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ゆかいな音楽家と、ときどきひきこもり2023

私が沖縄でやりたいことが、
またひとつ完了した。

「ゆかいな音楽家と、ときどきひきこもり2023」を観に行く。


書きたい事が溢れ過ぎて、何から書いたらいいだろう。

(1)ひとりひとりのこと
(2)居場所活動の意味
(3)専門技術の活用
(4)沖縄生活のごほうび

について、書いてみる。

(1)ひとりひとりのこと

参加しているひとりひとりのこと。

私が沖縄に移住してから、この音楽発表会は過去に2回開催されている。新型コロナ前から数えると、5年目を迎える活動です。新型コロナの影響で、会場ではなく、事業所からオンラインで参加していた時期のことを思うと、今回、全ての事業所が会場に集まり、発表会を開催できたことが、まず嬉しかった。日常が戻ってきていることが、嬉しかった。

オンライン参加だった過去2回の発表会のことを思うと、私は、いくつもしみじみと感動する場面があった。

仮面を付けて、参加していた子が、今回はステージで仮面を付けずに、照明を浴びて、堂々と楽器を演奏している。

写真も動画も好きじゃなく、人前に出ることを避けていた子が、舞台のはじっこではあるけれど、年少の子どもたちのサポート役を笑顔で果たしている。

人と交流したい気持ちはあるけれど、緊張してしまう子が、仲間と一緒に、大勢の人が見守るステージにあがり、ダンスを踊る。

ほかにも、参加したひとりひとりの子との、これまでの出来事が思い出されて、何度もぐっと涙を堪えた。

音楽発表会ではあるけれど、発表会の表舞台に立つ子だけではない。受付や準備のサポート役として参加したみんなもいる。たくさんのお客さまに対応できている。堂々と知らない人たちに対応できている。

ひとつひとつに、みんなの成長がみえて、本人たちは自覚していないかもしれないけれど、本当にぐんぐんぐんぐん成長していて、私は本当に嬉しかった。

仲間の存在の大きさ。
挑戦する場がある貴重さ。
ひとりひとりの持つ、命の強さ。

ここに辿り着くまで、いろんな事があったし、いろんな体験や準備や時間が必要だった。ひとそれぞれのタイミングがある。今回は、挑戦のタイミングではなかった子も、挑戦の場が続くことで、来年は参加できるかもしれない。発表会だけがすべてではなくて、毎回の音楽WS、ただ1回だけの参加でも、人生の経験値を得ている。

(2)居場所活動の意味

子どもの居場所。不登校の子たちの居場所。
その活動は、とても意味がある。

それを実感した発表会だった。

もし、子どもの居場所がなかったら。
ここに集まった子たちは、この体験を得られていない。

もし、子どもの居場所がなかったら。
この子たちは、どんな毎日を過ごしていただろう。

発表会だけではない。

なにもない毎日。
想像しただけで、苦しい。

学校に行かない選択をする。
それは、さまざまな体験の機会を放棄する。
そんな意思表示では、ない。

だけど、
実際は体験の機会を奪われる。
学習の機会も奪われる。
生きる力を身につける機会を奪われる。

学校に行けばいいじゃないか。

それは、体験を得たければ、
学校へ行けという乱暴な脅しだ。

生きる力を身につけたければ、
戦場へ行け。

辛くても、精神を病んでも、
たとえ命を失うことになっても、
体験の機会が欲しければ、行け。

そのくらい乱暴な言葉だ。

子どもたちには、権利がある。
「生きる権利」
「育つ権利」
「守られる権利」
「参加する権利」

ただただ学校へ行け。
既存のシステムに従え。

そう言うだけでは、
子どもの権利を侵害していることになる。

子どもの居場所が、ある。
それは、選択肢が増えること。

体験、学習、人との交流。
ひとりひとりの子が生きる力を身につける。

その権利を保障する。

子どもの居場所は、成果が見えにくい。
塾なら、進学の数で成果が見えるかもしれない。スポーツなら、全国大会出場などの結果がわかりやすい。

子どもの居場所は、どうか。
前より緊張せずに、過ごせるようになった。
みんなとお菓子やごはんを食べられるようになった。
やってみたいことに、挑戦してみた。
行ってみたかった場所へ行ってみた。
アルバイトを始めた。

数値化しにくい成果が多い。

数値化できないけれど、
確実に変化は起きている。

その小さくて大きな変化に、
居場所は貢献している。

だけど、その貢献度が見えにくい。

そこが、もどかしい。ああ、もどかしい!

