格し、現在は霞が関で働いています。

HSPとは、Highly Sensitive Personの略で、とても敏感な人という意味です。

しかし、私は「繊細さん」という表現が好きなので、HSPよりも繊細さんをよく使用します。

繊細さんは生まれつき光や音などの刺激に対して敏感に反応する気質をもち、人口のおよそ2割ほど存在すると言われています。

毎回電話の音にびっくりしたり、イライラしている人が近くにいると気になって落ち着かなくなったり、人の視線を感じるとミスしやすかったりと、とにかく繊細なのです。

そんな繊細な私にとって、現代社会は刺激が強すぎます。

ノーガードで普通に生活していたらストレスにボッコボコにされます。

ましてや霞が関です。即死です。

東京のど真ん中で、繊細な私が生きていくためには自分を守る鎧が必要でした

それが、今回ご紹介する「繊細な私のための憲法」です。

「繊細憲法」と呼ぶことにします。

「繊細憲法」は、全19条から構成される、繊細な人間が刺激だらけの現代社会でも「健康で、文化的な、ちょうどいい生活を営むための指針」です。

自分のために作った「繊細憲法」ですが、それが誰かのお役に立てたらと思い公開します。

私の場合は官僚ということもあり、日本国憲法を参考にして、わざとカッチカチの表現で、ちょっとカッコつけて作成してみました。

9千字を超えるかたーい、かつながーい文章ですが、数十冊程度の自己啓発書や健康、経済、ビジネス関係の本を読んで作成したので、それなりのお役にたつはずです。

興味があり、活字が得意な方はどうぞ。

構成から説明すると、前文と終章は道徳観、1章で人間関係、2章で健康、3章でお金、4章で他者への貢献についてまとめています。

この憲法で書いていることを少しでも取り入れることで、今よりもちょっとだけ、健康で、文化的な、ちょうどいい時間が増えるはずです。

前文は表現が硬くて読みにくいので、飛ばしても構いません。興味のあるテーマからご覧ください。

それでは、どうぞ!

【前文】

私は自分で考えて正しいと思える行動をとり、私と私の大切な人たちのために、個々人の価値観の尊重と調和を大切にし、自由の恩恵を得る一方で、自分の利益だけを考え、他者や将来世代を害する無責任な行動をとらないことを決意し、ここに主権は己にあることを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも私の行動は、自分自身からの厳粛な信託によるものであって、その権威は己に由来し、その権力は己が行使し、その福利は己とその周囲の人々がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。私は、これに反する一切の他人の命令、噂及び意見を排除する。

私は、恒久の平和を念願し、攻撃や圧力ではなく信頼関係を通じて平和を維持することを決意する。私は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている人に対して、尊敬と敬意を表し、自分自身も最大限その取り組みに努めたいと思う。私は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを願う。

私たちは、いずれの人も、己のことのみに専念して他人に無関心でいては幸福になれないのであって、道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、己の主権を維持し、他人と対等関係に立とうとする各人の責務であると信じる。

上記の信念を持つ全ての人々は、健康で、文化的な、ちょうどいいと思えるような生活を営む権利を有する。他方、その権利を有するためには、信念のみならず、良好な人間関係の構築、健康的な生活習慣の実践、経済的な自立、他者への貢献という責務を果たさなくてはならない。

私は、己の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

【第一章 人間関係】

第一条 (良好な人間関係の定義)

良好な人間関係とは、血縁関係、地縁関係、出会ってからの年月は関係なく、頼れる人、或いは心地よいと感じられる人間関係を指す。

つまり、精神的なつながりこそが重要であり、単に血がつながっている、同じ場所で学んでいる、一緒に働いている、というだけで良好な人間関係を築くことはできない。

第二条 (良好な人間関係の価値)

私たちの人生の幸福を決定するものは、資産の大きさでも、名誉のある賞や肩書などでもなく、良好な人間関係である。

第三条 (良好な人間関係の構築に関する指針)

