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幸せな帰路に何を思う 〜 「恋」 星野源


幸せな帰路、弾む足どり

茜さす帰路。さあ、仕事も終わった、気分も天気もいいから、、あの娘が待つ家まで今日は歩いて帰ろう!

この歌を聴いていると、斉藤和義の「歩いて帰ろう」が別のBGMとして流れたりする!「歩いて帰ろう」も幸せな気持ちのまま弾むように家路を辿るイメージだからでしょうか。

余談で、この弾むような足取りで思い出すのが、とあるジャズのジャケット。ソニー・クラークの『Cool Struttin'』のジャケットはタイトル通り弾むようなステップで街を闊歩するイメージ。これまた、この女性は今にも踊りだしそうな幸せな気持ちを胸に抱えているのだな、、と想像が膨らむ。


そこにあなたがいるという事実

暮らす家があり、そこに待つ人がいるというのは、まずは二人から始まる物語。そこにあなたがいるということは当たり前すぎて、普段は気にも留めていないのだけど、こんな気分の良い日の帰り道に、ふとそんなことを改めて想ったり。

身体は消え去っても残っていくものがある

いつかは、死がふたりを分かつ日が来て、物理的に出来なくなってしまうことがあって、、、いつか見えなくなってしまうこと、、。それはいつも側にいるという、これまた当たり前の事実。

ただ、たとえ存在は見えなくなってしまったとしても、側で高鳴っていたあなたの胸の鼓動や、ぎゅっと握った手や指の肌ざわり、そして、漂っていたほのかな香りは、思い出の中で生き続けて。

それを遠い将来、離れ離れになっても思い出してほしいと願ったりする。。
帰路にさしこむ茜色の夕陽は人の心をセンチメンタルなムードにしてしまうのでしょうかね。
こうなってくると、もはや夫婦という呼び方ではなくて、それを超えて一心同体、二人で一つの塊のような存在に、お互いが成っているといえますね。

センチメンタルなムードに染まる

茜色の夕陽に誘われて、外側に向かったセンチメンタルな気持ちは、次はだんだんと内側に向かってきて、、。結局、容姿だとかそんなことは関係なく、誰かを好きだと思うことは、自分からなんだよなと、当たり前のことを考えてしまったり。さらにセンチメンタルムードが爆発して。

どんな場面でも変わらないものがある。そしてそれを超えていく

仮に、今、この時点で。あなたが一人ぼっちでも、恋愛をしている真っ最中でも、夫婦生活を営んでいたとしても。どんな状態だったとしても。今を生きる我々にとっては、それぞれ一人ひとり、その時のシチュエーションは異なっているでしょう。でも、どの場面でも変わらない思いがあって。

その想い、、たとえ一人でも持っているのが、おそらく思いやりの感情であり、「恋」という感情でしょうか
そう、そして、それを超えて行けと。

超えた先に何がある

超えた先にあるセカイは、、
どんなことがあっても、どんな困難があっても、、、誰もが自分に自信をもって、自分を自分で勇気づけられて、、、
「何があっても大丈夫!」と思いあえるようなそんなセカイなのでしょう。

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