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現実と仮想との行き来でこそ ~シリアスゲーム紹介~

武内 伸雄 さんの「シリアスゲーム」のレポートに
刺激を受けて、本記事を書いてみます。

※ぜひ下記のリンクから
武内さんの実際のレポートやnote記事をどうぞ!

現実が過ぎると沸騰し過ぎて、
「火傷」「炎上自爆」する可能性があります。
仮想が過ぎると現実感が無く、
「死蔵」「機会逸失」する可能性が高い。

ならば現実(リアル)と
仮想(フィクション)とを
「ゲーム」という手法で行き来する
中で、
しなやかに現実の「構造」を探り、
行動できる「熱源」を手に入れましょう、
というものがシリアスゲームではないか?

少し解釈が違うかもしれず恐縮ですが、
私は(現時点では)そう捉えています。

「シリアスゲーム」については、
武内さんはnote内でこのように
説明されています。

(ここから引用)

『シリアスゲームとは
「社会問題の解決を目的にしたゲーム」
と言われています。

日本ではまだそれほど多くの
数がありませんが、
アメリカやオランダでは広まってきている
社会問題に向き合う手法の一つ。

徐々に日本での数も増えてきて、
コレからも伸びていくことが
注目される分野です。

例えばアメリカでは
「貧困層の生活を擬似体験し、
そのまま寄付できる動線を作っている
シリアスゲーム」が存在しています。

僕が一緒にゲームづくりをしている方は
「熊と人がどう共生していくかを考えるゲーム」を
作っていたり、また別の知り合いは
「男性が女性の生理を理解するためのゲーム」を
作っていたりします。

テーマとする社会問題は様々ですが、
その社会問題を「ゲーム」に落とし込む。
ゲームという手法を取るからこそ
参加者に認知・行動の変化を生むことができる。

そんなシリアスゲームの価値について
少しずつ理解が広まってきていると感じます』

(引用終わり)

そして、このシリアスゲームを
プレイすることで、
次のような効果がある、と。

◆当事者意識の獲得
◆対等な立場での対話
◆仮想世界だからできる挑戦


具体的には

◆問題を含むテーマの構造化がゴリゴリ進む
◆思ってもみない解決策が発見できる
◆しなやかで強い意志を育てていくことができる

詳細は下記のリンクから
武内さんのnote記事をお読みいただければと
思うのですけれど、
なぜ、このような効果が生まれるかについて
しっかりと考察されています。
そのうちの一部を、部分引用します。

(ここから引用)

『シリアスゲームづくりの中ですることは
主にこの3つです。

1.構造を理解する
2.メッセージを設定する
3.体験に落とし込む


この3つの要素を行ったり来たりします。
行ったり来たりがポイント、
決して「ステップ」を踏んで
進んでいくわけではありません』

『「構造理解」「メッセージ」を
十分に固めてから
「体験」を設計することは無理です。
「体験」するからこそ「構造理解」と
「メッセージ」のズレに気づくのです。

身体知を伴った具体でなければ
抽象のメッセージが果たして
自分たちの持つ価値観や意志と
一致しているのかどうかは分かりません。

本気で伝えたいと思うこと、
価値観と接続したメッセージを見出せるからこそ
体験の精度が高まっていくわけですが、
体験をすることからしか
価値観と接続するメッセージを見つけられない。

つまりこの両者は何度も何度も
行き来をするからこそ
見つけられるモノ
なのです』

(引用終わり)

つまり、最初から導かれるべき答えがあって、
それに当てはめていくわけでは、ない。
最初から構造があって、
体験を当てはめていくわけではないんですね。
シャンシャン総会(セレモニー)ではない。

「身体知を伴った具体」=体験から、
「抽象のメッセージ」を探っていく。

決められたステップを踏むのではなく
「ああでもないこうでもない」と
うろうろと何度も行き来することによって
「価値観と接続したメッセージ」を
見出すことができる…。

そんなゲーム、なのです。

さて、この「シリアスゲーム」に
似た事例には何があるか。
私の体験に即して考えてみました。

たくさん思い浮かびましたが、
とりあえず三つ挙げてみます。

◆キャリア支援
◆シミュレーション小説
◆幕末の「松下村塾・郷中教育」

順に書いていきます。

「キャリア支援」とは、それまでの経験を
自身に浮かび上がらせ、言語化させ、
自身の体験に基づく価値観を認識させ、
「やりたいこと」「活動」などの
具体に落とし込むことですよね。
具体~抽象~具体の繰り返し。

「シミュレーション小説」とは、
複雑な現実を単純化して
仮想世界を設定し、キャラを生み出し、
そのキャラ達に仮想世界の中で
言動させることによって
読者に仮想体験させることです。
「具体からの抽象」の具体化・物語化。

幕末の長州藩「松下村塾」では、
ひざを突き合わせて議論が行われたそうです。
ここでは正解が最初からあるわけではなく、
フラットに意見を戦わせた。
「先生」松陰も上座からではなく、
一参加者として議論を行った。
同じく幕末の薩摩藩「郷中教育」では
答えの無い問題に対して
「ディスカッション」が行われました。
何をするとどうなるのか、
足りないものはなんなのか、
立場を変え、想定して、思考していく…。

私は「キャリア支援」を受けることで、
あわあわとしていた体験を言語化し、
自分の価値観を(その時点で)はっきりと
させることができました。

「シミュレーション小説」の手法で、
8作の長編小説を書いてみました。
(よければ下記のリンクからぜひ)

「松下村塾・郷中教育」は、むろん、
私自身が体験したものではありませんが、
これらを体験した志士たちが
当事者意識を持ち、
現実の世界で「討幕」を行ったことを
知識として知っています。

…おそらく、読者の皆様も、
「現実と仮想」「具体と抽象」とを
行き来する中で、

しなやかに現実の「構造」を探り、
行動できる「熱源」を手に入れた経験が
おありなのではないでしょうか?


そんな事例をご存知ではないでしょうか?

体験に基づく感情「だけ」だと構造がわからない。
右往左往しがちですよね。
「攘夷!攘夷!」とただ叫ぶ浮浪志士のように…。

体験に基づかない構造「だけ」だと、観念化する。
頭でっかち。言うだけ番長。純粋真っすぐ。
そんな人が行動すると、現実離れしがち。
「曲学阿世の徒」と某学者が批判されたように…。

それらの欠点を克服し、漸進的に少しずつ
「自分の身体になじませていく」思考活動!

明日から活動できる熱源を得られるゲーム!

これこそが「シリアスゲーム」
ではないか…と思った次第です。

最後に、まとめます。

本記事では武内さんの「シリアスゲーム」の
記事を紹介しつつ、
体験を交えて自分なりに考察してみました。

読者の皆様は、どう考えますか?

※2024年3月4日発売予定の書籍も、ぜひ↓

武内 伸雄 さんの「シリアスゲーム」の
実際のレポート記事はこちらから↓

本記事で引用した
武内さんのnote記事はこちらから↓
『シリアスゲームをつくるプロセスが生む、
大きな大きな可能性』

せんのみなとの
高崎 澄香 さん、長嶺 将也 さんに
「キャリア支援」をしていただいた時の
レポート記事はこちらから↓
『せんのみなと「キャリアツーリズム
アットホーム」報告記事』

私の小説「バラ姉弟シリーズ」は、
こちらから読めます↓

郷中教育のディスカッションについては
こちらの記事もご参考まで。
幕末の長州藩も薩摩藩も、
「列強と実際に戦争をした」という
「体験」の影響がかなり強かったと思われます↓

合わせてぜひどうぞ!

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