良好な人間関係を構築するためには、そうでない人たちに時間や気力、お金といった自身の資源を使うことを辞めなければならない。

そして、自身の資源は、己と好きな人たちが、健康で文化的なちょうどいい生活を営むために優先的に使われるべきである。

これを理解したうえで、良好な人間関係を構築するために、具体的な指針を以下に示す。

一 好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとそのまま受け入れ、自分の直感を信じること。

二 他者が私の価値観を否定するような場合は、自分の価値観を変えようとしたり、他者を変えようとするのではなく、関わる人を変えてみること。

三 自分が他者の価値観を変えるべきだと感じた際は、他者の価値感を変えることに力を入れるのではなく、相手の価値観を受け入れることに力を入れること。私ができることは助言まで、ということを心得ること。

四 頼れたり、居心地が良いと思える人たちと出会えたら、その共同体に時間やお金、気力を優先的に配分すること。

五 良好な人間関係の構築は時間がかかることも多いため、急がなくてもよい。無理せずに、自分の好きな「事」に時間、お金、気力を使い、余力のあるときは、自分と好きな事が同じ人たちがいそうな場所に行ったり、イベントに参加してみたりすることを推奨する。

第四条 (良好な人間関係における注意事項)

良好な人間関係の構築は重要であるが、他者とは私がコントロールできない独立した存在である。

故に、以下の注意点を理解したうえで、良好な人間関係の構築および維持・発展に努めることが求められる。

一 良好な人間関係の構築はすぐにできるものではない。

二 そもそも、自分自身が、何が好きで、何が苦手かといった己の特性、価値観を知らなければ、良好な人間関係の構築は永遠に不可能である。

三 良好な人間関係は自分の成長や環境の変化とともに移り変わるものであって、長い付き合いほど良いというものではない。

四 一緒にいないと不安になるといった関係は依存関係であって、良好な人間関係ではない。

五 一緒にいると楽、甘えてばかりいるという関係は誘惑関係であって、良好な人間関係ではない。

第五条 (良好な人間関係の構築における前提条件)

良好な人間関係の構築には、前提として、自分自身が何に喜びを感じ、何に怒りを覚え、今までどうやって哀しさを乗り越えてきたのか、どのような身体的、精神的特性を有し、どのような価値観を有しているのかなどについて理解している必要がある。

己を知らない者は他者を知り得ず、己を知らない者は他者を知り得ない。故に、良好な人間関係の構築には、まずは己を知るための内省に努めなければならない。

第六条 (良好な人間関係の維持及び発展)

己の価値観や特性を理解できた場合、それを周囲に発信することが良好な人間関係を構築する上で効果的である。

なぜなら、人は自分と近い者を好み、類は友を呼びやすく、己の価値観や特性の発信により、良好な人間関係が築ける可能性の高い者が自ら寄ってくることになる。

そして、同じ趣味や目標、価値観や特性の人たちと、予め日時を定めた定期的な活動を行うことで、活動を習慣化し、自動的に継続する仕組をつくることが、良好な人間関係の維持において重要な役割を果たす。

また、その活動では時に新しい人が参加できるようにし、適度に新しい刺激が生まれるような仕組みにすると人間関係の発展にもつながる。

【第二章 健康】

第七条 (健康の定義)

健康とは、痛みや怠さなどの肉体的な苦痛及び、恐怖や羞恥心といった精神的な苦痛が、日常生活に悪影響を及ぼさない状態である。

全ての国民は健康を維持するために、最善の努力を尽くす義務と権利を有する。

第八条 (食事規定)

健康でいるために食事は重要な要素であり、以下の規定を基本として、日々の食事を摂るよう心掛けること。

一 成人である場合は常に満腹のような状態は避けるべきであり、普段は1から2食で、小食でいることが望ましい。

二 栄養素やカロリーなど、ある特定の指標を過度に気にする必要はない。

三 よく噛んで食べること。

四 特定のものだけを食べる習慣は避け、豆、胡麻、発酵食品、オリーブオイル、魚、海藻、ナッツ、野菜、キノコ、鶏、芋、果物、全粒穀物など、幅広くかつ旬の新鮮な食材を摂るように心掛けること。

五 加工肉、揚げられた食品、高温で処理された食品、精製された砂糖が入っている食品など、加工度の高い食品は控えること。

六 抗生物質は特定の条件下では欠かせないものであるが、善良な腸内細菌まで見境なく殺菌してしまうため、健康への悪影響があることを理解し、極力利用しないように努める。

第九条 (睡眠規定)

