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ジュネーブの家 <旅行記シリーズ>

 4月15日、朝、まずは駅に荷物を預ける。パリ滞在の最終日のこの日の予定は、見忘れたものや、見切れなかったものや、もう一度見ておきたいものをまとめて一日でめぐること。身軽になって駅を出て、有名建築でもある国立国会図書館の外見だけでも眺めようと歩くと、ガス・ヴァン・サントの特集上映をしている施設を横切った。有名建築でもあるアラブ研究所に立ち寄るが、あの有名な窓は点検工事中だった。動物園はあきらめ、差し掛かった小さな地味な広場でリプトン紅茶の宣伝カーの前で踊りまくる狂女を避ける。利用に少し慣れてきたメトロで移動する。


リプトンの宣伝カー 写真には写っていない半狂乱ダンサーは誰も無視している


 アンゼルム・キーファーの回顧展とパウル・クレーの回顧展で完全にお腹いっぱいになり、コレクション展をほとんど受け止められなかったポンピドゥー・センターを再訪した。それから同様に、パウラ・モーターゾーン=ベッカーの回顧展とアルベール・マルケの回顧展でオーバーヒートしたためにコレクション展を見られなかった、パリ市立美術館も再訪する。マチスの「ダンス」、巨大なドローネー、デュフィ、ブルジョア、ボルタンスキー、大量のデ・キリコ、など。
 ところでパリ市立美術館のなかに、「House of Horror」という小さなポスターが貼ってあった。これはなんだろう。字と矢印しか書いていない。チケット売り場の料金表を改めれば、でかでかと書かれた「コレクション展」「マルケ展」「モーターゾーンベッカー展」の表示のそばに、控えめに、「+1€ House of Horror」と添えられている。
 矢印通りに歩けば、急に人が少なくなる。「House of Horror」に出入りする人は誰もいないらしい。矢印は地下へ降りる階段を示すが、階段にも、階段が続いていく先の地下フロアにも電気がついていない。真っ暗である。しかしなにせ「House of Horror」である。そういうもんかなと、おそるおそる降りていくと、階段を降り切ったあたりで暗闇からふいに人影があらわれた。驚くも、正体になんの不思議もない。美術館の係員である。「non, non!」指をちらちら動かすおじさんは、ひとまず否定の言葉を繰り返したものの急に気を変え、微笑んだ顔を横に振って腕をあげる。手招きをし、「いや、いいよいいよ。やっぱおいでよ」と、僕は真っ暗な地下にひとり誘われた。

「House of Horror」それはライドアトラクション。ジャングルクルーズ的に、ホラー風味の人形たちが並んだ空間を、乗り物に乗って通過していく、子供だましのちゃちなやつ。おれだけのために電気や音楽がつき、単に営業時間じゃなかったから暗かったんだと察する。遊園地の遊具特有のきんきんした、ふぬけたBGMが突如としてはじまる。棒立ちの、こわくもかわいくもない、半端な見た目のゾンビやミイラ男、ドラキュラや魔女が、単調に手を振ったり目を光らせたり歯の生えた口を開けたり閉めたり、ナハハ・ナハハハハ、キーッキッ・ケケッ、等、怪奇的な笑い声を響かせる。赤い乗り物は寝起きの不機嫌さでだるそうにゆっくり進む。車輪がみちみちレールを移動したり、締まりのないモーターがバカみたいに唸り続けていたり、カーブを曲がって機体がごろんと少しだけ揺れたり、霧を出す機械の、霧を出す直前の作動音だったり、細かな音がしっかり耳に届く。時計の針の動きを目で追うのとおなじくらいエキサイティングなライドが終了し、係員は「たのしかっただろ?満足したかい?」つって明るく出迎えてくれる。そして電源が落とされ、音も光も瞬時になくなる。夏休みの誰もいない校舎みたいな雰囲気の地下から一階まで、無愛想な無表情に戻ったおじさんと並んで仲良く階段をのぼる。

「ルーブル美術館に行かないのも惜しいから」というだけの理由で、一番長いガイドツアーだと1週間コースのある規模のルーブル美術館のごく一部を20分ほどで駆け抜け、メトロに乗り、荷物を預けた駅まで戻った。ミラノ行きの深夜バスに乗りにいく。ただし、ぼくの行き先はミラノではなくて、途中停車駅のジュネーヴである。


ルーブル美術館

 バスは満員だった。家族一同の大所帯もいれば、恋人同士もひとり客もいる。人種も年齢もさまざまで、しかしモンゴロイドは自分のほかにいない。黒人の割合が高かった。隣は白人の青年男性で、旅慣れているのか席につくなり腕組みをして頭を垂らし眠りはじめる。バスはパリを離れ、南下していき、東に折れ、夜は深まり標高は高くなるのでぐんぐん寒くなる。

