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Bon Jovi体験談Vol.3 1984年という疾走前夜 〜 「孤独のランナウェイ」

初期の初期

ある程度とあるアーチストを聞きはじめると音源をさかのぼって聞きたくなってくるのは音楽好きの性(サガ)というものでしょうか。

3枚目「Slippery When Wet」、5枚目の「Keep The Faith」と辿り、ついに目線はデビュー当時のボン・ジョヴィに向かうのでした。

これには伏線があります。

おそらく86年~88年あたりに発売になったプロモーションビデオ集(VHS)がそのきっかけ。プロモ自体も楽しいのですが、こういうビデオの醍醐味はアーチストの素の姿をみれることです。どんなに遠い存在でも、考え方や信条がわかれば身近に感じられるもの。

そのビデオもそんなコーナーがあり。ふと見ると、とあるギタリストがジョン・ボン・ジョヴィと親し気に語らっています。ジョンが彼を茶化し、そのギタリストもそれを喜んでいる和気あいあいとした空間でした。聞けば、そのギタリストの名前はデイヴ・スネイク・セイボというらしい。どこかで聞いた記憶がある。そうだ、スキッドロウというハードロックバンドのギタリストじゃないか!スキッドロウもニュージャージー出身だとライナーノーツに書いてあったが。。。まさか、ボン・ジョヴィともつながりがあるとは。

俄然、デビュー前が気になってきました。そのVHSだったかどこかのライナーノーツだったかは忘れましたが、このスキッドロウの創設者は、なんと初期の初期、デビュー前のボン・ジョヴィに在籍していたのだとか。

おお。

確かにスキッドロウの音楽とボン・ジョヴィは全く合致しないから離れて正解だが、この正反対な音楽性の人間たちが友人だとは!


すごい事実を目の当たりにして、すこし慄いていた。これはボン・ジョヴィの初期を辿らねばなるまい。となぜか思ったのでした。

ということは、デイヴが辞めた後に、リッチー・サンボラが加入したのかな?なんてことを想像しながら。そしてデビュー作を手に入れるのでした。当時はNice Priceシリーズがあり、1,800円で買えるのが嬉しい。

「Runaway」

初期のボン・ジョヴィで特筆すべきは、Runawayという楽曲の完成度の高さだろう。この曲だけで彼らの成功は約束されていたような気もするから不思議なもの。

残念ながらデビュー作の音源にはデイヴの足跡は残っていなかったけれど、なぜかキーボードのデイヴィッド・ブライアンの名前が、デイヴィッド・ラッシュバウムになっていることを見つけて、うれしい気分になっていた。

このアルバムは84年発表で、その後、西武球場で開催された「Super Rock’84」に参加。ここでの活躍ぶりが躍進のきっかけになったのと、当時の日本の歓迎ぶりが心に残っているらしく、メンバーにとって日本は特別な場所になったんだそうだ。

デビューアルバムの完成度の高さを見ればそれもそうだと思う。

1曲目のRunawayだけではなく、哀愁のハードポップは「Burning for Love」「Shot Through the Heart」と3曲も収録されている。どれもが完成度の高い曲なのが素晴らしい。


後の彼らに通じるポップな「She Don’t Know Me」もよい。

ジャケットが夜の風景なので、なんとなく暗い印象があるアルバムだが、デビュー作としては立派なものだと思う。

なお、前述「Super Rock’84」には、ホワイトスネイクも参加しており、ギタリストは、なんと、あのジョン・サイクスで、ドラムはコージー・パウエルという面々。ジョン・サイクスがいること自体奇跡的と言える。これもまた84年の出来事だ。

https://youtu.be/wP0rrZv4IsA


84年というのは、マイケル・ジャクソンのスリラー、ヴァンヘイレンのジャンプ、ボン・ジョヴィのデビューと言い、何か時代が変わる前夜だったような気がしてならない。

実際、1985年には3つの世界的な動きがあったのだから。

プラザ合意であり、ソ連のペレストロイカであり、マイクロソフトのウィンドウズ発表である。変動相場への誘導がバブルの遠因だし、閉ざされた国の情報公開への歩み寄りが冷戦終結、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊へと進む89年につながっていくし、マイクロソフトの躍進がウィンドウズを経由してインターネットを生み出していくことになる

それが1985年の出来事。

日本でも昭和が終わる時代が躍動する時期の少し前。こんな出来事があったことは覚えておいてよいかもしれません。

そしてボン・ジョヴィのセカンドアルバム立て続けに聞くことになりました。

「7800℃ファーレンハイト」

このアルバムは正直微妙な位置づけかもしれません。楽興は悪くはないがよくもない。とびぬけた楽曲ないし、地味な曲が多い。

このアルバムのままだったら、彼らもこれ以上、浮上しなかったかもしれないと思います。

あえていくつか楽曲を掲載しますが、いかがでしょうか?

そしてここから、この時期、多くのバンドが復活を遂げていくある手段が生み出されます。

それは、外部ライターの招聘と、プロデューサーの存在です。

その辺りについてはまたの機会に。


■前回まで


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