緑村のヤチヨ_完成イラスト

1、飢えが願望を呼ぶ

小さい頃の地理的条件が、大人になってからの願望を呼ぶのではないか、というお話から始めます。

都会に住む人は、農村に憧れます。農村に住む人は、都会に憧れます。華やかなネオンなど見たことない人は、あえて夜の新宿に行ったりします。ウシガエルの鳴く田んぼなど見たことない人は、土日のたびに農村に借りた家庭菜園に行ったりします。こういう話はよく聞きます。

ここで言う「小さい頃」というのは、何も小学生まで、というわけではありません。18歳まで、厳密に言うと「自動車免許を取り、自動車に乗れるようになるまで」と言えます。

こちらの記事で、モータリゼーションについて書きました↓。

電車網の発達した都会からでは、なかなか想像できないかもですが、農村は本当に「自動車社会」です。電車の駅がある町(村)ならまだ良いですが、本当に電車の駅がない町(村)は、自動車を持っていない人にとって、閉鎖空間の空気が充満しています。「おら東京さ行くだ」ではありませんが、農村→都会への願望が育つ苗床です。もちろん、自動車を保有して乗り回せるようになれば、また感情も変わるとは思いますが…。

電車の駅は、18歳以下にとって、異世界への扉に等しいのです。「自分ひとりだけで」どこにでも行ける想像ができる。自動車を持っている大人に頼らなくても、電車に乗ってさえいれば、自分の足では行くのが困難な遠いところにも行ける。ジブリの名作『魔女の宅急便』で、主人公キキが海の見える街を目指したのも、農村に生まれ育ったからではないかと推察します↓。

そう言えば、『となりのトトロ』では逆に、都会→農村に引っ越す場面から始まりますね↓。ジブリ作品は、それまでの環境からの『異世界』に移動する、というシチュエーションが多い気がします。

2、Uターンするか否か

このように、あるタイミングで農村→都会、あるいは都会→農村に移動した人は、その後、故郷に戻るのでしょうか? それとも、そのままその場所で生活するのでしょうか? 『魔女の宅急便』でも『となりのトトロ』でも、さらにまた戻るという描写は(映画の中では)ないので、そのまま行きっぱなしという感じでしたね。

「Uターン(現象)」という言葉があります。生まれ育った環境→異なる環境→生まれ育った環境に戻る、という生き方のことです。しかし、パターンによって他の「ターン」もあります。「Iターン」「Jターン」…果ては「Oターン」まで。詳しくはこちらのリンクより↓。

それぞれどのような選択をするのかは、その人の人生次第なのですが、どの「ターン」をするにせよしないにせよ、「小さい頃の地理的条件」は一生心の奥底に残る気がします。そしてそれに対する「感情」が、人生の大事な選択の際に、ふと蘇ってくるのではないか。

例えば子どもができた、新しい住まいを探す、その際にもし農村に対する感情が良いものであれば「田舎暮らしもいいかも」と思うでしょう。逆に、もし幼少時に小中高の選択肢が無かった環境が嫌で、学校が選べる選択が多い方が良いと思うのであれば「都会で交通の便が良いところに」と思うのではないでしょうか。自分の子どもにどのような地理的条件を与えるか、その選択の裏には、自分の過去の地理的条件がどうだったか考える心の動きがあると思います。

参考文献として、こばやしたけしさんの『地方は活性化するか否か』のリンクを貼ります。この作品の舞台は、農村・都会に偏らない「地方都市」ですが、徐々に衰退の危険性があるというお話です。なお、「否か」は「田舎」に通じます↓。

3、その人の地理的条件を見よ

こうして考えていくと、人を見る際には、その人がどのような地理的条件の下で生活をしてきたのか、いまどのような地理的条件にいるのか、どのような地理的条件を変える選択をしてきたのか、考えてみるのが大事ではないでしょうか。

面接の時の「履歴書」などはまさにそうですね。お見合いの時には、その人の「経歴」を紹介されます。その際に、都会か農村か、どのような環境だったかを見ることで、その人のバックボーンがある程度(全部ではありませんが)推測できます。バックボーン=背骨、転じて「その人の思想や信条などの背景にあり、それを成り立たせている考え方」。その人自身は、とらわれない革新的な考えを持っていたとしても、その人の家族や親類縁者は、その地理的条件に拘束された保守的な考えを持っているかもしれません。

細かい例を挙げますと、農村の「自動車社会」にどっぷりつかっている人たちには、都会の「満員電車」の概念はわかりにくい。都会の「万能電車網」にどっぷりつかっている人たちには、農村の「2時間に1本しか電車が来ない」という感覚はわかりにくい。そういうことです。

もう少し視点を広げますと、日本だけでなく世界では、日本では考えられないような地理的条件がごまんとあります。「常夏の島」に住む人に、「四季」の感覚はわかりにくい。「砂漠」に住む人に、「水道をひねれば水が使い放題」の感覚はわかりにくい。「内陸国」に住む人に、「海水浴」の感覚はわからないでしょう。逆のパターンでも言えます。

このような状況を踏まえて、「カルチャーショック」と一言でまとめれば話は早いですが、少し進めて、「人間理解のツール」として、地理を実用するのはいかがでしょうか? 地理は、人間理解の第一歩です。

4、まとめにかえて

この記事では、「幼少期の地理的条件」をテーマに、「人間理解のツール」にまで話をもってきました。意外と人は、自分の生まれ育った環境(地理的条件)が、他の人にも当てはまると誤解しやすいものです。高校や大学進学、就職、結婚などで、他人の生まれ育った環境(地理的条件)を見聞きして、カルチャーショックを受けることが多い。

なお、この記事では取り上げませんでしたが、「幼少期に(親の都合などで)転居を繰り返した人」はどうなのでしょうか? かなり柔軟な地理的視点を身につける気がします。

こちらの漫画を紹介して、締めとします。井上純一さんの『中国嫁日記』です。国際結婚は、まさに価値観の衝突、お互いが持ってきたバックボーンのせめぎあい、と言えそうです↓。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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