 朝の4時ごろだろうか、山の朝の肌寒さを覚えている。寒くてさみしい道を車がとばすから、この朝は、コーエン兄弟の映画『ファーゴ』のイメージと重なって記憶されている。フランスとスイスの国境でバスは停車した。冷たく暗い山間の、滑走路みたいな無表情なコンクリの平面に止まったバスのなか、麻袋を握った車掌が通路を歩く。乗客にパスポートの提出を求める。全員分を回収した麻袋を持って、車掌はバスを降りる。隣人ごしに、窓の外、車掌が検査小屋に入っていく様子を眺める。目に映るすべての色が白っぽい。検査小屋は交番みたいな簡単な、事務的な建物である。

 乗客は全員むっつり黙りこんでいる。少ししか寝ていないし、寒いなか強引に起こされた。それなりに待たされた挙句にようやく車掌が戻ってきて、パスポートをひとりひとりに返却し、それが終わったはずなのに、バスはちっとも発車しない。時間が重い。再び検査小屋へと姿を消し、戻ってこない車掌はまさか、のんびりお茶でも啜っているのだろうか。だんだんと目が覚めてきた乗客のなかには、不満の声を漏らす人も現れはじめる。
 検査小屋の職員だろう人が、大型犬を連れてやってきた。大型犬は狭い通路を歩き、すべての座席、すべての乗客に頭を押し付けてにおいを嗅ぐ。その犬のくさいことくさいこと。なんのにおいというんじゃない、犬のにおいが強い。洗われていない。
 犬は職員のもとに戻り、職員は犬を連れて検査小屋へ帰っていく。乗客はみんな、くさい犬の犬くささを、ズボンや手のひらに残している。
 それなのにまだバスは出ない。日もわずかに射してきた。隣の青年は腹を立て、独り言で悪態をついて、落ち着かない。手元の携帯をみると、友人からのメッセージが届いていた。ジュネーブに住んでいる友人で、次の夜は彼の家に泊めてもらう予定だった。その彼から、前日にごめん、と断ったうえで、緊急事態のお知らせが届いていた。「リスが電線噛んで電気不通になったぜ」
 車掌が検査小屋から出てきて、しばらくぶりに車内に姿をあらわし、乗客全員に、外に出るよう言いつける。今度はなんなんだよ。乗客たちはしぶしぶ、ぶつぶつ従う。家族やカップルは文句の声量が比較的おおきい。
 バスに預けたトランク等の手荷物がすべて外に出され、外に並べられ、その前に持ち主が立たされる。手荷物をすべて開くように命じられ、従うしかないので従う。検査所の職員は肩から銃をさげている。寝汗の体温が、山の冷気で急激に奪われていく。さきほどの職員とくさい大型犬が再度登場し、ひらいたトランクの中身も順に、執拗に嗅いでまわり、人間のことも嗅ぎなおす。

 犬による二度目のチェックが終わったらすぐ、車掌が指示を張り上げた。よし、OK、出発しよう!と、今度はものすごいテンポで事態が進んで、これだけ待たされ、これだけものものしい雰囲気のなかでこれだけしつこく調べ抜いたんだ。トラブルが発見されないのが、なんだか物足りなかった。「なにかありそう」な流れをめちゃくちゃ感じてたのに、すかされてしまった。
 早朝に叩き起こされたときは誰もむっつり黙っていたが、それからだいぶ時間がたって、しっかり目が覚めたんだろう。陽気な家族もいるもんで、いったん全部の手荷物まで開きなおしたのをいいことに、ギターを取り出しバスに持ち込み、再出発を祝って歌いはじめる。すっかり朝の光におおわれた幹線道路をバスは走り出した。僕の隣の青年は後ろの座席を振り返る。車内で意気揚々と歌う人を睨み、それから前に向き直り、憎々しげに耳を手でふさいで首を振ってうつむいて目を閉じ、やっぱりむにゃむにゃ悪態をついていた。


