「増補 本屋になりたい」を読みました
沖縄に住んでいる時は、読み進められなかったのに。
茨城に戻った今、すんなりと読み終える。
「市場の古本屋ウララ」の前を通った事は何度もあるのに、立ち寄った事はない。この本を読んだら、訪ねてみようと思っていたのに、読み終える事なく、沖縄を旅立ってしまった。
1.ビジョンがチャンスと縁を繋ぐ
人生には、そうなるような縁というか流れがあるのかもしれない。著者の宇田さんが、古本屋を引き継ぐ事になったのも。私が沖縄に移住し、そして、また茨城に戻ったのも。
運命の流れがあるとしたら、
ただ待っていても、その流れはつかめない。たぶん。
著者は、本屋になりたいと思い続けていたし、古本屋になる前も新刊書店で働いていた。チャンスが来た時に動けるように、その時にできる事を選択し、行動してきた結果が、現在の「市場の古本屋ウララ」に繋がっている。
古本屋と新刊書店。どちらも経験している著者だからこそ、それぞれの違いや良さがまとめられていて、分かりやすい。
「なにかしたいと思っている人を、
本を売ることで応援したい」
新刊書店への志望動機として書いた言葉。
「本があって、人がいる場所をつくりたい」
古本屋をはじめる時に追加した思い。
このふたつのビジョンがあるから、いろんな事があっても、悩んでも、お客さんの為に本を売り続けているのだ。
自分がなぜその仕事をするのか。
ビジョンは大切だ。
私はどんな仕事をしたいのか。何ができるのか。
私のビジョンはぶれぶれだ(人生迷走中)。
2.記憶と未来
コロナ禍のシャッター通りの国際通りも、2022年2月末に牧志公設市場の雑貨部と衣装部が閉場した時も。私もその場を訪れていた。同じ時期に、同じ沖縄の地にいた。私の体験と重ねて読む。2023年2月に、建て替えを終えて3月にオープンを控えた第一牧志公設市場に行った時の写真には、新アーケード完成予定!と書かれた看板がある。この本を読むまでは、気にも留めなかった部分に、市場の人たちの思いが刻まれている。2024年現在、新しいアーケードの工事が行われている。コザ銀天街のアーケードは撤去されたけれど、同じくらい地域の人たちの思い出が刻まれていた。市場は、人が集まる場所。人の数だけ、記憶が刻まれている。だから、愛おしい。
だけど、記憶と同じくらい、未来も大事だ。
雑貨部と衣装部が閉場し、がらんとした通りの洋服屋さんが言った言葉。
著者は、こう感想を述べる。
実際、2024年になり、観光客は確実に増えている。洋服屋さんの見ていた未来が現実になった。言った通りになっている。
3.土地で生きること
私が沖縄に居たのは、ほんの4年間。しかも新型コロナウイルス感染症が蔓延していた時期。果たして私は沖縄に住んでいたと言えるのだろうか。この土地で生きている人達と、同じ目線で生きていただろうか。もちろん、よそ者だからこそ見える事やできる事もあるけれど、地元(茨城)という逃げ場がある事で、物見遊山のような沖縄移住となっていなかったか。当時は、できる限り自分に出来る事を行ったつもりだけど、それは自己満足の「やってるつもり」だったのではないか。いまさら言っても仕方ないけれど。
著者は神奈川県出身。沖縄の人からすれば、外から来たよそ者だ。それでも、市場の人やお客さん、両隣のお店の方との関係はとても素敵だった。そして、第一牧志公設市場の建て替えに伴うアーケード再整備に関わる事で、著者はこの土地の人になったのだ。増補版に追加されたそのエピソードがとても印象深い。羨ましいような、感服するような、憧れるような。
「市場の古本屋ウララ」は、市場の一部になっている。現役の古本屋であり、この土地の歴史の一部でもある。
いつか「市場の古本屋ウララ」に行く日が来たら、本だけでなく、こっそりその場に漂う雰囲気を味わいたい。道を歩く人と本を書いた人、生きている人と生きていないかもしれない人のあいだを行ったり来たりしてみたい。
【通販サイト「市場の古本屋ウララ 通信販売部」】
【「増補 本屋になりたい この島の本を売る(宇田智子:著/筑摩書房/2022年)」】
おわり
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