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『たった一人の女の妊娠に性欲は奪われて…ある男の行く末』

 性欲旺盛なその男はただ性交したいだけだった。女なら誰でも良かった。性欲の塊みたいな自分を満たしてくれる女はなかなかおらず、一人の女にこだわっていたのではその女の身体がもたなかった。女の身体を壊さないようにするために、かつ持て余すほど沸き立つ自分の欲望を満たすために、複数の女たちと付き合っていた。

 その中でも一番自己肯定感の低いその女は扱いやすかった。ちょっとやさしくしただけで、都合のいい女になってくれた。決して好みの容姿ではなかったけれど、唯一、危険日、安全日に関わらず、いつでも膣内射精させてくれる女のことを、男はお気に入りのおもちゃのように弄んでいた。

 その女はただ妊娠してみたいと言い、本当に子どもができたとしても男に迷惑はかけずに一人ですぐにおろすからと言い張っていた。男はその言葉をすっかり信用していた。しかし本当に男の子どもを妊娠した女は、身ごもった途端、やっぱりおろしたくない、産みたいと言い出した。態度を急変させた女に男は困った。話が違うじゃないか、冷静になれと自分にも言い聞かせるように女に迫った。女は決して騙すつもりはなかったらしく、男が女の子宮に残した精子からもたらされた新たな命によって、性格を母親という人格に書き換えられてしまったらしかった。

 認知もしないし、一切責任を持たない条件で、さんざん好き勝手に女の身体の中に精液を注ぎ込んでいた男だったが、おろすのではなく産むと決められてしまっては後々厄介なことになる。男は本当は自分の身を守るためだったものの、こんな状況で産んだら子どもがかわいそうだと言って、産みたがる女に諦めるように説得を試みた。困った状況になったとは言え、一方で妙な快楽も覚えた。決して本気で好きな女ではなかったけれど、自分の精子が孕ませたことで、その女の身体を支配した気分に陥り、無性に興奮した。妊娠している今なら、もう妊娠させる心配はないし、中出しし放題だと思い、説得する合間もいつものようにその女を犯し続けた。

 男の必死の説得に応じた女は、当初の通り、中絶することを決めたようだった。中絶手術の予定日が近づくにつれて、女の精神状態はどんどん悪くなった。自分が仕出かしたことで、女に死なれても困ると思い始めた男は、とりあえず無事に手術が終わるまで女を見守ることにした。いろいろ厳しいことも言ってしまってごめんねと謝り、態度を改め、なるべくやさしく接することを心がけた。

 女に寄り添うのは初めのうちはうわべだけの演技だったかもしれない。けれどいつしか心底、心配になり、いつの間にか性欲も衰え始めていた。

 特に女が中絶する直前や中絶した直後は誰とも性交する気になれなかった。あれほど毎日誰かとしなきゃ気が済まなかった自分がしなくても平気になるなんて、その変わり様に男は自分で驚いた。

 受け止めたくなかったし、見たくもないから目を背けるように拒絶していた自分の子どものエコー写真の画像が、術後、女から男の元へ届いた。最後に一度くらい見てほしいと言葉が添えられていた。思いの外、成長していた子どもの写真に男は動揺した。自分が自分を守ることばかり考えているうちに、子どもはこんな大きくなっていたのかと、すでにこの世から消えたその儚い命の塊に戸惑いを覚えた。

 少し前まで確かに生きていた命の残像を見せつけられた男は、何も考えずに性欲に身を任せていた自分に嫌気がさした。別に自分が認知して産ませれば良かったと急にまともな父親ぶったことが頭を過ったわけではなく、自分の欲望を抑制できなかった自分のせいで、傷ついた女と生まれられなかった命があったことは忘れてはいけないと思った。

 その女のことは好みではなかったが、少なくとも男にとって自分の子どもを妊娠したことのある、かけがえのない女になった。以前より大切に思えたし、今さらだけど、失いたくない、大事にしようと思えた。

 衰えた性欲が戻ることはなく、機能不全に陥った男は女と会っても性交はできなくなっていた。あり余る性欲を失くした男の元から、女たちは次第に離れて行った。

 自分が妊娠させ中絶させた女は、術後から長いこと、想像妊娠に浸っており、会いに行く度に、男は子どもの話を聞かされた。性欲の戻らない男が女にしてあげられることがあるとすれば、不憫な女の戯言を聞いてあげることくらいだった。女と一緒にいるとなぜかどこからともなく、一匹の羽虫が近づいて来て、二人の周りを漂っていた。

 「この子の名前は夏秋(なつあき)に決めたの。夏の終わりか秋の始まりに生まれる予定だから…。」
不思議なことに、本物の妊婦のように大きくなったおなかを撫でながら、幸せそうに子守歌を口ずさむ女の部屋には、使われるはずのない真新しいベビー用品が一式揃えられていた。
「そうなんだ、いい名前だね。」
男も女の話に合わせるようにやさしく微笑んだ。二人の近くにはまた虫が近寄ってきて、微かに羽音を立てていた。

 本能に従い、欲望の赴くまま、女に自分の欲求をぶつけていた男は、自分が渡した精子により、母性を覚醒させた女の本能に性欲を吸い取られ、本能を奪われてしまったらしかった。理性的だったはずの女は、本能で生きる男の精子から本能を与えられ、本能に従って行動していた男は、自分のせいで変わり果てた女から理性を与えられた。男と女の精子と卵子が出会い、今は亡き小さな命が二人に与えたものはあまりにも大きかった。

 男は自分たちの周りをうろつく虫を追い払おうともせず、静かに女に寄り添い続けていた。夕陽が射し込む薄暗い部屋の中で、二人の影と一匹の小さな影は重なり合っていた。女が歌う子守歌が微かに漏れ聞こえる外では、本能に支配されているとも知らない鈴虫たちが命を輝かせるように生を謳歌していた。

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※この話とペアになる話はこちら→『たった一匹の精子に心と身体は翻弄されて…ある女の末路』

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