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象徴としての匂いと色彩 〜 米津玄師 「lemon」

言葉のもつイメージ

言葉というのは面白いもので、同じ言葉でも文字にして表すとき、カタカナ、英字(アルファベット)、漢字と、それぞれ異なる文字にしてみると、受け取り方が異なってきます。

例えば、檸檬。

カタカナは、いわゆる果物のレモンの意味合いがあって一番馴染みがあります。

漢字だと、どことなく和風な俳句や短歌の趣があります。

アルファベット、しかも小文字で表すと、可愛らしくとも、あの匂いや酸っぱさのようにどことなく小さく自己主張しているような印象でしょうか。

このレモンを日本の文学作家たちはテーマに取り上げています。lemonの作者である米津さんも、この曲を作るにあたって、この方々のことが頭にあったようです。

智恵子抄

「智恵子抄」の高村光太郎。その名も「レモン哀歌」という詩を残しています。これは死を待つのみとなった妻にあてた、いわば恋文のようなもの。

詩はお調べいただくとして、死が支配する妻が横たわっている部屋の中。そのイメージはモノクローム。

その中で、一つだけ、その世界に色彩をもたらしているのが、みずみずしい生命力にあふれた黄色いレモン。

この対比に、まず心を奪われます。

そして、レモンのもつ果物としてのみずみずしさ、酸っぱさ、匂い、香りが生き生きとした生命をふんだんに表現しています。また、死は争い難い事実として重く暗く、まさにモノクロームな世界の事実として、そこにあります。

同じ空間に、死を認識させつつも、いくばくかの光明を、その香りとともに印象づけることに成功しています。

檸檬

梶井基次郎の「檸檬」では、得体の知れない不吉な塊にさいなまれた男が、ふと檸檬を見つめます。この檸檬との出会いによって、檸檬のもつ色合いや香りから受けるイメージによって自己変革し、檸檬が未来に駆け出す力の源泉となっています。

レモン、檸檬、、

いずれの作品も、レモン、檸檬、と書き方は変わりますが、レモンという果物は、行動の変革や意識の変革をうながし、それだけではなく、香りや強い黄色という色彩を持つ、自己主張を印象づける存在として描かれています。

lemon

米津玄師さんの楽曲、アルファベットの「lemon」でも、この果物は忘れられない匂いの記憶として登場しています。

lemonは過ぎ去った思い出の中の、象徴的な物体として登場します。

苦い、つらい思い出の象徴として。

モノクロームの世界にいる彼の傷が癒えるまでは、光輝くlemonの匂いは苦い記憶を呼び起こす媒介となってしまっているのでしょう。

ただ、これだけ強烈な思い出の象徴として機能しているということは、幸せな時代にもlemonは彼らの側にあったということ。

楽しい時代もつらい時代も、人生とともにあったのがlemonであるという事実。その時の状況によって象徴としての役割が入れ替わってしまうくらい、lemonが2つの意味をもっている。

2つの意味合いから二元論が浮かんでくる。

プラトンの二元論

その昔、ギリシャの哲学者プラトンは、このような説を唱えていました。

かつて人類の世には、男女の区別は存在せず、一つの塊でしかなく、いわば球体のような存在であった。しかし、ある日、神の怒りに触れ、その身を半分にされてしまった。

それから男女の区別ができ、永遠に自分に完全に合致する、もう一方の片割れを探す旅に人類は、駆り出されることになったのだと。

二元論の先に

完全な球体となって合致する相手を見つけたとしても、その時、相手には恋人がいるかもしれない。出会いのタイミングはまさに奇跡の産物。

lemonをカットしたとき、パッと放物線を描いて飛び散る果汁の粒の一つ一つは、出会いの奇跡に間に合わなかった人々の涙なのかもしれません。

この儚さが、近代文学者や米津玄師さんがレモン、檸檬、そしてlemonに込めた想いなのでしょう。


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