睡眠とは、集中力、記憶の整理・定着、免疫力など、あらゆる肉体および精神の働きを正常に整えるために重要な行為であり、同憲法では睡眠不足を断じて認めない。

本人の意思に反して睡眠不足を強要する行為、促す行為は例外なく違憲とする。

また、本人の意思であっても、睡眠不足であることは己、その周囲の人を危険に晒す行為であることを理解し、全ての国民は睡眠不足の解消に努めなければならない。

具体的な睡眠に関する規定として、以下を示す。

一 十分な睡眠時間を死守すること。個人差はあるものの、一般的には8時間前後であり、それ以上でも、それ以下でも望ましくない。

二 就寝時間、起床時間を定めること。そして、定めた通りに就寝と起床を行うこと。

三 就寝の1、2時間前に約40度のお風呂に入ること。

四 就寝前の2時間は強い光を発するものは避け、特にブルーライトを発する電子機器等に触れないこと。

五 就寝の2時間前は極力食事を控えること。

六 飲酒は睡眠の導入を促すが、浅い睡眠となるため、週に3回以上の飲酒は違憲とする。

七 可能な限り、起床時は日光を浴び、200ml程度の水を飲むように心掛けること。

第十条 (運動規定)

運動は睡眠と同様に、我々の健全な肉体および精神にとって重要な行為であり、全ての国民は習慣として運動する義務を負う。

睡眠が身体の維持にとって重要な行為であるとすれば、運動は身体の発達にとって重要な役割を有する。

そのため、睡眠不足と同様に運動不足も同憲法では認めない。具体的な運動に関する規定として、以下を示す。

一 運動において最も重要なことは継続して行うことであり、週に3時間程度の時間を確保することが望ましい。これは、負荷が大きすぎる筋力トレーニングや、全力疾走のような激しい運動を求めるものではない。

二 1日30分程度の散歩を週2回以上行うこと。可能であれば毎日が望ましい。また、公園や自然が豊かな場所で行えると尚良い。また長時間座ることは体にとって望ましくないと理解すること。

三 週に3回程度、高強度インターバルトレーニング(HIIT)を行うこと。人により運動の強度は異なるが、最大心拍数(208-0.7×年齢)の75%程度の強度を目安に、20秒の運動と10秒の休憩を8セット行うことを推奨する。

第十一条 (体のメンテナンス規定)

私たちの目という器官は非常に優れたものだが、口腔や内臓など、自分自身の内側は見ることが出来ない。

故に、こうした目で見えない部分への配慮は軽視されやすく、取り返しのつかない状態になってから気づく事が多い。

こうした事態を防ぐため、己の内側のメンテンナンスについて、以下の指針を示す。

しかし、これらはあくまで参考であり、適宜、心身の状態によって修正を必要とする。

一 歯は咀嚼に必要なだけでなく、消化器官の働きを助ける、咀嚼により脳を活性化させるといった重要な役割を果たす一方で、永久歯は1度失えば取り戻すことは出来ない。これをよく理解し、定期的にメンテナンスを行うこと。具体的には、少なくとも朝晩の2回は歯を磨き、フロス等で歯間ケアも行うこと。また3か月に1度の定期健診を行うことを義務とする。

二 内臓は自分の体でありながら見ることができず、病気であっても悪化してからでないと認知できないことが多い。特に肝臓など一部の器官では取り返しのつかない状態で見つかることが多い。そのため、年に1回は健康診断等で体の様子を確認し、病気の早期発見、予防に努めることを義務とする。

三 より身体を最高の状態に維持するためにサウナを推奨する。サウナとは80℃以上の高温の室内で5から12分程度過ごし、20度以下の水風呂に1から2分程度入浴し、5から10分程の外気浴を行う、この一連の流れを指す。その効果として、疲労回復、免疫力の向上、肌質の改善等があげられる。頻度としては毎日が望ましいが、難しい場合は週2回を目安にサウナに行くよう努めること。

第十二条 (心のメンテナンス規定)

私たちの健康、ひいては幸福において、精神・心とは非常に重要である。

しかし、私たちは自分自身のことであるにも関わらず、目で見えない心については驚くほど無知であることが多い。

それは、我々の心というものは基本的に特定のことに執着しやすい特性があり、視覚情報や目先の問題に捕らわれ、本当に大切にするべきことへの意識が希薄になりやすいためである。