ジュネーブに到着

 ジュネーブ駅の構造は事前に調査済み、構内図のプリントアウトも持参していた。Googleマップを駆使し、コインロッカーやバス停、トイレなんかの位置も把握済みだった。だって駅でテンパるのが一番おそろしい。だってだって、おしなべて、駅とは、犯罪率の高い場所である。
 バスを降り、駅にまっすぐむかう。予習通り無事に到着し、予習通りの使用方法でスムーズに、コインロッカーに荷物をしまいこんだ。それから駅の有料トイレに立ち寄る。小銭をいれると開くゲートは、両方向から通行可能で、日本の鉄道駅の改札と違うのは、ゲートの開閉が時間によって制限されている点である。センサー式ではない。だから、小銭を入れたらすぐに通らないと閉まってしまう。この方式は予習していなかったが、トイレに入る人の動きをしばらく観察することで学んだ。葬式の焼香と同様です。改札機に小銭をいれ、開いたゲートをくぐり、男性側のエリアに立ち入って用を足す。出るときはセンサーでゲートが開く。しかし閉まるタイミングは時間制限による。
 トイレを出ようと改札機をくぐった僕の体に反応し、出場ゲートが開く。が、そのタイミングで中国人の婦人が正面からまともにぶつかってきた。とっさに「No!No!」と叫びながらディフェンスをし、押し返すかたちでふたりトイレの外に出た。出たところにその婦人の家族が悔しそうに立っていた。いきなりぶつかられたので考える間もなかったが、それでも瞬時に思いついたのは、僕のトイレ退場でゲートが開いたタイミングを見計らって無銭小用をたくらんだ可能性だった。が、冷静に考え直すとどうもそうではない。むしろ僕のほうが悪者だ。つまり、彼女が入場のために小銭をいれてゲートが開いた、そのタイミングで、僕がそのゲートを使って無理に退場してしまったらしい。支払うものをちゃんと支払った、用を足したい人を押し出したようだった。


味のある剥製

 日中はひとりで、公園やミュージアムに立ち寄っていた。霧雨のそぼ降る湖のそばの街だ。フェルディナンド・ホドラーの絵の色の、<独特さ>がおもしろくて好きだったはずなのに、実際の場所に来てみるとなんでもない、マジでこういう色なだけじゃん、ホドラーの使う色合いは、ホドラーの発明した色合いではなかった。スイスの空や水の、素直な色でしかなかった。

 午後になってから友人と合流し、車で山へ、山のなかにある某研究所へ連れて行ってもらう。細かな雨に濡れ、控えめに震えるアルプスの山並みのなかを走っていく。
 その車内で聞いた車の話をみっつ。

 この山並みのなか、半年に一度は燃える車をみるとのこと (ほかにやることがねえんだよ、とのこと)


 事故で車を破壊した研究所の先輩が代車を調達するも、その日のうちに沼につっこんでしまい、沈んでいく車をみんなで呆然と眺めていたこと


 乗せてもらっている車についてのエピソード。購入直前、中古車ディーラーの小僧を助手席にのせて試走し、文句がないのでその場で内金を現金で渡した。(かなり高額の紙幣が存在するので、車の内金を現金で支払うのに不思議はない)するとディーラーの小僧が「このまま靴屋へ乗せてってくれ」と注文する。わけを問えば、「俺はスニーカーが汚れたら、女みたいに、洗うだなんてことはしないんだ」と言い放ったとのこと。


延々とこの景色



 いったん研究所へ寄ってから、再び市内へ、路地に車を止めてご飯を食べる。おすすめのイタリア料理屋だ、と紹介してもらった店で、この旅でほとんど初めての外食であるし、友人といるから気分もほぐれる。「ひとりで外食するのこわすぎて、この一週間、ほとんど同じもの食べてるんだよね。パンにハムとチーズはさんだだけのサンドイッチを、ミニスーパーのセルフレジで買って食べてるだけなんだよ」言いながらも、素直に注文していたのはシンプルなカルツォーネだった。ピザ生地にトマトソースを塗り、ベーコンとチーズをいれて包んで焼いたものであり、この一週間の食事のヴァリエーションにきれいに収まる。
 食事のあと、どこに車をとめたかわからなくなる。路地はどれも似ている。路地の突き当たりには決まって、工事現場のフェンスが立ちはだかっていた。
「こっちのほうが近道っしょ」促され、立ち入り禁止のフェンスをくぐって工事現場の敷地に潜入する。週末で工事はおやすみ、人はいない。強くなってきた雨にふたりで打たれる。確かに、車を止めた路地のある区画の中央にひらいたこの空き地から、さまざまな路地に顔を出すのは効率がいい。


研究所のコンピュータのひとつ


 ジュネーブ在住の日本人研究者たちが口をそろえて絶賛するレストランが二軒。そのうちひとつのトルコ料理屋は、味はいいのだけれど、店に入ってきた客が日本人だとわかるやいなや、親し気に、とても上機嫌に「YAKUZA!YAKUZA!」と繰り返し叫ぶのがうっとうしいから客人を案内しづらいとのことで、もう一軒のほう、ベトナム料理屋さんに案内してもらった。たくさんの人と、母語で会話をして非常にうれしかったが、そのせいでべろんべろんになったような気もする。昔のことだから覚えていない、というわけではない。


電気は通じていない

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