毎日が、日常が、とても素敵で、大切なんだ。
居場所ではその毎日を一緒に過ごすことができる。

それが、魅力だったんだ、と改めて感じた発表会でした。

学校に行かない選択をしても、体験の機会が与えられる。それが普通になってほしい。

あの子がステージのはじっこで、笑顔で子どもたちと過ごしていたように、ただ安心して、笑顔で毎日を過ごせたら、もうそれだけでいいのに。

(3)専門技術の活用

今回の発表会は「楽友協会おきなわ」と鶴見さんというプロの音楽家集団のみなさんが、サポートしてくれている。

音楽という体験を通して、子どもたちの生活を豊かにしてくれている。本当にありがとうございます。

三線、ピアノ、ギター、クラリネット、ドラムなど、本当にさまざまな楽器の演奏や、声楽家のボイストレーニング、作詞作曲体験と、子どもたちの希望に合わせて、音楽体験を提供して下さっている。

自分の持てる技術、知識を、社会に還元する。
専門技術を、何に使うか。どこに使うか。

楽友協会おきなわさんたちは、
子どもたちに、専門技術を投資してくれている。

私の力を、どこで、何に使うか。

私にとってのライフワークとは、何か。

それを考えている私にとって、楽友協会おきなわさんの活動は、とても憧れるし、羨ましくもある。素敵です。

そして、専門技術の提供だけでなく、子ども達にとって、知っている人が増えることは、とても貴重な宝となる。毎月の音楽WSで会う大人が新聞に載ったり、テレビに出たりすると、社会を身近に感じる事ができる。

そんな特別な出来事がなくたって、知り合いが増える事は、自分の世界が広がる。

自分ひとり、から、自分の家族。
自分の家族、から、居場所のおとな。
居場所のおとな、から、居場所のなかま。
居場所のなかま、から、居場所にくる大人。

ひとりと知り合うごとに、
ひとつ世界が広がる。

子ども達と出会って、知り合って、顔見知りになってくれることだけで、とても大きな役割を果たしてくださっている。本当にありがとうございます。

発表会だけでなく、なんでもない日常の中で、さらっと楽器を触り、演奏をする。そんな音楽のある暮らしが、こどもたちの日常になってきている。それが、一番豊かな変化であり、ここからまた、子どもたちから子どもたちへと音楽がつながっていき、音楽のある暮らしが、当たり前の暮らしとして広がっていくことが、嬉しい。

なかなか成果の見えにくい居場所活動ではあるけれど、今回の発表会は、みんなの成長を発表できた貴重な機会でした。

(4)沖縄生活のごほうび

子ども達の世界が広がるように、
私の世界も広がっていた。

それも実感した発表会だった。

沖縄に移住する時は、ほとんど知り合いがいなかったのに、今回、発表会に行くと、たくさんの知り合いに会う事ができた。

あちらでも、こちらでも、いろんな人とご挨拶。
こどもたちとも、大人とも、みんなと近況報告。

私のことを知ってくれている人が、いる。

知っている人が、こんなにできたんだ。

会えば、声をかけて、話したい人が、こんなにいる。

とても幸せだ。

私の沖縄生活は、確実にあったし、
こうやって積み重ねてきていたんだ。

沖縄に来て、よかった。

私の世界も、たくさんのみなさんのおかげで広がっています。ありがとう!!

同じ時代に生まれて、出逢い、同じ空間で音楽を楽しむ。その不思議な縁に、またじんわり涙を滲ませた発表会でした。

音楽がつなげてくれた縁に感謝!!

(5)おまけ

発表会が終わった後、片付けを済ませて、こども達が「私たち、帰るわねー」と挨拶に来てくれた。

どこへ行くのかと聞いたら、なんでもないことのように、さらりと「国際通り。」との返事。

地元では、バスに乗るのも抵抗していたみんなが、自分たちだけで、国際通りに遊びにくり出していくなんて…!

すごいじゃないか!!

私も、私の人生を楽しもう。そうしよう。

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