こうした状態が長く続くと、健康を害したり、文化的な活動ができなくなったりする。

このような問題に対処するため、具体的な指針として、以下の規定を設ける。

一 瞑想を日々の習慣に取り入れ、過去の後悔や未来への不安といった雑念を取り払い、今、この瞬間に集中する感覚を養うこと。

二 自らの決めたルール、つまり、自らで決めた憲法の通り日々の生活を営めているのか確認するため、日記を綴ること。我々人類は、大切な事も失念してしまう生き物である。それを忘れてはならない。

第十三条 (テクノロジー規定)

スマートフォンのように、インターネットに接続できる電子機器が持ち運べるようになったことで、我々は常時オンライン状態となった。

これはいつでも世界各国のニュースやSNSで誰かの意見にアクセスできる便利さをもたらした。その一方で、中毒のような症状を生み出し、常に注意、意識を奪われたり、他者との比較や他社からの承認欲求を強め、幸福度を下げることも明らかになっている。

歴史的に、最新のテクノロジーは常に便益と弊害を生み出しており、我々は便益を享受しつつ、そのテクノロジーの特性を理解し、弊害を可能な限り抑える行動をとらねばならない。

テクノロジーについて、以下に示す事実を理解し、規定を遵守できる場合のみ使用を許可する。

一 SNSが代表的であるが、サービスを無料、安価で使用できる理由を理解すること。特に、広告収入が主であるサービスは、利用者の意識、換言すれば時間を奪うことで成り立っているため、利用する際は制限を設けること。

二 世界中の知識人が利用者をいかにそのサービスの虜にするかを四六時中真剣に考えていることを理解すること。彼らは知識やデータを駆使して人間がつい取ってしまう行動を熟知している。つまり、自分の意思の力のみでそのサービスを利用したくなる衝動を抑えることは困難であるため、意思ではなく環境を変えることに注力すること。具体的には①アプリを削除する、②通知をオフにする、③設定で使用時間を制限する、などである。

三 テクノロジーの使用に関して自分で決めたルールを守れていない、あるサービスを利用したくて我慢できない、無意識のうちにサービスを利用してしまっている、このような症状に陥ったとき、利用者はテクノロジーを利用しているのではなく、テクノロジーに利用されている。すぐさま改善のための行動に取り掛かること。


【第三章 経済的自立】

第十四条 (経済的自立及び経済的自由の定義)

経済的自立とは支出より労働収入が多く、かつ負債より資産が大きい状態を指す。

また、経済的自由とは支出より資産収入が大きい状態を指す。

この状態に到達した者は、貢献欲や己のやりがいのみに寄って労働を行う事が可能となり、最も望ましい状態といえる。


第十五条 (経済的自立及び経済的自由に関する規定)

経済的自立及び経済的自由のために、以下の規定を示す。

一 己の1年間の支出を把握すること。自らの生活に必要な支出額を把握出来ていない者は、同憲法では違憲状態とする。

二 生活支出額が適正か検討すること。より多く、より豪華に、という思考は身を滅ぼし、より少なく、しかしより良く、という思考が人生を豊かにする。真の貧しさとは欠乏を感じる心であり、資産の多寡では決まらない。

三 己、あるいは己と同じ程度大切にする存在の健康、時間、お金、知識、経験、絆を増やすもの以外の支出は浪費である。極力、浪費は経済的自由を手に入れてから行うこと。特に、自分が住む為の持家、車、結婚式など高額な浪費支出は経済的自由を手にした者のみ許される。

四 収入が増加したとしても、生活水準は容易に上げるべきではない。1度引き上げた生活水準は落とせないということを理解すること。

五 収入の最低1割は貯蓄すること。これが出来ない場合、生活水準を見直し、それでも不可能な場合は職業の変更も検討すること。3ヶ月間1割の貯蓄が出来なかった場合は違憲状態とする。

六 1年分の生活支出額を現金で貯蓄すること。つまり、1年間働かなくても衣食住を確保できる金額を貯金すること。

七 六が達成され、それでも尚余剰の資金がある場合、その分は社会貢献のために使うこと。具体的には社会に求められている財の生産、サービスを提供する企業・組織の株式や債権の取得、あるいは寄付等である。これらはあくまで余剰資金の提供であり、社会的資産ではなく自らの資産をより大きくしたいという欲に駆られた場合は手を止めること。

八 借金、あるいはそれに類似するサービス等の利用は断じて認めない。

【第四章 他者への貢献】

第十六条 (他者への貢献義務)

健康的な身体、文化的な生活、経済的な自由を手に入れたとしても、幸福であるとは限らない。

それは人類がまだ人類と呼ばれる以前から今に至るまで、誰もが1人の力では生き残れず、他者との関係の中で存在してきたことに依拠する。

弱小な存在である人類が、厳しい自然環境、弱肉強食のこの世界で生き残れたのは自分とは異なる他者と協力し合い、集団を形成して様々な困難を克服してきたからである。

一方で、集団生活に対応出来なかった者は生き残ることができず、現在まで生命のバトンをつなぐことができなかった。

そのため、途方もない膨大な年月を経て、我々は本能的に集団や、他者から嫌われることを強く恐れ、他者の役に立つことに対して幸福を感じるように設計されてきた。

したがって、我々が幸福を感じるためには、他者への貢献感が不可欠なのである。

我々は勤労を義務として捉えているがそれは誤りである。

我々に与えられている義務は他者への貢献である。この義務は国家やそれに類する権威が与えたものではなく、我々の遺伝子に刻まれたシステムであり、これに反する行為は、人類の数万年を超える歴史を1人で塗り替えるようとする行為に等しい。

同憲法ではそのような行為を禁止こそしないが、推奨することはない。

同憲法では、健康で文化的なちょうどいい生活を営むために、他者への貢献を積極的に推奨する。

第十七条 (個人の価値保障)

他者に貢献したいという感覚は、現代社会において非常に貴重なものとなっている。

なぜなら、現代の多くの人は命の危険に晒されることは稀であり、物質的には常に満たされているため、貢献感を得るためには個々人の個別化された精神的な不足に気づき、それを満たす「何か」を提供しなければならないからである。

他者への貢献感の不足は単に幸福を得にくいだけでなく、己の価値を見出せないことにつながり、己の人生に無関心になったり、慢性的な無気力感に陥ることになる。

同憲法では、如何なる人間であっても、無価値な者はいないと断言する。

なぜなら、貢献感は誰もが求めている貴重なものであり、仮に何も出来ない者がいたとしても、誰かを必要とすることができ、それにより誰かに貢献感を与える事が出来るからである。

生きるということは、他者を必要とするということであり、誰かの世話になるということは、誰かに貢献感を与えることになる。そして、幸福に生きるためには誰かの役に立たねばならない。

この長きに渡る時の流れの中で生み出されたシステムにより、人類は、全ての個々人の価値を保障しているのである。

第十八条 (他者に貢献する行為)

他者に貢献する行為とは、主に以下の通りである。

一 他者を愛する行為。自分以外の、誰かの健康や幸福を願う行為、支える行為。

二 他者を育てる行為や、他者が出来ないことを出来るように支援する行為。

三 他者に感謝を伝える行為、あるいは感謝を表現する行為。

四 他者に関心を示し、話を聞き、価値観を尊重し、それを理解する行為。

五 約束及び契約を守る行為。特に、己との約束を守る行為。己に不誠実であることは違憲とする。

六 働き、他者が必要とする財やサービスを生産する行為。

七 後世に残したい財やサービスを、個人や法人等から再生産可能な価格で購入する行為。または、価格のない財やサービスに対価を支払う行為。

八 自分自身では出来ないことを他者に頼る行為。

九 自分自身を清潔に保ち、また、自身の周囲を清潔に保つ行為。

十 自分自身が幸福を感じ、笑顔でいる行為。この行為はこの世で最も尊いものであり、他者への最大の貢献である。

【終章】

第十九条 (我々の戦うべき存在とその克服努力義務)

我々が健康で、文化的な、ちょうどいい生活を営む権利を手にするためには立ち向かわなければならない敵が存在する。

その敵と向き合い、克服せずして、当該権利を得ることはできない。

その敵とは己に存在する「執着心」「無知」「旧態依然志向」である。

故に、同憲法は時の経過、知識の増大に伴い、必要であれば加筆修正することが求められる。

これらの敵は、非常に強大であり、克服には多大な努力と時間を要する。

しかし、私はこれらを克服し、自らの望む人生を全うし、安らかな死を迎えることができると信じ、ここに記す。

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